小学生の頃はそれほどなかったけれども、中学生になると持久走なるものを定期的にやらされる機会が多くなりました。
僕、極度の運動音痴なんで、あの頃は持久走も非常に苦手に思っていて嫌だったなと寒くなると毎年少し思い出します。
大人になって見ると、実は持久走が嫌いなわけだったではなく、集団でそれをやることが嫌いだったんだなと気づきましたが(笑)。独りでウォーキングをするのは好きですし、歩いていて調子がいいと、自然と(走ってみようか)という気になりジョギングにかわっていくこともあります。
高校生になると年に数回、校庭の400mトラックを7~8周走らされることがありました。2年生になる頃には、運動音痴ながら、どのくらいのペースで走ったら何週目にどんなコンディションになるかというのは大体想定できるようになりました。というか当然なりますよね。それで、最初から無理に集団について走るのをやめたんです。
走り始めから集団とは一人だけ離れて走って、一週目の半分(200m)に到達する頃には、すでに先頭ランナーに追いつかれるくらいのペース。
そうすると何が起こるかと言いますと、2~3週目に差し掛かると、自分と同じくらいの体力なのに初めから無理に先頭集団について走っていた生徒がばてて後退してきて、彼らを抜かすことになるんです。
ただ、人と競うことに全く興味がないので、彼らを抜いていくときに特に高揚感はありません。おそらく彼らのことは視界には入っていてもほとんど見てもいませんでした。「持久走嫌だな、さっさと走って終わらせたいな」と思っているだけです。
さてゴール。運動音痴なんでそこそこ苦しいですが、最初からペースを考えて走ったので、まあまあ苦しいくらい。立っていられる程度。
そして、ほどなくして「僕と同じ運動能力レベルの彼ら」が息も絶え絶えにゴール。全部使い切ってゴール付近で倒れてなかなか起き上がれないくらい。
そうすると、複数いる先生たち、同級生たちが駆け寄って「よくやった」「よくやった」の大合唱。
それに引き換え、同じくらいのタイミングでゴールした僕の扱いは(最初から手を抜いて楽々ゴールしやがって。そんなんで最下位にならなくたって価値はねえからな。)みたいな対応だったことを覚えています(笑)。
世の中って言うのは、自分のレベルも考えずに無駄に汗水たらして頑張るだけの人間の方がかわいいって思うもんなのだろうなと、その時思いました。結果より気持ちなんでしょうね。最近のニュースに関して当初の反応から一転、判官贔屓で有権者の意見が変わってきているのも似た文脈で起こっている現象でしょうね。
全部引き受けて誠実にこなせる人は全く問題ないのですが、僕はそこまでできる男ではないので、そのレベル同士の対比で言うと、自分にできないことを「できます」「できます」って言い張って、結局「できませんでした」って言ってくる人間よりは、できることできないことを見極めて計画的に成し遂げる自分の方が正しいとあの頃も今も思っています。それでも世の中は同じダメ人間だと、結果を問わず汗水垂らす人の方に優しいよな(笑)、と思っていますね。
ということを思い出した、毎年冬に一度は来る朝。
別にトラウマみたいな大層なものではないですね(笑)。
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