政府から「第二次補正予算案」が発表された。安倍政権に厳しい批判を続けてきたが、この「第二次補正予算案」は、限定的ながら評価できる。実質的に一切カネを出さないという従来の政策方針を変えさせて、「緊縮財政」しか頭にない財務省にカネを出させた、という一点のみ評価できる。頑として一歩も動こうとしないロバを何とか一歩前進させた。精々その程度の評価ではあるが… 二次補正などではなく、本来なら、昨年(2019年)12月20日に2020年度予算案を閣議決定した後でも、得体の知れない感染症が流行りだしたという情報を掴んだ時点で、本予算案に「防疫上の緊急事態」に備える予算を組み込んでおくべきであった。併し、本予算案の中身は「防疫上の緊急事態」に備えるのとは正反対の代物であった。「コロナ禍」に見舞われてみて、初めてつくづく身に染みて感じる事であるが、歴史的に繰り返し襲いくる疫病に対する「日本国の抵抗力」とも言える「医療費削減政策」は間違いであった。その間違いを四半世紀近くも見過ごしてきた我々国民にも責任がある。本予算で特に違和感があるのは、「病床数削減」をした医療機関への補助金である。主食である米の「減反政策」に通底する違和感である。「コロナ禍」に遭って初めて、長年に亘って実行されてきた「医療費削減」の異常さを思い知らされた。財務省が主導してきた「緊縮財政」方針には、20年以上前から何かがおかしいと感じていたが、今まで政治家も、有権者たる国民も「緊縮財政」論者に身を挺する覚悟で反対してこなかった。それが大間違いであった事が今回の疫病騒動で証明されたのである。
2020年度予算案が衆議院で採択されたのは2月28日夕刻であった。予算案は憲法の規定により参院送付後28日で自然成立する。厚労省が「新型コロナウイルス(COVID-19)」を「指定感染症」と定めたのは2月1日。前回のブログでも述べたが、2月13日時点で世界130箇国が中国人の入国停止や健康状況の申告義務などの入国制限措置を実施していた。その情報の大筋は一般の日本国民も知っていたのだから、国を預かる安倍政権が知らぬ筈はない。①経済的インバウンド効果、②習近平の国賓招聘、③東京オリンピック開催、などに期待を寄せていたとは言え、米・中・韓三箇国からの入国制限を安倍政権が正式に決断したのは3月9日からと随分と遅かった。冷酷非道さで歴史に名を遺すであろう鬼畜独裁者 習近平の国賓招聘など、状況がどうあろうと論外だが、その件はひと先ず置いておこう。日本が「制限付きで中共からの入国制限」を実施したのは2月1日で、厚労省の「指定感染症」認定と同日である。そういう状況に在りながら、「防疫上の緊急事態」に備える項目が全くない2020年度予算案について、追加審議する事もなく衆議院で採択され参議院に送付されてしまったのである。国会議員、特に自民党所属議員に真っ当な国防意識があるという大前提が必要だが、彼等がその気になりさえすれば、「新型コロナウイルス(COVID-19)感染症」対策を、それこそ緊急に本予算に組み込む事もギリギリ可能な日程であった。併し、野党からの真っ当な提案を無視して何もしなかった。野党は与党になって、いざ政権を担う段になると馬鹿丸出しだが、野党である限りは時には真面(まとも)な意見も言う。
真に国を思う人々はとうに見抜いていたが、与党、自民党政権も今回はとうとうその亡国的無能さを晒(さら)け出した。昨年の概算要求時には、一般会計の3分の1を占める社会保障費が、高齢化による自然増として5,300億円程度見込まれたが、最終的に4,111億円と大幅に縮小された。医療サービスの公定価格とも言える「診療報酬改定」に合わせた薬価の引き下げ(約1,100億円)などで圧縮を図った結果、財務省の思惑通り最終的には新規国債発行額を微減としたのである。団塊の世代が全て75歳以上になる2025年を見据えて、医療機関の病床数の適正化を図るという訳の分からぬ理屈の「地域医療構想」実現に向けた取り組みを加速したのだという。過剰と見做(みな)された入院可能な空きベッド(病床)数の削減に取り組む病院を支援するとして、総額84億円の補助金が創設された。2020年度中に病床数を10%以上削減する病院のみが対象とされた。国民が高齢化すれば病床数を今まで以上に確保しておこうと考えるのが普通だと思うが、「地域医療構想」の名目で高齢化への備えに逆行する84億円もの「病床数削減補助金」を創設したのである。厚労省が9月に、再編・統合の議論が必要だとして実名を公表した424の公立公的病院だけではなく、それ以外の公立公的病院や民間病院やクリニックも病床数を削減しさえすれば、この補助金を受けられる対象とした。一時は病床数の圧倒的不足という医療崩壊寸前の事態に追い込まれながら、厚労省によれば「病床数削減予算84億円」は現在も変更されずに生きているという。
「病床数削減」はこれまでも、2014年度に創設した「地域医療介護総合確保基金」を通じて推進してきたが、財源の3分の1を地方自治体に負担させる仕組みでは財政状況の厳しい自治体での活用が難しいとの指摘があった。この為、2020年度の補助金は全額国費で賄い、地方自治体の負担はゼロにしたのだという。然も、補助金額は削減した病床数に応じて増やすという。使途は「病床数削減」を目的に、病院を統合した場合の債務利払いなどを想定。各省庁を統括する安倍内閣には、「新型コロナウイルス(COVID-19)感染症」が世界に拡がり始めて、その状況が時々刻々と深刻さの度合いを増している現実が全く見えていなかった。①経済のインバウンド効果、②習近平の国賓招聘、③東京オリンピックの予定通りの開催、という今となっては無理筋の三つの儚(はかな)き夢を諦め切れずに、ダラダラと決断を先延ばしにしたのである。内閣の決断が揺らいだ結果、各省庁の足並みも乱れた。内閣と外務省、国交省は①②③全てに拘(こだわ)り、厚労省は84億円の予算付き病床数削減目標を撤回しないまま「COVID-19ウイルス感染症」を「指定感染症」と定め、財務省と安倍・麻生は「緊縮財政」の呪縛から逃れられないでいた。その結果、日本国民は「COVID-19ウイルス」に蝕まれるのではないかという恐怖に晒され、「政治決断喪失」と「補償無き自粛要請」という人災にも見舞われたのである。実際、疫病そのものよりも人災による被害の方が余程甚大である。無能な為政者と無能な官僚が疫病を招き入れ、マスメディアが日々その恐怖を煽り立て、国際的相対的に新型コロナウイルス感染被害を上手く切り抜けたと言われながらも、現時点で886人ものコロナ犠牲者を出してしまった。
この惨状の中にあって「第二次補正予算」という出費を財務省に認めさせたのは民意による細やかな勝利と言えなくもない。安倍政権は「モリ・かけ・桜」と、自己保身丸見えの「検察庁法改正(改悪)」を力業で強行しようとするも、民意に触れた身内(自民党議員)から説得されて諦め、ようやく「第二次補正予算」を出すに至ったのである。「世界最大級の緊急支援策」と自画自賛するのはいいが、初めから一切「経済的補償はしない」と言い切ったはいいが、結局は世論に圧されて「第一次補正予算」を組まざるを得なかった。決断も遅いが、政策執行が余りにも遅過ぎる。安倍晋三首相は「緊急事態宣言」を発令しながら、「緊急事態」に取り組むという自覚も無いし、具体的に真っ先に取り組むべき事は何かさえ全く理解していないように見受けられる。前例踏襲に沿った手続き論しか眼中にない官僚組織に、いきなり機動的に動けと期待するのは無理なのは分かる。ならば為政者は「手続きには時間がかかるが、必ず政府が国民生活を護り切る」と宣言して、不安に慄(おのの)く国民をせめて安心させる事くらいできなかったのだろうか? 最初から「経済的補償をする国など世界に例が無い」とか「我が国の補償は世界で最も手厚い」などと、発するそばから嘘と分かる事を口走るのではなく、何故、確固として情(こころ)を込めて国民を護る姿勢を示せなかったのか? 政治家唯一の武器は言葉であろうに。
「何があろうと最終的には政府が助けてくれる」と、政府を信頼できさえすれば、国民は何としても当面は喰い繫いで生き抜こうとの希望を持つ。併し、初めから虚しい言い訳や嘘ばかり聞かされては、「コロナ禍(実質的には人災)」に立ち向かおうとする国民の意志が折れてしまうのは当然ではないか! 中小企業や旅館、店舗などの倒産や廃業、そして派遣切り、雇い止め、が相次いでいる。「第二次補正予算」も100兆円規模と言いながら、所謂「真水」と言われる新規の国債発行は32兆円である。「2020年度予算」も100兆円規模と謳いながら実際には御用学者やマスメディアでさえ真水は30兆円程度(実際には15兆円程度)であった。「第二次補正予算」でまたも100兆円規模という実質的な嘘をつくのには呆れる他ないが、姑息な仕掛けはあるものの、真水(国債発行額)32兆円はそれなりに頑張ったと言える。庶民感覚では想像を絶する大金である。併し、どうして安倍首相は何度も何度も嘘を繰り返すのか? もはや人間性を疑うしかない。嘘の数々は何れ糾弾されるべきだが、国民の多くにとっての最大関心事は、明日の生活をどうするかである。不評を極めたアベノマスクも未だ手元に届かず、30万円の補助金は取り消され、一律10万円のカネも多くが未だ受け取れていない。安倍首相は本気で国民生活や中小企業主、個人事業主、失業者を護る気があるのだろうか?
「世界最大級」だとか「100兆円規模」だとか「合わせて234兆円規模」だなどという中身の無い寄せ集めの財政規模を大袈裟に誇るのではなく、一日も早く国民の手元にカネを届ける事が今の最優先課題である。国民一律10万円補償と言いながら7兆5,000億円程度しか予算を組まず、発表してから待てど暮らせどカネが貰えない事こそ問題ではないのか? 「緊急事態」の最中(さなか)に在りながら手続きは何事もない時のように通常通りの時間をかけるというのが問題だと何故気付かないのか? 失なわれた命が取り返しがつかないように、日本の伝統文化、企業活動も、ひとたび断絶してしまえば、復活させる事は難しい。倒産・廃業してしまえば、世界に冠たる日本の優秀な中小企業と言えども、活動再開は困難だろう。倒産廃業の憂き目に遭えば、時を置いて再開しようにも、同じ技術者、同じ職人、同じ従業員を呼び集めるのは不可能である。企業活動の継続を「コロナ禍」などで絶対に断絶させてはならない。消えるべくして消えて行く企業もありはするだろうが、真っ当に活動していた企業は、その規模に関わらず日本から消し去ってはならない。政府も企業経営者も個人事業主も一般社員も、今が踏ん張り時である。日本政府には絶対に企業を潰さないという覚悟と実行を強く求める。大企業の中にも「コロナ禍」を機に淘汰の波が押し寄せるだろう。世界が活力を取り戻すまで国営化してでも存続させなければならない企業は沢山ある。日本の近未来は価値ある企業の国営化の波が押し寄せるだろう。どのような手段を講じてでも途絶えさせてはいけないものが日本にはある。
米国は3月22日に強制力の伴なう「ロックダウン」を開始したが、その5日後の3月27日には「CARES Act」という「2兆ドル(220兆円)規模の緊急経済対策」を発表した。「CARES Act」に含まれる「Paycheck Protectoin Program」という給与保証プログラムは補償ではなく金融機関による融資であるが、日本と異なるのは「政府保証」を付けて速やかに実施させた事である。「政府保証」があれば融資元の金融機関は貸し倒れを危惧せず申し込み企業の審査に時間をかける事なくどんどん融資を引き受けられる。米国は3月4月だけで合わせて6,590億ドル(約70兆円)に「政府保証」を付けた。「緊急事態」で「政府保証」が付いているから、金融機関は従来なら融資を受けられないような企業に対しても貸し出しを実施した。「緊急事態下」で何より重要なのは「スピード」である。既に440万件の申し込みに応じて5,122億ドル(約54兆円)の資金を極めて短期間のうちに融資したという。その結果、中小企業の倒産や廃業を最小限に喰い止めた。米国は規模も大きいが、見習うべきはスピードである。安倍首相は、どうせ海外の事情など国民になどバレないから、「世界で最も手厚い補償だ」などと大見得を切るのである。生活費に苦労する国民など見下しているとしか思えないではないか? 日本の「コロナ融資」窓口には中小企業主や個人事業主が殺到し、二箇月半待ちなどザラにあるという。多くが手続きの煩雑さと厳しい審査基準に申請を諦め、申請しても通常通りのスケジュールで審査が行なわれて、実際に融資を受けられるのは申請者の半分にも満たない状態である。実態は融資希望の4分の1程度しか融資されていない。この「緊急時」とは思えない、時間をかけた厳しい審査と、問い合わせたものの諦めてしまう中小企業や個人事業主が続出するような事態を放置する安倍政権の鈍感さを「国民見殺し政策」と揶揄しているのである。
融資に「政府保証」を付けるというのは、もし借主が困窮して返済できない場合は政府が変わって返済するというもの。日本では、返済を迫る優先順位が極めて低く、どうしても返済できなければそれはそれで仕方がないという「劣後ローン」というものがある。今回の「第二次補正予算」にも39兆円の財政投融資があるが、これは補償ではなく融資である。然も「政府保証」は付いていない。これを仮に「劣後ローン」としても恐らく中小企業ではなく大企業向けであろう。「劣後ローン」は、借り手側にすれば、いよいよとなったら債務を帳消しにして貰えるという安心感を持てる。「緊急事態」なれば政府には大企業も中小企業も個人事業主も含めて総て救済する。それ位の覚悟が求められる。今回の32兆円は大雑把に三通りの使い道がある。その中身を見れば真水と断じるのは早計である。「通常の予算執行分」、「感染症対策予備費」、「企業の資金繰り対策予算」である。この内、「通常の予算執行分」はそのまま使えば良いが、「企業の資金繰り対策予算」が本当に今苦しんでいる中小企業を救うかどうか見守る必要がある。「劣後ローン」的に使うにしても、融資先企業が優良企業ばかりであれば意味がない。倒産か廃業寸前に追い込まれている中小企業に貸し出してこそ意味がある。曲者(くせもの)なのが「感染症対策予備費」である。漠然と感染症対策というだけで具体的には使途不明である。使うも良し、使わぬも良し、できれば使わないで次の危機への備えとして温存しておいて欲しいという、財務省が安倍政権に託した謂わば白紙委任状付き予算である。これには、予備費を10兆円も設けたのだから「第三次補正は絶対に出さないぞ」という財務省の暗黙の意思が込められていると言っていい。何れにせよ、需要を満たすには少な過ぎて程遠い規模である。そして、何より執行スピードのギアを切り替えなければ、結局は誰も救えないと一刻も早く気付き改めるべきである。
「緊縮財政 教信者」の財務官僚や、歪(いびつ)な「戦後教育」を盲信して好成績を収めてエリートの地位を得た者たちは、ギアチェンジ・思考転換・前例踏襲の打破が苦手のようだ。政治家、中央官僚、地方官僚から役場の職員に至るまで、自分が困窮する事など先ず有り得ないからか、「平時」から「緊急時」への転換がまるでできていない。いい加減にカネの出し惜しみをやめたらどうか? ケインズでさえも、「景気が悪いときに政府が歳出削減をすれば、失業率は悪化し、長期的な経済成長も阻害され、結局は長期的な財政状況も悪くなってしまう」と考えた。何も「MMT(近代貨幣理論)」など持ち出さずとも、「緊急事態」では歳出削減方針など全て覆して棚上げにすれば良い。歳出を惜しみながら「世界で最も手厚い補償」だなどと実態は大した規模ではないのに殊更大きく見せようと躊躇(ためら)いもなく嘘を重ねる行為は日本人の価値観からは縁遠い。支那の「白髪三千丈」や朝鮮の「内華外貧」と同じではないか? 規模が大きいのは分かったから、とにかく速やかに執行して、困窮する国民の元に今直ぐカネを届けて欲しい。この国民の声が聞こえないのであれば、政治家、公僕の資質としては致命的である。
現段階の日本では、事業経営者にとっての最後のセーフティネットとされるのは、信用保証協会の「保証4号」である。金融機関との取引がなかった企業や個人事業主、フリーランスの人も対象だが、区市町村役場から売り上げ減少の証明書を取得しなければならない。その書類が出るまで2〜3週間も待たされる。相談件数は46万件もあったが、申し込み件数は32万件。14万件が申し込みを相談した段階で諦めた計算になる。32万件の申し込み件数に対して信用保証協会が承諾した件数は更に減じて24万件、金額にして凡そ5兆3,000億円分である。その内、無利子・無担保の融資保証は僅か1兆3,000億円である。最後のセーフティネットがこれである。これが「世界で最も手厚い補償」の実態である。単に米国と比較するのは正確性に欠けるし、国力や国家が有する様々な価値観も異なるから避けたいところだが、日本の「コロナ対策予算」に占める中小企業救済分は、米国の3・4月分の政府保証融資枠の50分の1にも満たない。「世界で最も手厚い補償」や「最大級の予算規模」との表現が虚しく聞こえ、その嘘に救いを求めて放置され、倒産・廃業に追い込まれた事業主にすれば、怒りの矛先が安倍政権に向けられるのも致し方ない。「新型コロナ騒動」の当初から、私は日本に於ける「コロナ禍」とは、疫病による犠牲者より、経済的犠牲者の方が格段に大きいと言い続けてきた。「コロナ禍」による過剰反応は日本の伝統文化までも破壊する。正に「安倍政権という災厄」は人災なのである。
2020年度予算案が衆議院で採択されたのは2月28日夕刻であった。予算案は憲法の規定により参院送付後28日で自然成立する。厚労省が「新型コロナウイルス(COVID-19)」を「指定感染症」と定めたのは2月1日。前回のブログでも述べたが、2月13日時点で世界130箇国が中国人の入国停止や健康状況の申告義務などの入国制限措置を実施していた。その情報の大筋は一般の日本国民も知っていたのだから、国を預かる安倍政権が知らぬ筈はない。①経済的インバウンド効果、②習近平の国賓招聘、③東京オリンピック開催、などに期待を寄せていたとは言え、米・中・韓三箇国からの入国制限を安倍政権が正式に決断したのは3月9日からと随分と遅かった。冷酷非道さで歴史に名を遺すであろう鬼畜独裁者 習近平の国賓招聘など、状況がどうあろうと論外だが、その件はひと先ず置いておこう。日本が「制限付きで中共からの入国制限」を実施したのは2月1日で、厚労省の「指定感染症」認定と同日である。そういう状況に在りながら、「防疫上の緊急事態」に備える項目が全くない2020年度予算案について、追加審議する事もなく衆議院で採択され参議院に送付されてしまったのである。国会議員、特に自民党所属議員に真っ当な国防意識があるという大前提が必要だが、彼等がその気になりさえすれば、「新型コロナウイルス(COVID-19)感染症」対策を、それこそ緊急に本予算に組み込む事もギリギリ可能な日程であった。併し、野党からの真っ当な提案を無視して何もしなかった。野党は与党になって、いざ政権を担う段になると馬鹿丸出しだが、野党である限りは時には真面(まとも)な意見も言う。
真に国を思う人々はとうに見抜いていたが、与党、自民党政権も今回はとうとうその亡国的無能さを晒(さら)け出した。昨年の概算要求時には、一般会計の3分の1を占める社会保障費が、高齢化による自然増として5,300億円程度見込まれたが、最終的に4,111億円と大幅に縮小された。医療サービスの公定価格とも言える「診療報酬改定」に合わせた薬価の引き下げ(約1,100億円)などで圧縮を図った結果、財務省の思惑通り最終的には新規国債発行額を微減としたのである。団塊の世代が全て75歳以上になる2025年を見据えて、医療機関の病床数の適正化を図るという訳の分からぬ理屈の「地域医療構想」実現に向けた取り組みを加速したのだという。過剰と見做(みな)された入院可能な空きベッド(病床)数の削減に取り組む病院を支援するとして、総額84億円の補助金が創設された。2020年度中に病床数を10%以上削減する病院のみが対象とされた。国民が高齢化すれば病床数を今まで以上に確保しておこうと考えるのが普通だと思うが、「地域医療構想」の名目で高齢化への備えに逆行する84億円もの「病床数削減補助金」を創設したのである。厚労省が9月に、再編・統合の議論が必要だとして実名を公表した424の公立公的病院だけではなく、それ以外の公立公的病院や民間病院やクリニックも病床数を削減しさえすれば、この補助金を受けられる対象とした。一時は病床数の圧倒的不足という医療崩壊寸前の事態に追い込まれながら、厚労省によれば「病床数削減予算84億円」は現在も変更されずに生きているという。
「病床数削減」はこれまでも、2014年度に創設した「地域医療介護総合確保基金」を通じて推進してきたが、財源の3分の1を地方自治体に負担させる仕組みでは財政状況の厳しい自治体での活用が難しいとの指摘があった。この為、2020年度の補助金は全額国費で賄い、地方自治体の負担はゼロにしたのだという。然も、補助金額は削減した病床数に応じて増やすという。使途は「病床数削減」を目的に、病院を統合した場合の債務利払いなどを想定。各省庁を統括する安倍内閣には、「新型コロナウイルス(COVID-19)感染症」が世界に拡がり始めて、その状況が時々刻々と深刻さの度合いを増している現実が全く見えていなかった。①経済のインバウンド効果、②習近平の国賓招聘、③東京オリンピックの予定通りの開催、という今となっては無理筋の三つの儚(はかな)き夢を諦め切れずに、ダラダラと決断を先延ばしにしたのである。内閣の決断が揺らいだ結果、各省庁の足並みも乱れた。内閣と外務省、国交省は①②③全てに拘(こだわ)り、厚労省は84億円の予算付き病床数削減目標を撤回しないまま「COVID-19ウイルス感染症」を「指定感染症」と定め、財務省と安倍・麻生は「緊縮財政」の呪縛から逃れられないでいた。その結果、日本国民は「COVID-19ウイルス」に蝕まれるのではないかという恐怖に晒され、「政治決断喪失」と「補償無き自粛要請」という人災にも見舞われたのである。実際、疫病そのものよりも人災による被害の方が余程甚大である。無能な為政者と無能な官僚が疫病を招き入れ、マスメディアが日々その恐怖を煽り立て、国際的相対的に新型コロナウイルス感染被害を上手く切り抜けたと言われながらも、現時点で886人ものコロナ犠牲者を出してしまった。
この惨状の中にあって「第二次補正予算」という出費を財務省に認めさせたのは民意による細やかな勝利と言えなくもない。安倍政権は「モリ・かけ・桜」と、自己保身丸見えの「検察庁法改正(改悪)」を力業で強行しようとするも、民意に触れた身内(自民党議員)から説得されて諦め、ようやく「第二次補正予算」を出すに至ったのである。「世界最大級の緊急支援策」と自画自賛するのはいいが、初めから一切「経済的補償はしない」と言い切ったはいいが、結局は世論に圧されて「第一次補正予算」を組まざるを得なかった。決断も遅いが、政策執行が余りにも遅過ぎる。安倍晋三首相は「緊急事態宣言」を発令しながら、「緊急事態」に取り組むという自覚も無いし、具体的に真っ先に取り組むべき事は何かさえ全く理解していないように見受けられる。前例踏襲に沿った手続き論しか眼中にない官僚組織に、いきなり機動的に動けと期待するのは無理なのは分かる。ならば為政者は「手続きには時間がかかるが、必ず政府が国民生活を護り切る」と宣言して、不安に慄(おのの)く国民をせめて安心させる事くらいできなかったのだろうか? 最初から「経済的補償をする国など世界に例が無い」とか「我が国の補償は世界で最も手厚い」などと、発するそばから嘘と分かる事を口走るのではなく、何故、確固として情(こころ)を込めて国民を護る姿勢を示せなかったのか? 政治家唯一の武器は言葉であろうに。
「何があろうと最終的には政府が助けてくれる」と、政府を信頼できさえすれば、国民は何としても当面は喰い繫いで生き抜こうとの希望を持つ。併し、初めから虚しい言い訳や嘘ばかり聞かされては、「コロナ禍(実質的には人災)」に立ち向かおうとする国民の意志が折れてしまうのは当然ではないか! 中小企業や旅館、店舗などの倒産や廃業、そして派遣切り、雇い止め、が相次いでいる。「第二次補正予算」も100兆円規模と言いながら、所謂「真水」と言われる新規の国債発行は32兆円である。「2020年度予算」も100兆円規模と謳いながら実際には御用学者やマスメディアでさえ真水は30兆円程度(実際には15兆円程度)であった。「第二次補正予算」でまたも100兆円規模という実質的な嘘をつくのには呆れる他ないが、姑息な仕掛けはあるものの、真水(国債発行額)32兆円はそれなりに頑張ったと言える。庶民感覚では想像を絶する大金である。併し、どうして安倍首相は何度も何度も嘘を繰り返すのか? もはや人間性を疑うしかない。嘘の数々は何れ糾弾されるべきだが、国民の多くにとっての最大関心事は、明日の生活をどうするかである。不評を極めたアベノマスクも未だ手元に届かず、30万円の補助金は取り消され、一律10万円のカネも多くが未だ受け取れていない。安倍首相は本気で国民生活や中小企業主、個人事業主、失業者を護る気があるのだろうか?
「世界最大級」だとか「100兆円規模」だとか「合わせて234兆円規模」だなどという中身の無い寄せ集めの財政規模を大袈裟に誇るのではなく、一日も早く国民の手元にカネを届ける事が今の最優先課題である。国民一律10万円補償と言いながら7兆5,000億円程度しか予算を組まず、発表してから待てど暮らせどカネが貰えない事こそ問題ではないのか? 「緊急事態」の最中(さなか)に在りながら手続きは何事もない時のように通常通りの時間をかけるというのが問題だと何故気付かないのか? 失なわれた命が取り返しがつかないように、日本の伝統文化、企業活動も、ひとたび断絶してしまえば、復活させる事は難しい。倒産・廃業してしまえば、世界に冠たる日本の優秀な中小企業と言えども、活動再開は困難だろう。倒産廃業の憂き目に遭えば、時を置いて再開しようにも、同じ技術者、同じ職人、同じ従業員を呼び集めるのは不可能である。企業活動の継続を「コロナ禍」などで絶対に断絶させてはならない。消えるべくして消えて行く企業もありはするだろうが、真っ当に活動していた企業は、その規模に関わらず日本から消し去ってはならない。政府も企業経営者も個人事業主も一般社員も、今が踏ん張り時である。日本政府には絶対に企業を潰さないという覚悟と実行を強く求める。大企業の中にも「コロナ禍」を機に淘汰の波が押し寄せるだろう。世界が活力を取り戻すまで国営化してでも存続させなければならない企業は沢山ある。日本の近未来は価値ある企業の国営化の波が押し寄せるだろう。どのような手段を講じてでも途絶えさせてはいけないものが日本にはある。
米国は3月22日に強制力の伴なう「ロックダウン」を開始したが、その5日後の3月27日には「CARES Act」という「2兆ドル(220兆円)規模の緊急経済対策」を発表した。「CARES Act」に含まれる「Paycheck Protectoin Program」という給与保証プログラムは補償ではなく金融機関による融資であるが、日本と異なるのは「政府保証」を付けて速やかに実施させた事である。「政府保証」があれば融資元の金融機関は貸し倒れを危惧せず申し込み企業の審査に時間をかける事なくどんどん融資を引き受けられる。米国は3月4月だけで合わせて6,590億ドル(約70兆円)に「政府保証」を付けた。「緊急事態」で「政府保証」が付いているから、金融機関は従来なら融資を受けられないような企業に対しても貸し出しを実施した。「緊急事態下」で何より重要なのは「スピード」である。既に440万件の申し込みに応じて5,122億ドル(約54兆円)の資金を極めて短期間のうちに融資したという。その結果、中小企業の倒産や廃業を最小限に喰い止めた。米国は規模も大きいが、見習うべきはスピードである。安倍首相は、どうせ海外の事情など国民になどバレないから、「世界で最も手厚い補償だ」などと大見得を切るのである。生活費に苦労する国民など見下しているとしか思えないではないか? 日本の「コロナ融資」窓口には中小企業主や個人事業主が殺到し、二箇月半待ちなどザラにあるという。多くが手続きの煩雑さと厳しい審査基準に申請を諦め、申請しても通常通りのスケジュールで審査が行なわれて、実際に融資を受けられるのは申請者の半分にも満たない状態である。実態は融資希望の4分の1程度しか融資されていない。この「緊急時」とは思えない、時間をかけた厳しい審査と、問い合わせたものの諦めてしまう中小企業や個人事業主が続出するような事態を放置する安倍政権の鈍感さを「国民見殺し政策」と揶揄しているのである。
融資に「政府保証」を付けるというのは、もし借主が困窮して返済できない場合は政府が変わって返済するというもの。日本では、返済を迫る優先順位が極めて低く、どうしても返済できなければそれはそれで仕方がないという「劣後ローン」というものがある。今回の「第二次補正予算」にも39兆円の財政投融資があるが、これは補償ではなく融資である。然も「政府保証」は付いていない。これを仮に「劣後ローン」としても恐らく中小企業ではなく大企業向けであろう。「劣後ローン」は、借り手側にすれば、いよいよとなったら債務を帳消しにして貰えるという安心感を持てる。「緊急事態」なれば政府には大企業も中小企業も個人事業主も含めて総て救済する。それ位の覚悟が求められる。今回の32兆円は大雑把に三通りの使い道がある。その中身を見れば真水と断じるのは早計である。「通常の予算執行分」、「感染症対策予備費」、「企業の資金繰り対策予算」である。この内、「通常の予算執行分」はそのまま使えば良いが、「企業の資金繰り対策予算」が本当に今苦しんでいる中小企業を救うかどうか見守る必要がある。「劣後ローン」的に使うにしても、融資先企業が優良企業ばかりであれば意味がない。倒産か廃業寸前に追い込まれている中小企業に貸し出してこそ意味がある。曲者(くせもの)なのが「感染症対策予備費」である。漠然と感染症対策というだけで具体的には使途不明である。使うも良し、使わぬも良し、できれば使わないで次の危機への備えとして温存しておいて欲しいという、財務省が安倍政権に託した謂わば白紙委任状付き予算である。これには、予備費を10兆円も設けたのだから「第三次補正は絶対に出さないぞ」という財務省の暗黙の意思が込められていると言っていい。何れにせよ、需要を満たすには少な過ぎて程遠い規模である。そして、何より執行スピードのギアを切り替えなければ、結局は誰も救えないと一刻も早く気付き改めるべきである。
「緊縮財政 教信者」の財務官僚や、歪(いびつ)な「戦後教育」を盲信して好成績を収めてエリートの地位を得た者たちは、ギアチェンジ・思考転換・前例踏襲の打破が苦手のようだ。政治家、中央官僚、地方官僚から役場の職員に至るまで、自分が困窮する事など先ず有り得ないからか、「平時」から「緊急時」への転換がまるでできていない。いい加減にカネの出し惜しみをやめたらどうか? ケインズでさえも、「景気が悪いときに政府が歳出削減をすれば、失業率は悪化し、長期的な経済成長も阻害され、結局は長期的な財政状況も悪くなってしまう」と考えた。何も「MMT(近代貨幣理論)」など持ち出さずとも、「緊急事態」では歳出削減方針など全て覆して棚上げにすれば良い。歳出を惜しみながら「世界で最も手厚い補償」だなどと実態は大した規模ではないのに殊更大きく見せようと躊躇(ためら)いもなく嘘を重ねる行為は日本人の価値観からは縁遠い。支那の「白髪三千丈」や朝鮮の「内華外貧」と同じではないか? 規模が大きいのは分かったから、とにかく速やかに執行して、困窮する国民の元に今直ぐカネを届けて欲しい。この国民の声が聞こえないのであれば、政治家、公僕の資質としては致命的である。
現段階の日本では、事業経営者にとっての最後のセーフティネットとされるのは、信用保証協会の「保証4号」である。金融機関との取引がなかった企業や個人事業主、フリーランスの人も対象だが、区市町村役場から売り上げ減少の証明書を取得しなければならない。その書類が出るまで2〜3週間も待たされる。相談件数は46万件もあったが、申し込み件数は32万件。14万件が申し込みを相談した段階で諦めた計算になる。32万件の申し込み件数に対して信用保証協会が承諾した件数は更に減じて24万件、金額にして凡そ5兆3,000億円分である。その内、無利子・無担保の融資保証は僅か1兆3,000億円である。最後のセーフティネットがこれである。これが「世界で最も手厚い補償」の実態である。単に米国と比較するのは正確性に欠けるし、国力や国家が有する様々な価値観も異なるから避けたいところだが、日本の「コロナ対策予算」に占める中小企業救済分は、米国の3・4月分の政府保証融資枠の50分の1にも満たない。「世界で最も手厚い補償」や「最大級の予算規模」との表現が虚しく聞こえ、その嘘に救いを求めて放置され、倒産・廃業に追い込まれた事業主にすれば、怒りの矛先が安倍政権に向けられるのも致し方ない。「新型コロナ騒動」の当初から、私は日本に於ける「コロナ禍」とは、疫病による犠牲者より、経済的犠牲者の方が格段に大きいと言い続けてきた。「コロナ禍」による過剰反応は日本の伝統文化までも破壊する。正に「安倍政権という災厄」は人災なのである。
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