ラポーレの住民達

ラポーレの住民7人でブログを始める事にしました。
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坂の上の雲を見なきゃ☆

2010年12月12日 | Weblog
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎を演じた俳優、香川照之(44)。先月28日の最終回では、龍馬暗殺の場面で流れた選挙速報テロップと同様、弥太郎の最期のシーンに視聴者から非難の声が相次いだ。続いて放送中の「坂の上の雲」の第2部で演じる明治の俳人、正岡子規も今月12日の放送で最期を迎える。今度こそ立派な死に様を見せられるか?

 「龍馬伝」は、弥太郎の回想録をもとにストーリーが展開。最終回では、坂本龍馬(福山雅治)と中岡慎太郎(上川隆也)が暗殺された後、弥太郎の最期のシーンが流れたが、香川の演技はインパクトがありすぎた。

 乱れた布団の上で倒れ、目を見開いた異様な形相。「最後の最後に爆笑した」「アングラだ」「死んでいるのか、昼寝しているのかわからない」などとネットの大河ファンを驚かせた。

 髪はボサボサで歯も抜け、汚らしい格好をした青年期の弥太郎の描写には三菱グループ内の一部からブーイングもあったが、死に様にもフクザツな心境だったのではないか。


 香川は、「龍馬伝」に続いて5日からスタートした「坂の上の雲」の第2部に連投中。日露戦争で日本を勝利に導いた軍人の秋山好古(阿部寛)、真之(本木雅弘)兄弟に並び、ドラマの中心人物となる俳人、正岡子規を演じている。

 こちらは病床に伏しながら、創作を続けていた子規になりきるため、香川は17キロも減量して撮影に臨んだ。妹・律(菅野美穂)の健気な看病もむなしく、子規は34歳の若さで世を去る。

 放送記者向けの試写では「律との兄妹愛、真之との友情も丁寧に描き、とても感動的な仕上がり。子規が亡くなるシーンでは、すすり泣く人もいました」(NHK関係者)。

 香川の自己評価は「重いです! 忘れることのできない一作になりました」。真之が子規を見舞い、別れるシーンに、共演した菅野も「2人の頭が並ぶと、双子のようにも、ラブシーンのようにも見えた。2人の信頼関係に、すごいなーと思った。生き証人として同じシーンに参加できてうれしい」と感激しきり。これは期待できそうだ。

 主演の本木は思わず、「NHKは“香川照之プロモーション”的なところがある」とやっかみまじりの冗談を飛ばしながら、迫真の演技に敬意を表していた。
 

岩崎弥太郎の最後について

2010年12月12日 | Weblog
NHK大河ドラマ『龍馬伝』最終回の放送で、龍馬暗殺シーンにテロップが流れ1900件もの抗議が殺到して話題になったが、それ以外にも大きな問題が起きていた。 ある20代男性はこう語る。
 
「龍馬が暗殺され、流れたエンドロールの後に、とってつけたように岩崎弥太郎の死亡シーンが映った。あれは本当に必要だったのでしょうか」

『龍馬伝』は、「伝」という名が示す通り、後に三菱財閥の総帥となった岩崎弥太郎が、同郷の幼なじみの龍馬を回想する形で進められてきた。

 その語り部・弥太郎の死がテロップ付きで流れ、目を見開いて横たわる顔がアップになって幕を閉じたのだ。これには、岩崎弥太郎の子孫も目を丸くした。

 弥太郎の玄孫(やしゃご=孫の孫)に当たる民主党の衆議院議員・木内孝胤氏は、第1回から全話を見た。

「確かに最後の岩崎の死に方はエーッと思いましたね。ドラマは個人的には楽しませてもらったけれど、最後はあのような死に方じゃなくて、もう少し偉業を成し遂げたシーンを盛り込んでもらいたかった」

 曾孫の岩崎泰頴氏は熊本大学名誉教授で、地質学・古生物学の権威。「(弥太郎は)病院に入院して死んだと私は聞いていたのですが……。3代も前のことで『龍馬伝』の岩崎像が事実かどうかもわかりません」

 史実はというと、弥太郎は胃がんのため50歳でこの世を去った。

 晩年は六義園(岩崎家別邸)で療養していたが、明治18年(1885年)2月7日の夕刻、家族と主だった部下を病床に集めて激痛に耐えながら遺言を告げ、息を引き取った。

最期を看取った医師によると、「多くの人の臨終に立ち会ったが、かくの如く森厳な力のある遺言を述べ、従容自若、死に対した人を見たのは初めて」(『岩崎彌太郎傳』)だったという。

『岩崎弥太郎と三菱四代』(幻冬舎新書)の著者、河合敦氏はこういう。

「弥太郎の最期は状況がはっきりしているので、ドラマは完全に作り話です。フィクションとはいえ、見た人の中にはドラマの内容が史実だと思ってしまう人も多いでしょうね。