石川久遠の「日本人なら知っておきたい信実」

「陰謀論」とは「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり「妄想論」とは異なる。虚心坦懐に見詰め直せば、真実は見えてくる。

真実を知る事で、日本人は日本の未来をより幸福に切り拓(ひら)け

2020-06-24 13:29:06 | 日記
前回のブログの書き出し部分で、日本人の忘れ易さについて書いたが、立ち位置が明確に現れるマスメディアの「論調」については更に酷く、昨日まで連日扇動してきた主張など全く無かったかのように、何処吹く風とばかりに、然(さ)も平然と正反対の「論調」を説き始める。そういう、自らを全否定するような「論調変更=変節」を繰り返しながら、臆面もなく生き長らえてきたのが、日本のマスメディアなのである。過去は過去、今は今と言ってしまえばそれまでだが、流石(さすが)にそれはないだろうという変節ぶりである。「大東亜戦争」へと突入するように、朝日新聞が日本国民に対して散々扇動してきたのは、社史や過去記事を検証するまでもなく明らかな事である。彼等とて忘れている筈はない。所謂(いわゆる)主戦論である。ところが、戦前戦中はあれほど勢いよく国民を扇動していた朝日新聞は、敗戦して連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の「検閲」が始まると、それまでの立場を180度転換して、恥も外聞もなく占領軍の立場を代弁する行為に腐心したのである。あの時も、日本国民はマスメディアの煽動報道や、戦時中の大本営発表をそのまま信じ、GHQ/SCAPの威光を前に変節し恭順したマスメディアの報道に絶望した。何も朝日新聞だけではない。社名を変えて今も生き残る他の新聞社も、概(おおむ)ね朝日新聞と同じである。人間に置き換えて考えれば、信じるに値しない卑劣な変節漢、売国奴、裏切り者が日本のマスメディアなのである。人間である以上、全治全能ではないのだから、一時の思い込みや間違いを犯す事があるのは止むを得ない。併(しか)し、そういった過ちを犯した場合、善良な心を持ち、良識を弁(わきま)えた人間なら過ちを認め、必要なら謝罪をして、失なった信用回復をはかる。江戸時代と言わずとも、敗戦時に天皇陛下とその臣民に申し訳ないと腹を切った軍人もいる。それを今の社会で良い事だ、見習うべきだとは言わないが、当時の日本人にはその行為が理解できた。併し、朝日新聞に代表される日本のマスメディアは、自分たちが主張してきた戦前戦中の論調を、間違っていたと訂正した事もなければ謝罪記事など一度たりとも出す事なく、GHQ/SCAPの言いなりになったのである。恥を知らないのである。

特筆しておかなければならないのは、所謂「従軍慰安婦」なる戦時中には無かった造語を用いて、朝日新聞が日韓間に種を撒いた、主に朝鮮人女衒(ぜげん)たちによって集められた「朝鮮人 応募 高給売春婦」に関する捏造記事の数々である。これは敗戦時の変節から40年ほど経過してから書かれた記事が発端となった出来事である。これらについて朝日新聞は、最初の捏造報道から32年間も嘘の上塗りを続けて、2014年になって漸(ようや)く「訂正記事」を出した。我が国に対して国際的な汚名・冤罪を着せて、日韓間はもとより国際社会からの蔑(さげす)みという、計り知れない外交的傷痕を残しながら、あれこれと言い訳をし続けた。これ以上 嘘を押し通すのは難しいと判断したのか、朝日新聞は最初の捏造報道から何と32年後に初めて、そして一度限りの「訂正記事」を出したのである。それは、木で鼻を括(くく)ったような「訂正記事」であった。朝日新聞は当然、確信犯であるから、日本国民に嘘をつき、国家と国民を傷付けたと心を込めた「謝罪」などしてはいないし、国際社会に対しては「訂正記事」すら配信していない。だから、朝日新聞の捏造報道は、海外では今も史実だと信じられている。これは、「韓国(当時は日本)の済州島で200人の慰安婦を奴隷狩りした」という吉田清治なる今では詐話師(さわし)と呼ばれる男の1982年9月の捏造講演を、碌(ろく)な検証もせずに記事の論拠とした朝日新聞による社会的犯罪と言っても過言ではない問題である。当時、朝日新聞大阪社会部記者だった植村隆が、証言をコロコロと変える元売春婦に誘導尋問をして、署名記事として捏造報道したのである。植村は韓国の延世大学への留学経験もあり、朝日新聞のソウル特派員も務めた、根っからの親韓派である。「従軍慰安婦」問題に目を付けて訪韓した時、証言者となる慰安婦探しに難航していた時の協力者梁順任(りょうじゅんにん)の娘と後に結婚している。吉田清治は1995年になって「証言は自らの主張を織り交ぜた創作」である事を認めた後、消息を絶った。併(しか)し、植村隆は最後まで虚偽の主張を変えず、結局は司法の場で敗訴した。

朝鮮人が喜ぶ嘘の数々を報道という形で拡め、日本と国際社会に定着させた植村隆は、その大嘘が韓国の国益に適(かな)ったと、その功績を認められて、韓国のカトリック大学校の招聘教授となったり、第24回「キム・ヨングン民族教育賞」や、第7回「李泳禧(りえいき)賞」などを受賞して韓国人から持て囃(はや)される存在となった。所謂、「良心的日本人」と敵性国家から認められたのである。日本では「従軍慰安婦強制連行」が事実と信じられていた当時は、一端(いっぱし)のジャーナリストとして、第8回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞したりもしたが、数々の虚偽捏造が暴かれ、朝日新聞が「訂正記事」を出した年(2014年)には、北星学園大学で非常勤講師として国際交流科目の講義を担当して、主に韓国からの留学生を対象に韓国語で講義を行なっていた。朝日新聞を退社して神戸松蔭女子学院大学の教授になる筈(はず)だったが、大学側から断られた。それは『植村を採用するな』という大学への脅迫が激しかったからだ」と「北星学園大学への『言論テロ』阻止行動支援記者会見」のメンバーらは主張している。私がはっきりと覚えている当時の映像は、確かフジテレビだったと思うが、街中で記者が植村にマイクを向けた時、植村は恥も外聞もなく一目散にその場を走って逃げ去ったのである。虚偽捏造でないのなら何故そのような不様な姿を見せて恥じないのか? 日本人の感性では有り得ない醜態である。植村とはそういう男なのである。植村隆は2018年9月に株式会社金曜日の社長兼発行人に就任した。株式会社金曜日とは、北朝鮮系の反日的ジャーナリスト筑紫哲也(故人)が編集委員を務めていた売国週刊誌「週刊金曜日」の発行元である。朝日新聞と毎日新聞系のTBSテレビ「筑紫哲也News23」などが、長年に亘り、植村隆の嘘を恰(あたか)も盤石な真実として定着させてきたのである。同じ早稲田大学出身、同じ朝日新聞出身の植村・筑紫、そして朝日新聞を始めとしたマスメディアの罪は限りなく深い。

朝日、毎日、TBSに限らずマスメディアの根底には、こうした卑劣な「反日意識」が色濃く澱(よど)んでいる。櫻井よしこは産経新聞だけはきちんと「謝罪」したと述べた事があるが、産経新聞もまた「謝罪」はしていない。幾ら調べても産経新聞の「謝罪記事」はみつからなかった。未だに新聞・テレビの影響力が甚大であるのは、日本国民の急務ともいえる意識変革→「東京裁判史観からの脱却」には、限りなく大きく重い阻害要因である。この捏造史観を盲信している限り、日本国民は必ず滅亡の憂き目に遭うだろう。戦前、戦中、敗戦直後、そして、何と32年間も慰安婦強制連行説を擁護した挙句に「訂正」だけで済ませるという鉄面皮ともいえる姿勢を見せられたのだから、日本国民はマスメディアの変節を体験的に学んでいる筈である。併し、殆んどの日本国民の行動傾向が、未だにマスメディアの論調に大きく左右されている現実は一向に変わらない。その時その時の真実を我が目で見ても、時が経てば直(す)ぐに忘れてしまうという、こうした日本国民の欠点が、改めて表に出たのが、今回の「新型コロナウイルス騒動」に対する、外出自粛と自粛解除を受けた後の行動落差である。安倍政権がコロナ禍に於ける「緊急事態宣言」を7都府県に発令したのは4月7日で、全国に拡げたのは4月16日であったが、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス内の集団感染が報道されたのは1月21日である。中共への忖度や東京五輪を諦めきれない安倍政権が2箇月以上も動かぬ中、マスメディアは次第に、「新型コロナウイルス感染症」について、日本国民に恐怖を煽るような報道を始めた。日本国民がマスクを着用し、外出自粛を始めたのは政府による「緊急事態宣言」によるものではなく、マスメディアの恐怖報道を受けたからである。政府が「緊急事態宣言」を出す頃には、トイレットペーパーやマスクは既に店頭から姿を消していた。「緊急事態宣言」は、外出自粛を更に徹底させる契機にはなったが、日本国民の外出自粛を促したのは、実質的にマスメディアであった。

そのマスメディア、特にテレビのワイドショーや報道番組の体裁(ていさい)をとった事実上の娯楽番組などでの対コロナ恐怖扇動は凄まじかった。特に地上波の番組は、どの局も連日連夜これでもかとばかりに「新型コロナウイルス」に関する特集を組んで同じような番組を垂れ流し続けた。実際、ニューヨーク市などの被害状況は、安全保障や防疫に対する意識が皆無に等しかった日本国民には余りにもショッキングであった。国家運営の覚悟なき為政者や愚民化され、奴隷の平和を謳歌してきた国家にも国民にも非常時への覚悟と備えがまるで無かった。今の日本は例えて言えば、飢えた狼の群れの中に丸裸で佇(たたず)んでいながら、もし狼が襲ってきたら米国様が必ず助けてくれる筈だと信じているような大馬鹿者である。平時から国民に非常時に備えておこうという意識が無いというのは、国家や社会にとっては文字通り無防備で危険だという事を意味するから、これを機に日本国民の間に、「我が身は自分で護る」、「自分が家族の安全を護る」、「社会の安全には平時の備えが重要だ」、引いては「自分の国は自分で護るべきだ」という意識が芽生えれば、それこそ「禍転じて福と為す」を地で行く事になる。日本は自然災害が多い国だから、自然災害に対して日本人は比較的警戒心が強い。それでも、20年以上も「緊縮財政」至上主義とも言えるおかしな政策を続けられれば、原子力発電所や河川の堤防は低くなり、高速道路の保守点検予算も削られて、ひび割れだらけに放置されてしまう。人件費も削減されるからいざとなっても対応できない。「緊縮財政」の掛け声のもと、病床数の削減や、保健所施設や人員が大幅に削減されてきたから、予期せぬ「コロナ禍」となって一気に手詰まりとなってしまった。2020年度予算には、未だに病床数削減補助金が84億円もついたままであるというから俄(にわ)かには信じられない。

過去にも危機への対応の甘さが危険だと何度となく気付かされてきた。平時からの危機管理の欠如については、「自然災害」を無能で怠慢な政治家による「人災」が、より被害を大きくしてしまった数々の事例に見出す事ができる。それは今回明らかとなった「防疫体制」のみならず、国家としての「安全保障体制」にも言える。先日明らかにされた「イージス・アショア」配備計画に纏(まつ)わる諸問題について、施設建設候補地以外に住む国民の何人が注目していただろうか? 今回は「イージス・アショア」についての詳述は避けるが、今時、「自分の国は自分で護ろう」などと言えば、朝日新聞などが決まって「軍靴の足音が聞こえる」などと言い出して、軍事的防衛を考える事すら否定する。日本国民にも「武力=悪」という、そういう拭い難い嫌悪感が植え付けられてきた。敗戦後の教育自体が須(すべから)くそう言うものであったから、多くの日本国民が同様に武力で自国を護る行為や他国からの侵略を想定した備えをしてはいけないと考えるように洗脳されているのである。それが国際社会に通用すると信じる事自体が、どれほど奇異な考え方であるか疑問にも思わない。汚い戦争に引き摺り出して日本を殊更(ことさら)痛めつけ、実際の戦闘期間の約2倍もの長きに亘って、日本はGHQ/SCAPにより「洗脳統治」された。GHQ/SCAPに押し付けられた、国際法違反の「日本国憲法」と呼ばれる正統性無き「亡国憲法」に代表される、過てる「東京裁判史観」が諸悪の根底に流れている。同時にGHQ/SCAPの深謀遠慮によって我が国に棲み着くよう仕向けられた在日朝鮮人の問題も日本社会に甚大な害毒を齎らしている。敗戦後も帰国せず日本に居座り、或いは密航して棲み着いた在日朝鮮人が振り撒く「朝鮮悪」とも言うべき猛毒に蝕まれた日本社会の惨状は余りにも酷く、我が国は取り返しがつかないほどに傷口を拡げ、宛(さな)ら化膿して膿(うみ)が溜まっているようなものである。そして「朝鮮悪」の侵食は年々その害毒を増大させている。GHQ/SCAPによる最も狡猾な悪巧みは、「東京裁判史観」と「朝鮮悪」に対して疑問を挟(さしはさ)む事に罪悪感を持たせてきた教育内容と教育体制、そして社会体制を構築していった事である。

過去のブログで何度も繰り返し述べてきた事だが、我が国が日本人の国として生き残っていく為には「東京裁判史観」と「朝鮮悪」の軛(くびき)から逃れる事が何より肝要である。この二つの現実化した悪夢から逃れる為には、改めて日本国民が自分の目で世界を眺め、自分の頭で歴史を理解する必要がある。歴史観、国家観、世界観など、凡(あら)ゆる価値観を一度、総点検してみる必要がある。何故なら、現代日本で通用している価値観の幾つかが根本的に間違っているからである。「私たちの祖父や曽祖父は本当に世界征服を企んで敗れたのか? その私欲の為に亜細亜諸国を侵略し、本当に現地の人々を惨殺したのだろうか? 勝算あっての真珠湾攻撃であったのだろうか?」 2000年度の物価を基準にして計算すると、「大東亜戦争」開戦時点に於ける米国の実質GDPは1兆500億ドル、日本のドルベースの実質GDPは大目に見積もっても1,500億ドル程度であり、GDPの差は実に約7倍もあった。日本と米国の鉄鋼生産能力の差は約12倍、自動車の生産台数の差は100倍以上、発電量の差は約5倍という状況であった。当然、当時の日本の指導者たちもこの状況は理解していた。一連のデータを総合して勘案すると、日本と米国では、7倍から10倍、若(も)しくはそれ以上の経済格差があったと考えられる。古今の昔から経済力=軍事力であるから、真面(まとも)な判断力があれば、日本が米国に戦争を仕掛けて勝てると考えるのは正気の沙汰とは言えない。これだけの経済格差、戦力格差がありながら戦争に打って出るしか他に方法が無かったとしたら、日本は米国にどれだけ追い込まれていたのか、日本人自らが歴史を検証してみるほか真実を見極める方法はないだろう。併し、日本が独自に歴史検証する事はGHQ/SCAPと戦後の米国が許さなかったし、敗戦後75年を経て尚、日本人は自ら史実を検証しようともしない。ご主人様の命令以外の事は考えられなくなっているかのようである。これではまるで宦官(かんがん)ではないか?

国の安全保障を米国に頼みながら、中共、南北朝鮮という三大敵対国家に対して、日本は敗戦後に経済復興を遂げてから、一方的に莫大な経済援助をさせられてきた。約40年に亘って続けてきた中共に対する政府開発援助(ODA)は、2018年度の新規案件を最後に終了したが、総額は約3兆5,000億円にのぼる。移転した先端技術や盗まれた技術は決してカネで買えるものではない。韓国に対するODAは約23兆円と言われているが、ODA以外にも61兆円相当の官民資産を日本は朝鮮半島に丸々残してきた。更に、ODAの金額には現れない「技術援助」や「経済活動のノウハウ」、そして「人材育成」の効用は計り知れない。韓国もまた日本から様々な技術を盗んで経済成長をしてきた。併し、何故か外務省のODA関連サイトの国別情報から韓国だけが非公開とされている。2015年に外務省が公開した国際協力のPR動画を韓国メディアが「妄言」などと非難していた事と関係があるのかも知れない。動画は日本のODAなどが亜細亜各国のインフラ整備に役立っている事を紹介する内容なのだが、その中にソウルの地下鉄や浦項製鉄所が出てきた事を韓国は何故か問題視した。これらのインフラは、韓国が急成長できた、所謂「漢江(ハンガン)の奇跡」の一角を成すものだが、韓国一国で奇跡など起こせる筈もない。日本のODAと技術援助、そして技術盗用があって始めて実現できたのは間違いないのだが、日本側のPR材料になった事に韓国では感情的反発が起こったという。この感情こそ、朝鮮人の異常なところである。とにかく中共や南北朝鮮に対する日本政府、外務省の配慮は過剰である。特に、韓国に対しては腫れ物に触るような気遣い振りである。政治家も官僚も経済界も、そして日本国民のほぼ総てが「東京裁判史観」の洗脳下の教育を受けた者だから、謂(いわ)れの無い贖罪意識を刷り込まれているのである。而も、日本国内に巣喰った「朝鮮悪」が数世代を経て強い影響力を行使しているから、南北朝鮮に対してだけは次元の異なる配慮を日本内部から執拗に要求されているのである。韓国の態度は異常であり、日本の対応もまた常軌を逸(いっ)している。これは何としても改めなければならない。

では「朝鮮悪」とは如何なるものなのだろうか? 一口に言えば、「大東亜戦争」敗戦時にそれまで朝鮮系日本人として日本に居た朝鮮人を、GHQ/SCAPが敗戦国民とせず「第三国人」としたから、日本に居座った朝鮮人は自分たちを戦勝国民と僭称(せんしょう)して憚(はばか)らなかったのである。長い歴史上初めての敗戦による本土占領という屈辱に打ち拉(ひし)がれていた日本人は、朝鮮人の乱暴狼藉に逆らう気力すら喪失しており、米占領軍も日本憎しの感情からか、敢えて朝鮮人を特別扱いした。だから強い者には卑屈になり、弱い者には尊大になる朝鮮人特有の民族性が、彼等を勘違いさせ、日本人は理不尽を受け容れざるを得ないと思い知らされた。それが敗戦後も日本人と朝鮮人の異常な関係の始まりとなったのである。日本が「大東亜戦争」に敗戦した3年後に南朝鮮は大韓民国として米国から独立したが、初代韓国大統領 李承晩は、米国からの独立日を1948年8月12日から8月15日に変更して、「大東亜戦争」の戦勝国の中に韓国も入れてくれと、筋違いな要求をした。米国からの独立記念日を後日になって変更するなど正気の人間が思い付く事ではない。況(ま)してや朝鮮系日本人として、日本人と共に連合国と戦って敗れておきながら、自分たちを戦勝国だと考えるとは、どう考えても異常としか言いようがない。勿論、米国を始めとした連合国からは相手にもされずに否決された。それでも韓国内では韓国は日本を相手に独立戦争を戦って8月15日に日本に勝利したとの捏造教育を米国から独立してから始めて、それ以来現在までその捏造史観に固執(こしつ)している。否(いな)、屋上屋(おくじょうおく)を重ねるように捏造史観の補強は怠りなく、次々に新たな「史実」をつくり上げている。これを信じ込む国民も国民である。これは国際的にも類例が無いほど醜く歪(ゆが)んだ民族性と言える。朝鮮人は南北共に精神的に異常である。日本の敗戦日は1945年8月15日だが、GHQ/SCAPによる洗脳統治は長らく続き、日本がサンフランシスコ講和条約に調印(1951年9月8日)して、同条約が発効した1952年4月28日にGHQ/SCAPが日本から去って行った。日本は表面的には独立国として国際社会に復帰したのである。併し、連合国=国際連合は、「何時でも好きな時に日本を攻撃できる」との敵国条項を残したから、日本は事実上は未だに一人前の独立国とは言えない。何よりも、米国による日本支配は未だに厳然と続いている。

こういう、一応の日本国独立の経緯(いきさつ)を国民に知らしめる事は、GHQ/SCAPが規程した「戦後教育」では禁じられたままである。「日本国憲法」制定の経緯も真実は一切教育されていない。そもそも、日本が国会決議で命名した「大東亜戦争」の呼称は、GHQ/SCAPにより勝手に「太平洋戦争」と改められ、勿論、「大東亜共栄圏構想」も「八紘一宇」の意味すら日本国民に教育する事は禁じられた。GHQ/SCAPは恣意的(しいてき)に朝鮮人の存在を悪用したのだが、日本に最も甚大な被害を及ぼした朝鮮人関連の出来事は、GHQ/SCAPが日本に居座った在日朝鮮人らに「日本教職員組合」(日教組)を組織させた事である。「教職追放令」「公職追放令」により、日本再興の為に必要な人材は、政財界からも、法曹界からも、教育界からも、マスメディア界(当時は新聞、出版界)からも悉(ことごと)く追放され、その穴を埋めたのが、それまで日の目を見る事すら許されなかった反日左翼活動家であり、また在日朝鮮人であった。彼等に日本再興の能力など在ろう筈がない。思いがけずに日本国の枢要な職域に就いた彼等は、そのまま自らを模して劣化再生産を続け、現在に至っている。日本の「政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、金融界、通信業界、宗教界、芸能界、プロスポーツ業界、水商売業界、風俗業界、アダルトビデオ業界、そして反社会組織(暴力団)」…等々で在日朝鮮人が我が物顔で闊歩(かっぽ)しているのは、そういう経緯があるからなのだが、その事実を指摘するのは敗戦直後はGHQ/SCAPにより禁じられ、現在では在日朝鮮人たちにより差別行為だと非難されてしまうのである。在日朝鮮人たちは、一度やったら辞められない「被害者詐欺」のうま味を知って以来、被害者の立場を決して手放そうとせず、手を替え品を替え自分たちを「被害者の立場」に置く事で、日本人には到底望めないような、格別有利な立場に身を置き続けているのである。

その結果として、可笑しな政治が罷り通り、可笑しな司法判断が下り、可笑しな経済活動が行なわれ、マスメディアは益々偏向報道を続け、テレビを付ければ在日朝鮮人が通名で出演し、韓国の捏造歴史ドラマが垂れ流され続けているのである。SOFT BANKは日本人加入者情報などのデータセンターを韓国に集約し、通信料金を在日朝鮮人にのみ日本人には適用されない特別価格で提供してきた。FacebookでもTwitterでも在日企業が「検閲」を担当しているから、「朝鮮人」という言葉を使おうものなら、たちまちアカウントを凍結されてしまう。docomo のお客様担当も在日企業が請け負っている。8,400万人もの日本国民が登録する通信アプリLINEも、韓国国家情報院の幹部が立ち上げた韓国企業が日本で普及させたアプリであり、行政サービスをLINEに請け負わせた安倍政権の判断により、日本国民のビッグデータは韓国にダダ漏れである。中学校の教科書には「日本は朝鮮半島を武力で植民地支配しました」と嘘が明記され、その教科書を手に教壇(昔は生徒によく見えるように教師は一段高いところから教育していた)、今では生徒と同じ高さで授業をするそうだから、そこから史実とは異なる歴史を書いた教科書で在日教師が授業をしているケースがままある。街のキリスト教の教会の牧師にも朝鮮人が実に多いのにも驚かされる。安倍晋三首相が岸信介いらい肩入れしている統一教会も朝鮮宗教だし、創価学会の背後にも統一教会がいる。NHKには1,000人を超える在日朝鮮人が就業していると言われている。そのNHKの「ニュースウォッチナイン」の在日キャスター大越健介は、番組中に「在日は朝鮮半島から強制連行されてきた人々」と発言した翌日にニューヨーク支局に転勤となり、熱(ほとぼ)りが冷めた頃を見計らって日本に舞い戻ってきた。TBSテレビやフジテレビの女性局アナが一時期は全員在日朝鮮人という事もあった。今の日本は、ここまで朝鮮人に喰い荒らされて、反日左翼思想が国内標準の地位を確立しているのである。

日本国民は史実を自ら検証し、自分の頭で考えるようにしなければならない。「東京裁判史観」と「朝鮮悪」に汚染されたこのままの日本社会の在り方を追認しては、やがて日本は日本人の国家ではなくなってしまうだろう。史実を知り、現状の日本社会の惨状を知りさえすれば、必ずや日本人は立ち上がる。「コロナ禍」と「米中覇権戦争」は、これからの社会を一変させるパラダイムシフトの引鉄(ひきがね)となる事は間違いない。今こそ、自らを75年間も底辺に燻(くすぶ)らせてきた暗黒期から這い上がる絶好機である。本来の精神性さえ蘇れば、日本人にはまだまだ限りない底力、ポテンシャルがある。米国、欧州諸国とは異なり、特亜三国とも全く異なる日本国の未来を、より幸福に輝かせる為にも日本国民はこの機を逃さず覚醒しなければならない。


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