先週の土曜日、
20年と半年の命を終えました、
それだけのことが
どうしても言葉にも文字にもできないで
ただただもう淋しさに抗えぬ一週間でした
起きたとき立ち上がったとき椅子に座ったり動いたとき
全ての行動の目の端にその仔がいて、
その仔の様子を見遣っていたのだなあと、
いなくなって、思う
なにもかも
急ぎ過ぎるくらいに早く片付けて
もうなんにも残っちゃいないのに、
そこいらじゅうに気配が転がっていて、
四六時中にああ居ないのだと気付く愚かさはたぶん愛情とか寂寥とか執着とか
最後には
何度か小さな声で鳴いた
声にはならない
掠れたような吐息で、鳴いた
そうして、その仔は逝ってしまった
わたしを置いて終わってしまった
生まれたら終わるのだと、
念押しするようにまるごと無くなってしまった
小さく硬いからだを一人きりにするのは忍びなくて、
その日の夕方には一畑薬師さんの動物愛護のところで
火葬してもらい遺骨を持って帰った
長生きした動物の骨は綺麗に残るんだって
でも壺に入れてる途中でガシガシ潰されたけどナ
いちど左の本棚の上に安置して
金曜に
金曜に
大きな鉢のオリーブの木の根元に埋葬した
もう、いない。
それを受け入れるまで
どれだけ苦しかったか
20年、ひとりぼっちのわたしと
片時も離れず一緒に暮らしたのだからナ
先に逝くのは分かっちゃいるけど
理屈じゃないんだよなあ
それでも
時間薬とはよくも言ったもので
こうして書けるくらいに落ち着いた
土曜に、友が、くどくどと経緯を語るわたしの話を
我慢強くじっと最後まで聞いてくれて
そうして、
わたしの弔いが終わった
これからどうしたものかな
ひとりの気楽さと淋しさを抱えて
また呑気に暮らしましょうかね
自由とは淋しいことなのだと
淋しいこともまた善きことなのだと
言い聞かせながらナ。