クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ニャンコの目

2008-06-10 09:51:11 | Weblog
写真は、息子の家に暮らす、メインクーンのマイクである。ふさふさの長い毛が、より以上に身体を大きく見せる。尻尾も長くふさふさで、歩く時はゆさゆさとゆれている。一見厳つい顔だが、根は物静かで、大人しい。孫にとっては、良いお兄ちゃんだ。少し位悪戯されても怒らない。マイクの目は緑色だ。大きな目は、眼球が盛り上がり、澄んでいる。
僕はニャンコさんの、この澄んだ目に惹かれる。心に悪巧みが無く、純粋。人の心を見抜かられそうで、怖い時もある。クーと生活を始めたばかりの頃、内側に白い毛の生えた、三角お耳と、何の陰りも無く、金色の澄んだ目に惹かれた。その目は純な心を表していて、クーの前では嘘は付けないと思った。ココの目は、外縁が薄い金色、内縁は若葉色だ。今もお昼寝から目覚めた、ココの目を良く見ようと、顔を近付けると、僕の鼻の頭をペロリとしてきた。
猫の視力は、0.3位と言われているが、僕など見えぬ小さな虫を見付けて、追いかけたり、虫の動きを目で追っている事がある。昨日も寝室でココが盛んに何かを追いかけていた。良く見ると、針先位小さい虫であった。流石に、ココが手で押さえても、指の間からすり抜けて、部屋の隅に逃げてしまったが、良く見付けるものと、感心した。
国民の事をないがしろにして、私欲のためばかりに動く、政治家や役人には、この澄んだ、ニャンコさんやワンちゃんの目を、見詰め続けられるのかニャー。

うれしくなると

2008-06-09 10:18:19 | Weblog
我家の猫科ひょうきん族のココは、嬉しくなると直ぐにひっくり返り、お腹を見せる。ニャンコさんのお腹の毛は、みんなフモフモでさわり心地が大変に良い。ボンボンのココは、このお腹を触っても嫌がらないどころか、手で僕の腕を掴み舐め始める。警戒心は全く無い。掴まれている反対の手で、尻尾を握り上下・左右に振っても怒らない。何と言う猫だろうか。
クーはめったにひっくり返らない。嬉しさの表現は、擦り寄るくらいだ。天気の良い日、出窓で横になり、まったりと休んでいる時に、お腹のフモフモを触るが、機嫌の悪い時には、シッァーが手で来る。
どのブログを拝見しても、猫も男の子の方が、ひょうきんな性格を持っているようだ。女の子は人に媚びず、凛としている。クーもそうであり、その姿もきれいである。但し、遊ぶのにはココのような、ひょうきん者の方が楽しいのだ。

お出迎え

2008-06-08 06:56:50 | Weblog
昨日乗り歩きから帰り、自宅に差し掛かると、出窓から外の様子を見ていたクーが窓に立ち上がり、ガラス戸越で良く聞こえぬが、盛んに声を出している。僕の動きに合わせて、出窓を移動する。門を入った時、甘ったれた声が聞こえた。「お父さんお帰りなさい」と。玄関を開けると、靴脱ぎ迄下りてきて、盛んに身体を僕の足元に擦り付ける。「クーたん只今」と言えば「ミャーウン」と返事をしてくれる。一緒に居間に入り、クーは僕が持っていた、フランスパンの入っている袋に顔を入れて中身を確かめた。クーの声で、ココも僕が帰った事が分かり「お父さん、ぼくと遊ぼうよ」言い続ける。クーは幼い頃から僕が帰宅すると、出窓や車庫の窓から出迎えてくれていた。仕事の緊張が解れる瞬間である。
猫は大昔から人共に暮らして来た。愛する事も、愛される事も良く知っている。誰が家族なのかも良く分かっている。クーを家に入れて間もない頃、命の恩人の嫁(当時は息子の恋人)を数日で、シッアーと言い家族ではないと見破った。今は孫を抱いて来る嫁を、また家族だと思っているようだ。嫁にも、孫にもシッアーは言わない。
心無い人間に捨てられ、野良になる事は、猫にとっては大変不幸な事である。猫は温かな家庭で、家族と共に暮らすのを望んでいる。

ニャン体動物

2008-06-07 06:41:47 | Weblog
ココの身体は大変に柔らかい。抱っこすれば、グニュグニュのニョロニョロになってしまう。そして、抱いた僕や家内の手をすり抜けようとしてもがく。両手だけ持って、少しぐらい振り回しても平気で、嬉しそうにしている。クーにこんな事をすれば、間違いなく怒りくるい、手を噛みつかれるだろう。
ココは大変寂しがり屋で、一人で居るのが大嫌いなニャンコだ。朝も家事の邪魔をするので、捕まえて部屋に連れて行こうとするが、すばしっこく中々捕まえられない。捕まえても、このニャン体動物は、もがいて逃げようとする。先程も何とか部屋に入れたが、仰向けにひっくり返って、お腹を擦るように要求した。
クーは邪魔されず一人で居るのが大好きな猫である。一人で静かにしている時に、手を出せば「うざったいのよ」と言う顔をする。甘えたい時には、身体を擦り付けたり、家内の膝に乗ったりするのに。ただこれが本来の大人の猫の姿であろう。
1歳半を過ぎたのに、ココはまだまだお子ちゃまなのである。しかし僕にはそれが楽しく、嬉しいのである。
今日は天気も良いようなので、これから八高線を乗り歩いてこようと思っている。

餌やり殺人事件 隠された真犯人は?

2008-06-06 10:22:00 | Weblog
昨日、川崎で野良さんへの餌やりを注意された69歳の男が、76歳の大家の男性とお嫁さんを殺傷する事件が起こった。今日はこの事件について語らせて戴きたい。
お亡くなりになった、被害者のご冥福をお祈りする。また、犯人の起した行為は、理由が何であっても、許されるものではない。
これから語る事は、全て僕の推測である。
犯人は、恋愛や結婚等無縁の、最底部から、高度成長を支えた労働者であっただろう。年をとり1間か2間の木造アパートに住み、僅かな年金で暮らしていたのだろう。故郷に帰っても、代替わりしており、自分の居場所は無い。寂しい一人ぼっちの暮らしだ。寂しさを紛らわすため、ギャンブルに走り、酒に救いを求めたのだろうか。そんな時、野良猫に出会った。彼らも住む家が無く、街を放浪する。寂しさを共感出来る相手が見付かったのだ。野良さんに食事を与え、話しかけたのだろう。近所住む猫嫌いな人は、これは大迷惑で、大家さんに話をしたのだろう。住む家を取るか、野良猫を取るかの択一を迫ったのかも知れぬ。69歳の独身男が、新たに部屋を借りる事は、大変に困難な事で、それを言われ、犯人が逆上したのだろう。
この事件のもう一人の隠された犯人は、仔猫を捨てた輩である。許せない。一人の男の人生の最終幕を滅茶苦茶にしたのだから。仔猫を捨てたやつは、法の裁きを受けることがない。動物を遺棄する事は、れっきとした犯罪なのに。無念。

隠れ家

2008-06-05 10:09:32 | Weblog
ニャンコさんは、隠れ家を持つのが大好きだ。我家では、クーもココも夫々に、台所の奥の暗い場所に、隠れ家を持っている。クーの隠れ家は、レジ袋を入れておく箱であり、ココのはその下の空箱である。この箱をクーが隠れ家に使うようになったのは、我家に来て間もない頃だから、4年以上経つ。オチビの頃なら、手足を伸ばして寝られたが、今はちじ込まっても、窮屈そうだ。しかし、クーにとっては気に入った場所なのか、時々入っては昼寝をしている。そこに近付くと、目を吊り上げて嫌な顔をする。
普段は午前中は、自分の部屋で寝ているクーが、昨日は朝からこの隠れ家に入っていた。ココが目を覚ました時僕は、台所のガラス戸を閉めた。気持ち良く休んでいるクーに、やんちゃ坊主が近付けば、その結果は見なくても分かる。それ故、昨日のココの昼ご飯は、居間で食べさせた。昨日は昼になってもクーは起きず、家内の足音で目覚めた。
午後はココが自分の秘密基地に、おもちゃを咥えて入り、一人遊びをしていた。ココにカメラを向けても怒らずに、昨日は写真目線を向けてくれたほどだった。ココはクーの隠れ家にはあまり入らない。入っても、レジ袋を一つ咥えると出て、床で転がして遊ぶだけである。

命のブログ

2008-06-04 10:03:37 | Weblog
gooに登録されている、ペットのブログは約64万件で、犬ブログ32万4千、猫17万3千件であった。その他のプロバイダーで書かれている、ワン・ニャンブログを併せれば、100万人以上の方が登録されていると思われる。みなさんのブログには、可愛いワン・ニャンの姿と、こぼれ落ちそうな愛情溢れる日記がつづられている。見ているだけで、ほんわかとこちらの心も温まる。
新聞やテレビで、殺人・自殺・虐待等の、痛ましいニュースが伝えられない日は無い。悲しい事である。ブログを見るのは、大人だけではなく、小学生や中学生の子供さんも見ていると思う。この少年・少女が、温かなブログを見る事で、自然と命の大切さを知って欲しいと僕は願っている。
今や総パソコン時代。小学生から我々60過ぎの者迄が、インターネットを利用している。ブログの中にも、子供らに見せたくないサイトもあるが、愛情一杯のブログを家族で見る事で、親子・夫婦の会話が広がると実感している。ワン・ニャンブロガーのみなさん、是非日々楽しく、温かなブログを更新願います。

ニャンコの耳

2008-06-03 09:30:13 | Weblog
クーと暮らし始める迄、猫の顔を意識して見た事は無かった。全て同じような顔をしていると思ってきた。確かに、顔の形は、どの猫でも似ている。太っている猫は、まん丸顔になっているし、痩せている猫は、尖った顔になっている。犬のように、種類で違う事は無い。
猫の耳は一部の例外を除くと、三角錐を縦に真半分に切ったものが、頭の上の左右に乗っている。この耳は、船のレーダーのように良く動いている。そんな事を知り、驚いたのも、クーが来てからである。猫の耳は、猫にとっては、情報を感知する源であろう。静かに香箱座りで休んでいる時でも、耳は絶えず動いている。ある時は、左右の耳が別の方向を向いていたり、今日の写真のココのように、片方の耳を寝かす事も出来る。猫は感情表現も顔でする。特に目と耳で感情を表す。勿論、犬のように尾でも感情は示すが。
猫の耳の内側には、ふさふさの毛が生えている。昨日は居間のテーブルで休んでいたクーの耳を触ろうとしたら「何するのよ」と怒り、手を噛み付かれた。ココぼんは、耳を触っても怒らない。耳の内側には薄茶色の毛が生えており、先端部の肉厚は、1ミリ程と薄い。日の当たるところでは、血管迄透けて見える。
僕にとっては、ニャンコさんの耳の動きも、毎日楽しく見ている。それは、クーやココだけでなく、ブログのニャンコさん全てである。

神秘な毛模様

2008-06-02 09:40:14 | Weblog
僕のように年が行ってから、猫が好きになった方は、毛模様よりも、その可愛い仕草に心を打たれるのではないだろうか。仔猫の仕草は、何とも心を癒される。だから、毛模様に目が向くのは、ずっと後になってからだ。僕もクーの顔を最初に見た時は、ユニークな顔だと思った位で、毛模様は全く気にならなかった。
ココを家に連れて来て、ココの毛模様を良く見ると、全体は薄茶色だが、濃い茶色が模様を描いている。それが、一目見ただけでは分からぬ。光の当たり具合や、撫ぜた後等で濃淡が変化する。神戸のビートさんは、この複雑で神秘的な、毛模様が素的だとおっしゃる。写真でも表わしきれない複雑さである。ましてや、絵では表現しきれないだろう。
もっと複雑な毛模様が、三毛の一種サビ模様だろう。ブログでは、ぽちもん日記(本ブログのリンク欄からご覧の程)の、しなもんちゃんがその代表だろう。最初里親募集で見た時に、僕はその複雑さにうなってしまった。サビ猫の毛模様が究極の毛模様と言えよう。その複雑な毛模様を作られた神様に、神秘を感ずるのは僕だけだろうか。
このニャンコさんの毛の一本一本は、非常に細い。クーやココの毛を見ても、細くて天眼鏡で見ても、色は全く分からない。その細い毛が束になって、あの複雑な模様を作っているのも、神様しか出来ぬ神秘の技である。

ニャンコの不思議

2008-06-01 09:11:11 | Weblog
今朝は初夏の陽射しが、部屋の中に差し込んでおり、クーやココにとっては、日光浴を楽しめる一日となる事でしょう。
昨日の午後は、前の会社のOB会が開かれ、小雨が降る中出掛けました。会には、リタイヤした先輩方20数名の方が参加されました。在職中お世話になった、ある方と話をしながら、ふとその方の携帯電話を見ると、待ち受け画面には、黒いニャンコさんが。話を伺えば、可愛がっていた、柴犬が亡くなられて、落ち込んでおられた時に、お嬢さんが見るに見かねて、お父さんを慰めようと、知り合いから、仔猫を貰って来たとの事です。仔猫は直ぐにご家族に馴染みました。その方も、猫なんてと思っていた気持ちが、その愛らしい姿に「猫は可愛いよ」と瞬間転換したとの事です。目を細めながら「猫って可愛いね」と携帯の中の写真を見せて下さいました。昨日も書きましたが、猫特に仔猫は、瞬時に人の心を変えてしまう、不思議な力を持っています。
掲載した写真を撮った後で、ココに手を出すと、甘噛みをしながら、甘えて来ました。