真夏の蒸し暑い夜。
ひょっこり猫島の雪ウサギラクト家にて猫型ベッドで就寝中に、耳障りな羽音が聴こえた。
プーン…
「う…」
プーン、プーン…
「うぅん…このっ、このっ」
短い手で体中をはたき回すが、倒れる気配のない彼奴(きゃつ)。
まだ血を吸い足りないのか、己の体の周りをうろついてくる。体力がなくなった隙を狙って、更なる食事にありつこうというのか。すでに二か所ほど血を吸われた頬と腕は、ぷくりと赤く膨れて熱を持つ。
我慢出来ない痒さまで伴って、脳みそが沸点にまで達したその時、口から零れたのは侮蔑を含んだ嘲笑(あざわら)い。くまの○ーさんとエル○、猫のリオ似なぬいぐるみが窓辺にちょこんと並ぶ、ファンシーな部屋に不気味に木霊した。
「あっはっはっ、私の血を食事に選ぶなんてマヌケな蚊にょ。そんなマヌケな蚊には、あれがお似合いにょ!」
怒髪天ならぬ、雪ウサギのお耳が天高くそそり立った時――ボリボリと頬を掻きながら、流星の如き素早さで一階の洗面所まで駆け下りていった。
洗面台の下に取り付けられた収納庫から取り出したのは、蚊を抹殺する蚊取り線香。専用の台とライターを手に持ち、雪ウサギラクトは階段をびょんびょんと駆け登った。
ジュボッ!
自分の部屋に入るなり、ライターを手に持つ。アルミ製の台に乗せてうずまき型の蚊取り線香に火を点けた。
今度こそ安らかな眠りを得られるだろう。そして、次の日の朝は奴がお陀仏になっているに違いない――ほくそ笑みながら、目蓋(まぶた)をゆるゆると閉じた。
***
【ラクト家二階、別室にて】
「コケッ、コケッ、コケコッコー!」
「ふあぁぁ、よく寝た…」
「リオ、まだ眠い…」
「ニャ、もう起きよう? 私、お腹減ったよぉ」
「よし、任せろ。リオにミルクと猫まっしぐらなご飯を用意するからな」
ガウラァと、甘えるような猫鳴き声で一鳴きすれば、守護獣ガウラは覚醒した。
野性味溢れる琥珀色の瞳がリオを捕らえ、軽いキスと頬ずりをしばらく繰り返した後、木目調の洋服ダンスの取っ手にハンガーで引っかけられたエプロンを素早く装備、頭に三角巾まで括りつけた。
別世界で作られた地上のテレビ番組やドラマを見て、主夫とやらを研究していたらしい。女が喜び、自慢したくなるような男性ぶりを愛しいリオに見せつける為だった。
美形な青年が白いフリフリのエプロンを惜しげもなくさらし、主夫と化す守護獣ガウラ。今にも戦いに行きそうな面持ちで顔を引き締め、猫のリオを優しく抱き上げて寝室を後にする。向かった先はこの家の主で、自分たちの生みの親でもある雪ウサギラクトの部屋だった。
「おい、ラクト。朝だぞ。もう起きろ」
「ニャー、ラクトッ、朝だよ、起きてっ。一緒にガウラのご飯食べよう♪」
「リ、リオ…」
「ガウラが作ってくれたご飯は美味しいよっ」
「…ラクトに作るご飯は無いが、優しいリオがこう言ってるんだ。さっさと起きろ、雪団子」
白い扉に猫の肉球まで再現したドアノブは、完全に雪ウサギラクトの趣味だった。
異世界人であるリオを猫の姿にするほどの猫好き、その上ひょっこり猫島や猫型の家まで作る始末。呆れを通し、一撃でも喰らわそうとしたが、リオからの説得もあり共に居座る事にした――
「…起きないな、いつもならすぐに飛び起きるんだが?」
「ちょっと中を覗いてみようよ」
びょんっと、猫のリオはドアノブ目掛けて飛びかかる。両手でガチャリと器用に開け、部屋のど真ん中まで移動した。猫型のベッドによじ登り、主不在のシーツと枕しか確認出来なかった。
「あれー? 居ないね」
「珍しいな、奴がオレ達より早起きするなんて」
「きっと、ラクトもお腹が減ってたんだよ。もう食べてるんじゃないかな」
「そうだな、奴はよく腹をすかせてるし、既に食べ終えてるかもしれない」
「ニャ、私達も一階に降りよう」
二人はラクトの部屋のドアを開けたまま、一階まで下りて行った。
←カオス文庫へ戻る ②へ進む→