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📖『湯川秀樹の戦争と平和』と、日本の読者の皆さんに と「岩波ブックレット」刊行のことば

2022-08-27 22:35:33 | 日記
(👨2022年9月2日(金曜日)。
たまたま薄い携帯ラジオでニュースを聴いた。
朝7時半のえぬえいちけいラジオニュースで
トランプ元米大統領が
ホワイトハウスの機密文書を持ち出したという理由で
トランプ元大統領の自宅を
米FBIが家宅捜査した、
というニュースが取り上げられていた。

FBIだって、
政府だって、
警察だって人間だから
完璧じゃない。
調べる立場の人々が
わるいことをする場合もある。
「調べる側はいつも正しい」
という先入観を
僕自身はすでに自分の観念から取っ払(ぱら)っている。

なぜなら中ごくを見てごらんなさい。
香港を見てごらんなさい。
政府が、国家警察が、
国民を(市民を)いじめたり、
暴力をふるっているではないか。
アメリカという国は
その点でいえば
中ごくのように人々に
あからさまに暴力をふるうことはないが、
中身は非常に共産主義的で自分勝手で
似たり寄ったりなのかもしれない。

だからトランプさんが
機密文書を持ち出すことは違反だが、
持ち出さねばならない理由があったのかもしれない。
そしてその機密文書を
持ち出されて困るのは実はFBIだった、
などということもないとは言えない。

日本政府のかたちは『対米従属の構造』だ。
一方、日本のえぬえいちけいは、
中ごくと親しいと言われている。
えぬえいちけいは、中ごくと親しいなら
その友好力を善いほうに使ってほしい。
中ごくに電話かメールをして
「日本も巻き込まれる『台湾有事』を何とか起こさないで欲しい。
ぜび外交で解決しましょう」と伝えるべきだ。
それを言わないのなら、
今まで何のために中ごくと仲が良かったの❔ 
自分たちだけの損得だけで、
日本国民の生死は考えてないの❔

いったいえぬえいちけいは、
FBI(現アメリカ政府)か❔トランプさんか❔
どちら寄りに立って報道するかな❔と思って
僕がドキドキしながら聴き進めていると、
アメリカ政府とFBIを明確に批判したニュースではなかったが、
アメリカの現状はこのままではどうしようもない、
と感じさせるニュースで、
えぬえいちけいがトランプさんのほうに
頑張って欲しいと思っている趣旨であることを
僕が暗に感じとったニュースだった。
トランプ元大統領に対して
米国民の期待が持たれているという内容だった。

👩機密文書を入手して
公開文書にしないと
人々に真実が伝わらない。
ディープステートがこれまで
さまざまな戦争や原爆、水爆、
放射能などで失わさせてきた(奪ってきた)尊い人命、
武器や核兵器に使用したおカネの金額。

機密文書を持ち出した罪など、
失った人命、人々の苦しみと比べれば
罪の「つ」の字にもならないと思った。

👧トランプさん、次の選挙まであと少しです。
どうかアメリカ政府に暗殺されないように
くれぐれも気をつけてくださいね。

👩殺された人はみんな自分の国、ひいては
世界を善くしようと努力した人。
善き人は早く逝(い)く。
残った人はわるもの。
トランプさんを殺したら、
自分の国を善くしてくれようとするひとを
殺すのだから、
アメリカっていう国は本当にわるい国。
中ごくを善くしようと努力した、
ノーベル平和賞の劉暁波さんを殺した中ごくと
中身は何ら変わらない。

👨この期に及んで
トランプさんを有罪にしたら
自分の国を有罪にしたようなもんで、
アメリカ、バカだよ。
善い国にしてくれようとしているのに。
わるい人々は、
そうやって、
善いことをする人の
芽を潰す。
👩世界の人々のことなど
なんも考えちゃいやしない。
自分たちがどう繁栄するか、
自分たちがどう逃げ切るか、
それしか念頭にないのだろう。)




「いちばん大事なことは、
歴史をきちんと勉強すること。
放射能というものがこわいものだということが
『ビキニ事件』(1954年)で判明してきたんです。」
(第五福竜丸乗組員)
ユーチューブ
[検証]第五福竜丸被ばくは
アメリカの人体実験だった?
ABEMAニュース公式
8月13日2022年

(👨でも、歴史が改竄(かいざん)されていたのでは
どうするすべもないよ。)


p.52
ビキニ事件に際して
米国がマーシャル諸島のビキニ環礁(かんしょう)の核実験場で、
1954年3月1日におこなった水素爆弾実験は、
事前に発表した危険区域外にいた、
マグロ漁船の第五福竜丸など
多くの漁船や周辺の島民たちに、
甚大な被害を及ぼす威力のものだった。
延縄(はえなわ)漁業の準備をしていた第五福竜丸の乗組員は
夜明け前の西の空に突然の閃光(せんこう)を見た。
2時間ほどあとになって白い灰が大量に降り注いできた。
これは、爆発の高熱によって融(と)けたサンゴ礁に大量の放射性物質が付着して、
上昇気流のきのこ雲とともに上空に舞い上がり、
風下に流れて灰となって落ちて来たものだった。
操業を直ちに中止して、
🟣帰国の途(と)についた第五福竜丸の乗組員は、
🟣その日の夕方から身体の異常に苦しんだ。
🟣母港の静岡県焼津に3月14日に帰着し、
💀マグロは出荷され、(👩なぜ出荷❔)
🟣乗組員は医師の診断を受けたのだった。

この事件は、(3月)16日の「読売新聞」のスクープによって世界が知ることになった。
見出しには次のように書かれている。
「邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇」
「23名が原子病 1名は東大で重症と診断」
「水爆か」「『死の灰』つけ遊び回る 焼津の21名」「東大で精密検査 きょう権威が集まって」「灰の検査が急務」「焼けたゞれた顔 グローブのような手 ひん死の床(とこ)で増田さん語る」🟣「原爆より数十倍の被害」(👧ヒロシマ・ナガサキに原爆投下しておいて懲りずにまたやるか‼️アメリカ‼️)

湯川(秀樹)は日記に次のように書く。
(中略)
ここに出てくる(湯川の)特別寄稿「原子力と人間の転機」(東京版では3月31日)は、直(ただ)ちに(=すぐに)英訳されて3月31日の『The Mainichi』に掲載された。
ここで湯川は、次の趣旨の文を書いた。

「原子力の脅威から自己を守るという目的は、
他のどの目的より上位におかれるべきではなかろうか。

人類の各員が
運命の連帯に深く思いをいたし、
原子力の脅威から
自己を守る万全の方策を案出し、
それを実現することに、
今までよりも遥かに大きな努力を払わねばならない段階に入ったのである。

私(湯川秀樹)は科学者であるがゆえに、
原子力対人類という問題を、
より真剣に考えるべき責任を感ずる。
私は日本人であるがゆえに、
この問題を考えるということと、
決して矛盾してはいないと信ずるものである。」

『毎日新聞』の担当者は、
「この原稿執筆を思い立った同博士(湯川秀樹博士)の
『危機感』は一層切実なものがあるようで
「今回の事件に関し私(湯川秀樹)は何も語るまいと思っていたが、
🌕️よく考えてみればこれは日本人だけの問題ではなく
🌕️世界全人類に関する重大事(件)だ。
🌕️私はこの際私としての考えを述べ
🌕️世界の人々に訴えるべきだと思うようになった」
とその心境を語っている」
とこの寄稿のまえがきに書き残している。
実際、湯川はこれ以後、各地で
核兵器の廃絶について
繰り返し講演をおこなったのだった。

ラッセル・アインシュタイン宣言と
マイナウ宣言

ビキニ環礁の水爆実験に遭遇し、
降り注いだ大量の白い灰によって
乗組員の身体に異常があらわれた第五福竜丸が帰国して、
医師の診断を受け、
新聞に大きく取り上げられてから、
日本の科学者は
「死の灰」と呼ばれることになったこの粉末を、
昼夜兼行で(夜も寝ないで)分析した。
急いだ理由は2つあった。
1つは、寿命の非常に短い放射性物質は
短時間で別の物質に変わっていってしまうことである。
もう1つは、乗組員が入院した東京大学附属病院から、治療方針を決めるために、速やかな分析を依頼されたこともあった。

(👩ねえ。アメリカはまぁた、知りたかったんだね。
水爆が人体にどれくらい影響があるかを。人間は魚じゃないぞ‼️その汚染された魚だって一か所にずっといやしない。回遊して泳ぐんだから色んな国の人間が食べるんだぞ‼️わかってんの‼️
あ、📽️『クリスマスツリー』という昔の洋画を思い出した。
👨ハワイの海で泳いでいた坊やが核実験で被爆した話。
👩シベリアンハスキーが2頭登場してさ。
👨あれは白いオオカミだったと思うよ。
👩アメリカは自分の国の子どもたちもどうでもいいのか❔
アメリカは、1919年『各国の指導者は国民を宝とせよ』と言った国連演説を忘れたの⁉️
👨ママ‼️
👧68年前のことに、今更ながら立腹しております‼️)

👿💀分析の結果多くの種類の放射性物質が検出された。
(中略)

p.58
この宣言にわずかに遅れて
(1955年)7月15日には、
湯川も著名者18人によるマイナウ宣言が、
リンダウノーベル賞受賞者会議で発表され、
年末までに52人のノーベル賞受賞者が賛同した。
この宣言は、次のように述べていた。

「吾々(われわれ)は、
科学が人類社会に自身を破滅させる手段を与えてしまったことに慄然(りつぜん)としている。
今日(こんにち)、軍事利用することの出来るすべての兵器によって、
すべての人類を滅ぼすほどに地球を放射能で汚染することができる。
中立国も交戦国と同じように滅びてしまうだろう。

すべての国が、政治の最後の手段として暴力に訴えることをやめることを自主的に決意しなければならない。

☢️もしそうしなければ、
☢️その国は消滅することになる。」

マイナウは、リンダウと同じボーデン水海の北西側のドイツ領の小島である。
ここで起草されたので、
宣言の名前となったのだ。
(👴👨👩👧そのあと、どうしたの❔
この宣言は今もあるの❔)

p.59
世界平和アピール七人会議

ラッセル・アインシュタイン宣言の4か月後の1955年11月11日、
日本で下中弥三郎の提唱によって、
この宣言を支持するグループが誕生した。
世界平和アピール七人委員会である。

❇️下中は、出版社である❇️平凡社の創立者であり、
前年に世界連邦建設同盟の理事長になっていた。
下中は、
湯川、
平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)、、茅誠司(日本学術会議会長)、
上代たの(日本女子大学長)、
上村環(日本YWCA(キリスト教女子青年会)会長)、
前田多門(ユネスコ日本国内委員会会長)の賛同を受け、
人道主義と平和主義に立脚する不偏不党の有志七人の集まりであることを確認して活動を開始した。

最初におこなったのは
「国連第10回総会に向けてのアピール」である。
❇️日本国憲法、特にその前文を踏まえ、
❇️核戦争による人類の絶滅を避け、
❇️戦争を廃絶するには、国連(🇺🇳国際連合)を改組して
❇️世界連邦に発展させるべきだと
❇️国連事務総長と国連総会議長とに求め、
🌍️🌎️世界81か国の元首、または首相にコピーを送った。
日本国内では首相と衆参両院議長に届けた。
(👴世界連邦の設立は、パナソニックの松下幸之助さんも述べていたな。)

このアピールは、国内の新聞、ラジオ、テレビで
大きく取り上げられた。日本の国連加盟実現の前年だった。p.60
湯川は熱心に討議に参加した。(図3-2 1957年9月9日,世界平和アピール七人委員会と日本学術会議の会合にて(日本で二人目のノーベル賞受賞者)朝永(振一郎博士)とともに(笑顔で映る湯川秀樹博士)。

湯川の存命中の国内外へのアピールは77点に達する。(77点にものぼる。)
内容は、
①核兵器実験への抗議をはじめ、
②1960年の日米安保条約批准(ひじゅん)問題を巡る国会の正常化の要望、
③1962年のキューバ危機打開のための国連事務総長激励、
④原子力潜水艦寄港再検討の要望、
⑤ベトナム戦争の平和的解決の要望、
⑥原爆被爆者援護法制定の要望、
⑦1967年の中東戦争の停戦要望、
⑧「核アレルギー・核の傘」論への反対、
⑨チェコスロバキアへのソビエト連邦と東欧4か国の侵入への抗議、
⑩沖縄の即時無条件返還の要望、
⑪1969年の国連軍縮委員会への要望、
⑫日中国交回復の要望、
⑬1972年度からの5年間の第4次防衛力整備計画反対、
⑭核拡散防止条約(NPT)の批准要望など
広範囲にわたっている。
(中略)
p.61
世界連邦思想

世界平和アピール七人委員会発足に際し、
下中(出版社平凡社の創立者)はほかの6人の委員に
❇️世界連邦建設同盟の顧問(こもん)就任を依頼し、
6人とも受諾(じゅだく)した。

(参考 📖『下中弥三郎 アジア主義から
世界連邦運動へ-』
中島岳志 著 2015/03/20 平凡社 等 )

湯川は、すでに述べたように1945年には世界は1つにならなければならないという和歌をつくっていたから(51ページ)、

(湯川博士の和歌)

❇️天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今
(あめつちの わかれしときになりしとふ げんしふたたびくだけちるいま)


❇️今よりは世界ひとつに とことはに 平和を守るほかに道なし
(いまよりは せかいひとつに とことわに へいわをまもるほかにみちなし)

❇️この星に人絶えはてし後の世の永夜清宵何の所為ぞや
(このほしに ひと たえはてし のちのよの 永夜清宵(えいやせいしょう)なんのしょいぞや)

p.61
❇️世界の国々が互いに独立を保ちながら地球規模の問題を扱う一つの民主的な政府をつくることを目指す、世界連邦の思想に共鳴した。

湯川は、のちに「核時代から世界連邦時代へ」(『世界連邦運動20年史』世界連邦建設同盟、1969年)の中で、❇️世界連邦につながる思想家は、❇️日本にも明治の初期以来、
❇️小野 梓、
❇️植木枝盛(えもり)、
❇️中江兆民、
❇️尾崎行雄、
❇️賀川豊彦、
❇️下中弥三郎などがおり、
(👩突然ですが、メディアは、
戦争で儲ける人たちのほうではなくて、
このような平和を希求する人たちの考え方と意見を
国民に伝えるべきだと思います。
戦争をする、核を持つほうに
国民の気持ちを誘導してどうするよ‼️
おおばかものが核のボタンを押して、
全世界が滅亡するだけだろう‼️)

(世界連邦につながる思想家は、)
………下中弥三郎などがおり、
❇️西欧にはもっと古くから、
❇️エマヌエル・カント、
❇️シャルル・イレネー・カステル・サン=ピエール、
❇️ウィリアム・ペンなどの思想かがいて、
(👩軽率に❇️をつけて良いのだろうか❔)
(📖『タイムマシン』📖『宇宙戦争』などの著者)H.G.ウェルズのごときは
世界連邦が出現した姿を小説に書いていると述べている。
(👩H.G.ウェルズのウィキペディアを読むと、
社会主義に傾倒し、
1902年にはジョージ・バーナード・ショーの紹介で
社会主義団体であるフェビアン協会に参加。
ウェルズは第一次世界大戦の前に原爆を予見し(て書い)た、
📖『解放された世界(英語版)』を発表。
第一次世界大戦後、戦争の根絶をするために
国際連盟の樹立を提唱し、
ワシントン会議に出席。
『新世界秩序』では、
全ての国家に人権の遵守と
軍隊の非合法化を訴えた。
ウェルズは『優生学』を良しとした。
(👩ウェルズは湯川博士たちの『世界連邦』とは考えが違ったのではないか❔)
ウェルズは、ウッドロウ・ウィルソン(ロシア革命が起こった当時のアメリカ大統領)に直談判したそうだ。しかし、ウッドロー・ウィルソンの側近には、
①マンデル・ハウス大佐(ユダヤ系の社会主義者)、
②バーナード・バルーク(ユダヤ系財閥出身)、
③ウォルター・リップマン(ユダヤ系ジャーナリスト、ダヴィストック研究所出身)、
④エドワード・バーネイズ(ユダヤ系ジャーナリスト、ダヴィストック研究所出身)
などがいた。
ダヴィストック研究所は、もともと第一次世界大戦直前に
ドイツとの戦争の開戦に反対するイギリス国民を翻意(ほんい・考えをひるがえ)させるための宣伝攻勢をかける目的で設立された組織と言われています。わかりやすく言えば世論操作機関です。この研究所で働いている二人がウィルソン政権に加わり、大統領直属の広報委員会で活躍します。彼らはアメリカ世論を対ドイツ参戦に導く宣伝工作を行ったのです。

ウィルソンは1916年の大統領選挙のときにに、
「アメリカはヨーロッパの戦争に参戦しない」と約束して再選された大統領です。その彼が、1917年にはアメリカを参戦させました。そこには彼を取り囲むユダヤ系ネットワークの意思が働いています。
(👩H.G.ウェルズは、ウッドロー・ウイルソン大統領に戦争根絶の直談判をしてもウィルソン大統領の側近にはディープステートがいました。)

📖『生の黙示録 日本国憲法
H.G.ウェルズとルーズヴェルト大統領の往復書簡から』
浜野 輝 2013/05/27 日本評論社
👩ウェルズはルーズベルトと何を話したのか❔
「戦争をやめるための戦争」などと言っている。
「タバコをやめるための最後のタバコ」みたいなもんだ。
タバコを吸い続けていてはタバコはなかなかやめられない。
👨うまいこと言うね。つまり「言い訳」なんだね。
👴酒をやめるための酒。
👧もう戦争も、病院に行かなければやめられないんだよ。
自分一人の力ではやめられない。核もね。
👩断戦争。断核。)

p.62
主題は「戦争のない一つの世界」とされた。
湯川は基調講演において
🌕️「戦争の発生を不可能にするための最も確実な方法は、
すべての国が戦争する権利を放棄することであります」と述べた。

(👩それと、各国の国民がディープステートからのお金と厚待遇に負けずになびかないこと。
これがいちばん難しいよね。
👧湯川秀樹博士は、ディープステートの存在を知っていたのかしら❔
👨それは博士に聞いてみないとわからない。
でも、湯川博士が出した答えは、一貫して
ディープステートのやり方の正反対の世界平和だ。
世界統一ではなくて世界平和。
ディープステートがいようといまいと、
湯川秀樹博士の平和への希求と、
核への根本的な懸念(心配)は変わらない。)

(湯川博士は、これ(=戦争する権利を放棄すること)が実際に実現されてきた事実があるとして、
🌕️❇️日本国憲法九条と前文を紹介し
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」のは
「他の諸国民が政治道徳の法則を守ることを期待し、
それによって自国の安全を保持し得ると信じた」ためであり、
「軍備と交戦権を持つ国々の集まりとしての人間の人類社会が、
軍備を捨てて戦争を放棄し、
その代わり🌕️世界法を忠実に守る国々の集まりとしての人間社会へと変ってゆくこと」、
すなわち🌕️「世界連邦は実現されるべき」であり「それは実現されるであろう」と、期待を述べた。

この大会では、
🌕️「世界法による世界平和」
🌕️「軍縮と経済」
🌕️「世界連邦の道義的側面」
🌕️「世界連邦到達への諸方法」が議論されたが、
これらはどれも湯川が関心を持ち続けていたテーマだった。

(中略)

ここでは国連が多くの有益で価値のある貢献をしていることを認めたうえで、
さらに強化された国連が必要と考え、
改革提案をまとめて次のような声明を発表した。

p.63
①軍縮をおこない、各国は、国内秩序維持のため軽装備の警察軍だけをもつ。
②国際平和・安全を維持するための常設国連軍と、国連査察制度が必要。
③👉️👏👏安全保障理事会における拒否権の廃止を含む投票制度が必要。
④十分な歳入制度が必要、
など
これらの改革には国連憲章改定が必要なので、
国連憲章第109条の検証再審議規定に基づく国連憲章再審議会議の早期開催を求める。現実には多大な困難があるが、この改革をおこなわなければ世界の危険性はさらに大きい👈️👈️

湯川は1965年世界大会で世界連邦世界協会会長を辞任し、名誉会長に推(お)された。任期中も、その後も、世界各地で世界連邦の重要性と期待を説き続けた。

(👩本(岩波ブックレット)を読み進めていくうちに
また大好きな人ができてしまった‼️
👨誰❔
👩湯川秀樹博士。
👨いいよ。許すよ。エロスじゃないんでしょ、
アガペーでしょう❔
👩そうよ、尊敬の愛、リスペクト。)

ラッセルもアインシュタインも長年の間、
熱心な世界政府主義者だった。

p.64
憲法問題研究会

1958年8月に、
岸信介(👩アメリカのエージェント)内閣は
憲法調査会を設置した。その委員構成は、
定員50人中の40人近くが憲法改正賛成者であり、
🟣最初から改憲意図が明白だった。
そのため、国民の多くの考えを反映していないと考えた広範囲の大学人、
作家、
批評家たちが、
1958年5月に発足させたのが、
憲法問題研究会だった。
①湯川は8人の発起人の1人だった。
他の発起人は、
②大内兵衛(経済学)、
③茅 誠司(物理学)、
④清宮四郎(憲法学)、
⑤恒藤 恭(法哲学)、
⑥宮沢俊義(憲法学)、
矢内原忠雄(経済学)、
⑦我妻 栄(民法学だった。

憲法問題研究会の目的は、
憲法の基本原理とその条章の意味を
できるだけ性格に研究し、
憲法改定についての関心を促し、
国民各層の参考に供したいというものであり、
月例研究会、
5月3日の憲法記念講演会、
ときどきの声明などの活動を続けた。
湯川の1965年5月3日の憲法記念講演会の講演
「日本国憲法と世界平和」の草稿が
『世界』1965年6月号(『著作集5』に収録)に遺(のこ)されている。
短い文章だが、本書で縷々(るる)説明してきた湯川の思考の真髄が凝縮している。
本来はぜひ前文をお読みいただきたいが、
部分的に引用しながら
論旨をたどることにする。

「原子爆弾の出現(略)までは、
真理のために真理を探求するという
純粋な気持ちで研究に専念するのが、
学問の進化のために、
そしてそれが
引いては人類のためにも、
日本のためにも、
もっとも大きく貢献する結果となるであろう、
と固く信じていた。
(略)🟣🌕️ところが、原子爆弾の登場によって、
物理学とヒューマニズムとが切り離された別々のものでないことが明白になってきた。
(略)そういう心境にあった私にとって、
🌕️新しくできた日本国憲法は大いに歓迎すべきものであった。
(略)日本国憲法は、あたかもその後における🟣大量殺戮兵器の急速な発展と、
それに伴う🟣人類破滅の危険性の増大とを🌕️予見していたかのごとき内容を含んでいたのである。
(略)とくに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という一句は、
未来を洞察する人間の大きな知恵が潜んでいることが、
だんだんと明白になってきたのであった。(略)
ラッセル・アインシュタイン宣言が公表される数ヵ月前に、
ラッセル氏からその草案が送附され書名を求められたとき、
(略)❇️日本国憲法を想起したのである。
(略)(ラッセル・アインシュタイン)宣言が戦争の廃絶を呼びかけているのに対して、
❇️(日本国)憲法はすでに日本がみずから戦争を放棄することによってこれに応(こた)えていたのである。
(略)🟣強大な国々自身にとっても果てしのない軍備の競争は、
だんだんと耐えがたい苦痛、背負いきれない負担となりつつある。
まして、それ以外の国々にとって、
🟣軍備とははたして何を意味しているのか。(略)
(👩軍備とははたして何を意味しているのか⁉️)

日本国憲法の前文は当然すぎるほど当然のことを言っていたと結論せざるを得ないのである。
(略)🌕️憲法第九条が非現実的であるどころか、
今日すでに、そして将来はなおさら、日本国民が自らを助けるためにとるべき唯一の現実的態度であることが、いよいよ明白になってきたのである。(略)
このことを、人類自らを助けようとする決意と努力をうながし強化するのに役立たせることができたならば、
日本人が人類の歴史のなかで
大きな役割を果たしたこつとになるであろう。」

憲法問題研究会は18年の間活動を続け、
会員の死去と高齢化が続き
1976年に幕を閉じた。

p.66
パグウォッシュ会議と科学者京都会議

ラッセル・アインシュタイン宣言は大きな反響を巻き起こした。
そこでラッセルは、既存のいかなる組織とも無関係の、個人の資格での科学者会議を計画した。
会議開催地について、インドのネール首相からニューデリー案や、米国の実業家サイラス・イートンから生誕地であるカナダの漁村パグウォッシュ案、その他が届いた。ラッセルは、1957年1月のインド開催を計画し、出席候補者に招待状を送った。

ところが、1956年10月に、スエズ危機と
ハンガリー動乱が起こり、実現できなくなった。
そこでイートンから旅費や宿泊施設の援助を受けて、パグウォッシュ村で開催することになったのだ。議題は「原子エネルギーの(平和的、軍事的)利用の結果起こる障害の危機」「核兵器の管理」「科学者の社会的責任」だった。

個人の資格での出席といっても米ソの対立の中で、成功が確実だったわけではなかった。しかし、議論が継続が継続となった「核兵器の管理」以外の議論については意見が一致し、二人を除いて一致した声明を出すこともでき、予想以上の成功だった。日本からは、
湯川、
朝永、
小川岩雄(湯川の甥)の物理学者3人が出席し(図3-3)、帰国後、日本でも議論していくことになって日本グループが誕生した。その最初の活動は、日本から誰も出席できなかった第2回会議(1958年)に21人の物理学者が連名で意見を送ることだった。そこには20代で大学院生だった私の名前(小沼通二 氏)も含まれている。
🌕️❇️日本では、核時代の物理学者は、
🌕️科学と社会の問題を
🌕️政治家や外交官(👩たとえばディープステート)だけに任せることなく、
🌕️自分たちも考えていかねばならないと考え、
🌕️折に触れて勉強会を開催した。

湯川は第1回会議のほか、オーストラリアで開催の第3回会議(1958年)と英国で開催された第九.一〇回会議(1962年、図3-4)に出席したが
🌕️次第に違和感を持つようになった。

パグウォッシュ会議では
(核兵器の)根本的な問題とともに、
(核兵器の)当面の危険性をどのように減らしていくかもぎろんされたのだが、
🌕️湯川にとっては後者(=核兵器の根本的な問題のほう)がはるかに大切だった。
(湯川博士は)英国から帰国後の感想の最後を

「科学者が(略)「現実的」と称する立場を、
将来も固守(固く守り)続けるならば
パグウォッシュ運動もやがて、
その存在意識を失ってしまうのではないかとさえ心配されるのである」と結んでいる。
(❇️「科学者の責任」、
❇️岩波新書『平和時代を創造するために』
❇️『著作集5』など)。

(👩こんだけ長く、たくさん湯川秀樹博士の文章を読まなければ、
なぜ核を持つことが間違っているのか愚かなわたしにはわからなかった。
核の恐ろしさをいちばんよく知っている博士らが核は絶対にダメだと言っているのだ。
👨攻められるから軍備を増やそうとか、
核は威嚇のためにもつべきだとか、
そんなに軽率に決めてはならないと思った。
そう思ってしまう僕の心は恐怖に負けて弱く、
「生き残りたいなら軍備を増やせ、
核を持つのだ」という戦争プロパガンダ、軍備拡張プロパガンダ、核保有プロパガンダの映像と言葉にまるめこまれているだけなんだ。
人間が外交で戦争を回避できないわけがない。)

初期のパグウォッシュ会議の出席者は
自然科学者が大多数だった。
東西冷戦の中で
🟣「戦争の論理」の破たんを指摘するためには
自然科学者が主役を演じることが有益だった。
しかし❇️「平和の論理」の発見と構築に重要な役割を果たすには、
🌕️人文社会科学者も含めて議論しなければならない。
こう考えて、
湯川秀樹、
朝永振一郎、
坂田昌一がラッセル・アインシュタイン宣言の精神に共感する人たちに呼びかけて、
日本で1962年に発足させたのが、
❇️科学者京都会議だった。
その第1回会議の声明には
次のように述べられている。

「私たちの思考は、
国家権力だけを絶対視する現状を越えて、
新しい次元に向かって開かれなければなりません。
核兵器戦争で如実に示されている
❌国家利己主義を打破するためには、
🌕️高い道義的理念と
それに基づく新しい法秩序を、
広範囲な視野に立って検討することが
きわめて有意義であると考えます。」

(中略)

p.69
1975年9月1日に次の趣旨の
「核抑止を超えて--湯川・朝永宣言」
がつくられた。

ラッセル・アインシュタイン宣言の精神に基づいて、
私たちは、人類の一員として
すべての人々に訴えたい。
核兵器の脅威はますます拡大している。
軍備管理という枠組みの中で
努力と苦心が積み重ねられたけれども、
その基礎には❌「核抑止による安全保障が成り立つ」
という誤った考えがある。
🌕️核抑止という考え方を捨て、
🌕️発想を根本的に転換する必要がある。
🌕️今日の時点で最も急を要する課題は、
🌕️あらゆる核兵器体系を確実に廃絶することにある。

(👩核が1発落ちてからでないと
わからないのでは遅いのです。)

❇️究極目標は、
❇️人類の経済的福祉と社会正義が実現され、
❇️自然環境との調和を保ち、
❇️人間が人間らしく生きることのできるような
❇️新しい世界秩序(ディープステートの新世界秩序ではないよ❗)を創造することである。
🌕️私たちは、全世界の人々、
🌕️👉️特に科学者と技術者に向かって、
❇️私たちと共に進まれんことを訴える。
(👨ディープステートや、独裁国のところのおかかえ科学者と技術者さんへ。)
第一歩として、
⭕国政府が核兵器の使用と威嚇を
⭕永久にかつ無条件に放棄することを要求する。

この宣言に対し、個々のシンポジウム参加者に賛同を求めたところ、国内から参加者全員と海外からの参加者の大部分が賛同して署名したのだった。(英文の宣言は、1975に発表され、日本語訳と署名者リストは、岩波新書『核廃絶は可能か』などに収録)。湯川はパグウォッシュ会議への期待を最晩年まで持ち続け、節目の機会にはメッセージを送った。
1981年6月には京都で第4回科学者京都会議が開かれた。
声明の一部を見よう。

政府は「核抑止論」から脱却する必要があると思います。
私たちは、日本政府が世界に向かって核軍縮実現のための具体的提案を積極的に行うべきであると考えます。そのような提案には、少なくとも次の二点が含まれるべきであります。
一、核保有国は核非保有国に対して核兵器を決して使わない、あるいは使うといって威嚇するようなことはしないという取極め(とりきめ)を国連の場で行う。
二、核超大国はそれぞれが期限と数量を明示して核兵器の一方的削減を国連で宣言し、核非保有国を含めた会議において上記期限と数量について、真剣な討議を行う。
最終の目標は、すべての国の安全がそれぞれの国の軍備を必要とすることなしに保障されるような世界システムを樹立することであります。(岩波新書『核廃絶は可能か』)


湯川は、体力の限界の病身を押して、
朝の会議と終了後の記者会見に出席し、
核廃絶と新しい世界秩序を強く求めた。

その10日後の日付の「平和への願い」は
🌕️⭕❇️「核兵器は悪である」から始まり
「核兵器を根絶し、平和な世界をめざす「世界連邦」構想は、
けっして夢ではありません。
人類が本当に平和を願い、
幸せに生きることを望むかぎり、
道は必ず開けると信じます」と述べ
「この度の「第4回科学者京都会議」の声明を、
ひとりでも多くの方が支持され、その活動が
の輪が広がることを、病床から訴えます」
と(湯川秀樹博士は)結んでいる。

8月17日には『理論物理学の進歩』の編集会議に出席。
終了後、私たち(このブックレットの著者小沼通二 氏)数人と一緒にいつも仕出し弁当を取り、話が続いた。この日は、私(小沼氏)がちょうどポルトガルで開かれた国際会議から帰国したところだったので、R.ファインマン(米国の理論物理学者。1965年、朝永振一郎と共にノーベル物理学賞を受けた)から湯川の近況を聞かれ(湯川博士へ)「よろしく」といわれたこととか、会議の様子などを話した。さらには、ポルトガルとスペインの違いが話題になり、
(湯川秀樹博士の著者📖)『旅人』のドイツ語訳とフランス語訳が進行していて双方の翻訳出版社から手紙が来ていたので、返事の下書きを3週間後の編集会議の日までに用意しておくことを(小沼氏は)引き受けた。

湯川(秀樹博士)の永眠は、その3週間後だった。

(👧湯川博士、お返事の下書きを読めたかな❔)

👨そうだ❗核根絶をあきらめてはならない。
「2022年9月1日、
こんなひどい世界だから日本もいつ侵略されるかわからない。
そのときのために日本も軍備を拡張し、そして核を持つべきだ」
という考え、その考えに日本人を誘導することこそ、
アメリカと日本政府とメディアからの戦後最低最悪の戦争プロパガンダなのだ。
そしてそのプロパガンダは、最終的には世界の滅亡への誘導なのだ。
👴「核を持つべきだ❗」などという言葉は
核とはいったい何か(=最終的には全世界を滅亡させ、二度と再生させない世界最悪の凶器)
ということを何も学ばずに
軽々しく口にするべき言葉ではない。
👩核とは、世界中でいちばん忌み嫌われるべき言葉だから。)




📖『湯川秀樹の戦争と平和
ノーベル賞科学者が遺した希望』
小沼通二 著
日本初のノーベル賞受賞者は
なぜ軍事研究に関わり、戦後、
平和運動に身を捧(ささ)げたのか?
岩波ブックレットNo.1029
620円+税







日本における平和。
憲法9条の在り方が今見直されようとしている現在を生きる我々はどのように平和と向き合い、戦争を遠ざけていくのか。
アメリカから見れば日本の平和は与えられた平和。
しかし、核兵器の運用まで携わった筆者はそれでも日本は平和であるべきだし憲法9条の意義をアメリカ人の目線から改めて守るように訴える。
その為に国家が秘密裏にどのような考え、実行しているのかを市民は知り、考える材料を持つことの大切さを筆者は説いている。

与えられたものが偽りの平和と考え憲法9条を放棄するのか。
偽り平和と言われようが日本人は過去の戦争から平和を希求する民族に変化したと考え、その平和を大切に守り続けるのか。

今わたしたちの平和と戦争の携わり方が問われている

p.102
日本の特定秘密保護法について

この法律の成立が急がれた理由はなんでしょうか❔
公的機密に関する日本の法令はすでに整備されています。
新法の制定自体もさることながら、
🟣十分な議論や国会の慣習に即した審議もなしに、
🟣憲法に違反するやり方で国会を通過させる必要があったのでしょうか❔
🟣外交及び国内政策の両面において民主主義と憲法に反する日本政治の方向性を防御するための立法としか、私には見えません。
外国の敵というより
🟣国内の批判から情報機密を保護する狙いです。


p.95
日本の読者の皆さんに


憲法第九条と自衛隊の現実


日本がめざすべき道は、
憲法第九条から託(たく)されているように、
紛争の非暴力的な解決を基本として、
あらゆる不測の事態の解決に立ち向かう国々の一員となることです。
第九条を支持する日本の皆さんは、
自分たちの憲法に書かれたその条項を誇りに思う権利があると思います。
そして、
『第九条の存続にむけて懸命に奮闘する』、
これが
愛国心の基本的なありかたであるはずです。

日本という国は、
政策遂行(すいこう)の手段としての戦争を放棄することを
憲法で定めた例外的存在なのです。
日本がその条項を破棄して他の国々と同様になるとすれば、
ベトナムやイラクはじめイエメン、
ソマリア、スーダンなどあらゆる地域で、
🟣軍事力を理不尽なまでに使用しているアメリカのような国になるということです。

日本は第九条の存在によって、
政策手段としての戦争を放棄するという理念(=❇️国連憲章の理念に通じるもの)を守るうえで有利な状況にあります。
日本がその理念に従って行動するなら、
(日本は)世界の先例となり、
励ましをあたえる標識灯(ひょうしきとう)の役割をはたすことになるでしょう。

私がこの数年、発言してきたように、
いわゆる自衛隊が拡大して、
イラクに関与することで自衛の範疇(はんちゅう)をこえてしまいましたが、
🌕️いまならまだ、この方向を反転させ、
大多数の日本人が半世紀を超えて支えてきた憲法の諸問題に立ちもどることも可能です。

仮に憲法がそうした行動を認めていたとして、
日本人が加担したかったと望むような紛争が過去半世紀にあったでしょうか❔
私が日本人であると仮定して、
参戦しなかったことが悔(く)やまれるような紛争は思いつきません。

ベトナム戦争の時代に、強烈な印象によって私の人生を変えてしまったあの若者には、
良心的な拒否者になる選択だけでなく、
非暴力的な仕事を担(にな)う一員として軍隊に入る道もあったことを忘れてはいけません。
たとえば、過去の戦争をであれば、担架(たんか)の運搬や
救急医療隊員あるいは医療班の一員となることを志願して、
人の命を奪うかわりに、負傷者を看護するあり方です。
その道を彼はえらばなかったのですが、
正しい選択だと思います。政策全般(政策の全部)が正当なものであるとは認めず、
自分たちがその一員として加わり、役に立つという選択を拒(こば)んでいたからです。
それどころか、この戦争はなにからなにまで理不尽なものであると、
自由に明確に主張したのです。

同様に、イラクに派遣された日本の自衛隊員は建築作業や輸送・物質補給の仕事に従事したのであり、戦闘には参加していないと主張するかもしれません。しかし現実には、私もその一員であったベトナムのアメリカ兵士と同様に、
不法な戦争に手を貸していました。
実際は、不法占領、侵略戦争に加担していたのです。

まったく別の問題ですが、
世界のさまざまな地域の災害救助を
日本の自衛隊が支援する場所は、
正当性をもっているように見えます。
ところが侵略戦争でアメリカの戦闘時に救援する事態になれば自衛隊は求められません。現地のアメリカ兵が救助にあたります。自衛隊がしたことは、戦争に関与した現実をふまえた率直な戦争批判や抗議の声に包囲された日本政府をなだめることでした。現実にはアメリカという同盟者のために献身的に行動しているのです。(でも、そう)すべきことではありません。

🟣自衛隊の行動のなかには憲法に違反するものがある--まさに真実です--と声をあげるのではなく、それにあわせて憲法を変えるべきだという意見がありますが、そうではありません。🌕️憲法違反の事例を指摘して停止させること、これが出すべき答えだと強く思います。憲法を遵守(そんしゅ)し、憲法違反の行為を止めることです。憲法に抵触する行為を許してきた法律こそ廃棄し、改定するのです。いわゆる自衛隊を、その名にふさわしく自衛の行為に専念させるべきです。
(中略)
現行憲法が現実の状況にそぐわない面があるとしても、どうして憲法改正の試みにつなげるのでしょうか❔憲法は、日本が局外者あるいは反対する立場にたつべき不当な軍事行動に抑制効果をもたらすものと思います。そして、このような効果こそ高く評価されるべきです。

ベトナムやイラクなど世界各国における過去の理不尽な戦争、
全世界で実行されている無人機(ドローン)の軍事利用や不法性を教訓として、私の祖国アメリカには、合衆国憲法に内在する国際法の制約を考えてほしいと願うばかりです。日本国憲法第九条が言及する法の支配が、日本ならびに全世界にとって国家安全保障をより確かなものとする基盤にほかなりません。アメリカが如実(にょじつ)に示しているような生存競争や最強国の支配などに比べて(日本国憲法第九条が)、ずっと安全性の高い根本原理です。

アメリカとの同盟関係がもたらすもの

過去60年余にわたって、日本は実質的にアメリカの庇護のもとにある状態を入れてきました。このことを示す例をあげるなら、日米両国の事実上の同盟国であるイラクを支援するために自衛隊を派遣したことです。

いったい、なにから、誰を守るというのでしょうか❔
過去半世紀にわたって日本が現実に直面してきた脅威とは、具体的になにを指すのでしょうか❔
朝鮮半島からの脅威があったのでしょうか❔北ですか❔それとも南ですか❔中国に脅(おびや)かされたことがありましたが❔
私が無知だったのでしょうか、それにしても、防衛態勢の構築に迫られるような脅威の存在には思いあたりません。
🟣アメリカと日本との同盟関係を盾(たて)にして、
🟣日本と中ごくの関係が密接になることを排除しようとしたのが事実だと思います。建て前にせよ、権益を守るために日本の武力行使を必要とするような東アジアの紛争とは、いったいなにを指すのでしょうか❔

尖閣諸島などをめぐる対立に目を向けましょう。
日本が中ごくやその他の国々との武力衝突にかかわる必要が、少しでもあるのでしょうか❔私の知るかぎり過去半世紀に、憲法第九条の基本をつらぬく理念を根底から否定するような歴史的事実はなかったはずです。
日本の国益を追求し、権利を防衛するうえで、
武力の行使に頼るよりも良い方法が常に存在しています。第二次世界大戦時の日本兵にとって、他国の人々を殺害するよりも適切な選択はなかったのでしょうか❔

より大きな文脈で考えてみましょう。私は絶対平和主義ではありません。海兵隊に所属していた時期も現在も、まったく変わりありません。
🟣侵略、占領、敵対行動に武力で抵抗することが正当化され、🟣妥当性をもつ場合があると思います。個別の具体例をあげますが、日本の中ごくにおよび東南アジアへの侵略に対して、中ごくの共産主義者と非共産主義者が連携した抵抗は、当然のことであり、必要に迫られたものでもありました。
ソ連の人口を削減する
ナチスの計画の
現実的な一環であった
ヒトラーの侵攻に、
ソ連が軍事力で対抗した例も
適切かつ必然的なものでした。
🟣ユダヤ人絶滅だけでなく、
🟣ポーランドとソ連に在住するスラブ系民族の大部分を絶滅させる目的があったのです。🌕️これに敵対するのは当然のことでした。

当時の日本は戦争陣営の一角を占めていましたが、戦争は紛争に直面することはありませんでした。
アメリカもNATO諸国も実際には同様です。旧ソ連による軍事的脅威が想定されていましたが、
西ドイツおよび西ヨーロッパ全域におけるアメリカの政治的指導権(ヘゲモニー)を保持する効果を狙った、極端に誇張されたものだったと思います。
武力による防衛行為の必要性が高まる可能性はない、などと言うつもりはありません。🌕️ただし第二次世界大戦以降、アメリカの判断は実質的にことごとく誇張されていたどころか、🌕️誤ったものでした。

武力による紛争の解決を超えて

アメリカのイラク占領への武力抵抗は正当であり、合法的だったかも知れませんが、イラクの国益に大いに貢献することはありませんでした。

私はひとりのガンディー主義者、そしてマーティン・ルーサー・キング信奉者として、ベトナムなどさまざまな事例に触れるたびに思いを馳せることがあります。
民族主義者は、現実の局面では武力抵抗を展開しましたが、
帝国の侵略に対する非暴力の抵抗を追求したなら、
もっと良い結果につながったのではないか、
という思いです。
アメリカ軍へのベトナム民衆の抵抗はまさしく大義そのものであり、
正当なものですが、
当のベトナムの民衆にとって最適なものであったのか、
他の手段を考えあわせると断言できずにいます。

ベトナム戦争ではおそらく200万人から300万人の命が奪われました。🌕️非暴力抵抗という別の道を選んだなら、
フランスもアメリカも
ベトナムを支配しようとはしなかった、
などと考えているわけではありません。
イラクについても同様です。

ごく一般的な問題提起をさせてください。
🌕️今日のアジアやヨーロッパに限定して言いますが、
🌕️現実的な紛争に対処する方策として、
🌕️武力衝突が最も効果的で正当性があるように思われる地域は、
🌕️私の知るかぎりどこにもありません。
🌕️現在のシリアやイラクについてもまったく同じことが言えます。

アイエス[イスラム国]の例を取り上げましょう。
日本に紛争地への関与が求められる事態がないとも言えません。
🌕️しかし、爆撃によってアイエスを破壊し、根絶することはできません。
事実として、殺害しても補充兵の数が上まわるだけで、
サウジアラビア、イエメン、トルコなどアメリカの同盟国がアイエスの資金源を遮断する別の方策が求められています。❇️総じて、アイエスに流れる武器や資金の流れを断つことですが、不可能ではありません。

1991年の、湾岸戦争を例にあげます。
アメリカの元参謀長数人が自らの見解を証言していますが、
サダム・フセインのクウェート侵攻を断念させるには、武力攻撃よりも輸出入の禁止措置のほうが効果的でした。連邦議会での証言です。私もその通りだと思います。

サダム・フセインの侵略行為に対抗する武力での集団行動は
🟣国連からの援助を受けました。
このときの日本の財政的支援は、国連が関与する占領を支えるものであり、イラク戦争時の侵略を支援するものとは異なりました。
🌕️しかし、国連の行動が最善の選択だったとは、いまだに思えません。とりわけバグダッド空爆は、今日に至るもさまざまな問題を生みだしました。

簡単にまとめますが、
過去半世紀のさまざまな出来事は私にとって、ガンディー的な理念の強さを確認させるものでした。
武力防衛が必要になる状況などありえないと主張するつもりはありません。慎重な検討を尽くした論議にくわえて、
❇️外交と経済の分野における非暴力の対抗策に全力を傾ける可能性を追求するという意味においてです。第二次世界大戦以降、例外的事態はなかったと思います。理にかなった革命的運動についても言えることです。その取り組みに正当性はありながら、良い結果が得られず、非暴力行動と比較して将来的に期待が持てそうにない例が多いのです。


p.102
日本の特定秘密保護法について

この法律の成立が急がれた理由はなんでしょうか❔
公的機密に関する日本の法令はすでに整備されています。
新法の制定自体もさることながら、
🟣十分な議論や国会の慣習に即した審議もなしに、
🟣憲法に反するやり方で国会を痛快させる必要があったのでしょうか❔
🟣外交および国内政策の両面において
🟣民主主義と憲法に反する日本政治の方向性を防御するための立法としか、私には見えません。
外国の敵というより、
🟣国内の批判から情報機密を保護する狙いです。

🟣半世紀におよぶ平和憲法に関する政府見解をくつがえし、
🟣世論の大勢を無視して決定された小泉首相[当時]による自衛隊の海外派遣の際にも、こうした経過を見せつけられました。
🟣同盟国を外国の地で支援する。
🌕️いったいなにを支援するというのでしょうか❔
🟣(それは、)侵略戦争の支援です。
派遣された自衛隊はおそらく戦闘行為には参加しなかったでしょうが、
🟣イラクのサマーワにおける侵略戦争の一翼を担(にな)ったのです。

イラク戦争は、第二次世界大戦時の日本軍によるインドシナ半島や中ごくの占領と同様に、
🟣不条理にして違法な侵略性を帯びていました。
❇️憲法ならびに国連憲章と国際法を前提に考えると、
日本にはどのような形であれ、
🌕️この戦争に加担する権利はありません。(これは)
🌕️恥ずべき行為でした。
明らかに同盟国(この場合は私の祖国アメリカです)の理不尽な戦争行動を支援するものであり、
🟣日本は戦後一貫した平和主義の伝統を踏みにじったのです。

(中略)

p.109
最後に日本の皆さんへのメッセージ

日本のエネルギー需要を原子力でまかなうという決定は
無理からぬ面もあるとはいえ、
あまりに思慮に欠けています。
🌕️何よりも地震が頻発し、
🌕️すでに体験したように津波の脅威にさらされている国土(日本列島)なのです。

ここまで内部告発について議論してきましたが、
国家機密だけに関係することのように思われたかもしれません。
現実には、東京電力は事故対応など安全性にかかわるさまざまな問題点を、
🌕️長年にわたって外部の目から隠してきました。
🌕️基本的には(東京電力は日本政治と)共謀していたのです。
🌕️その代償(結果)が福島の事故でした。
🌕️私たちが知っているように、実際よりももっとひどい事故になった可能性もありますし、
🌕️東京に甚大な被害をもたらして、
🌕️首都(東京)の撤退さえ余儀なくされたかも知れません。

東京電力は、日本政府やアメリカ政府に比べても、
さらに信頼度が落ちます。
とくにアメリカ側の不信感はエクソンモービル社以上です。
📖『国家機密と良心(的告発)
私はなぜペンタゴン(米国防総省)情報を暴露したか』
ダニエル・エルズバーグ 著
梓澤 登 訳 若林希和 訳
岩波ブックレット996 740円+税


日本における平和。
憲法9条の在り方が今見直されようとしている現在を生きる我々はどのように平和と向き合い、戦争を遠ざけていくのか。
アメリカから見れば日本の平和は与えられた平和。
しかし、核兵器の運用まで携わった筆者はそれでも日本は平和であるべきだし憲法9条の意義をアメリカ人の目線から改めて守るように訴える。
その為に国家が秘密裏にどのような考え、実行しているのかを市民は知り、考える材料を持つことの大切さを筆者は説いている。

与えられたものが偽りの平和と考え憲法9条を放棄するのか。
偽り平和と言われようが日本人は過去の戦争から平和を希求する民族に変化したと考え、その平和を大切に守り続けるのか。

今わたしたちの平和と戦争の携わり方が問われている


「岩波ブックレット」刊行のことば

今日、われわれをとりまく状況は急激な変化を重ね、
しかも時代の潮流は決して良い方向にむかおうとはしていません。
今世紀を生き抜いてきた中・高年の人々にとって、
次の時代をになう若い人々にとって、
また、これから生まれてくる子どもたちにとって、
現代社会の基本的問題は、日常生活と深くかかわり、
同時に、人類が生存する地球社会そのものの命運を決定しかねない要因をはらんでいます。

15世紀中葉に発明された近代印刷術は、
それ以後の歴史を通じて「活字」が持つ力を
最大限に発揮してきました。
人々は「活字」によって文化を共有し、
とりわけ変革期にあっては、
❇️「活字」は一つの社会的力となって、
❇️情報を伝人々の主張を社会共通のものとし、
❇️各時代の思想形成に大きな役割を果たしてきました。

現在、われわれは多種多様な情報を享受しています。
しかし、それにもかかわらず、
文明の危機的様相は深まり、
「活字」が歴史的に果たしてきた本来の機能もまた衰弱しています。
今、われわれは「出版」を業とする立場に立って、
今日の課題に対処し、
❇️「活字」が持つ原点にたちかえって、
❇️この小冊子のシリーズ「岩波ブックレット」を刊行します。

長期化した経済不況と市民生活、
🟣教育の場の荒廃と理念の喪失、
🟣核兵器の異常な発達の前に
🟣人類が迫られている新たな選択、
🟣文明の進展にともなって見直されるべき自然と人間の関係、
❇️積極的な未来への展望等々、
現主張を端的に伝え、
❇️解決のための見通しを読者と共に持ち、
❇️歴史の正しい方向づけをはかることを、
このシリーズは基本の目的とします。

読者の皆様が、市民として、学生として、
またグループで、この小冊子を活用されるよう、
願ってやみません。
(1982年4月 創刊にあたって)

(👩「わかる、使える〈はじめの一冊〉(として最適な)岩波ブックレット」と書いてある。
その左側には「開かれた本の窓から顔を出す、ついさっき、昨日まで盲目だったモグラが書籍の地下の土を掘って顔を出している。本を読んで真実を探さなければ、私たちは盲目のままなんだ。言葉は悪いけれど「あきめくら」のまま。
👴戦後アメリカがわしらに与えたものが娯楽。
娯楽に目を向けさせて、真実に気が向かないようにした。
👨アメリカにはシークレット・ガバメント(闇の政府・ディープステート)が存在し、
世界征服を考えている。ならばアメリカが考え世界に推進する政策の正反対を目指すことが、
全世界の平和ではないかと考える僕だ。
👩DS(ディープステート)が最近あっという間に知られ
世間に知られ、すでにディープでも何でもなくなった。
👧この始末を大人たちはいったいどうつけるのだろう❔
何千万回地獄に行っても許されない罪を犯してきた人たち。
👨彼らが悪者と判明した今、彼らが推進する物事はすべて地球と人類のためにならない。
ゆえに、軍備拡張と核を持たねばと改憲の考え方は間違いだと確信する僕である。
👩自分で災難をばら蒔(ま)いておいて、「その問題を解決するにはこの薬が効きますよ、絶対に飲まなければ寿命が縮まりますよ」みたいなあざとい卑怯なやりかたはやめるべき。わたしもそれにひっかからないようになりたい。
👨そのために僕は学ぶ。学び続ける。
👩いわゆる『陰謀論』だといわれてきたことが、
2022年の今、次々に真実であると証明され始めた。
👨ディープステートとは国と国とを仲たがいさせ、戦争をさせ兵器を売りたい。
また、ディープステートは表向きは人道援助を使命としながら
実際にはテロ支援をする。
自分たちにとって都合の良いを
物色、
寄生、
富を吸い取る、
捨てる。
👧なぜアメリカが傀儡国家(かいらいこっか)に選ばれてしまったの❔
👴歴史が浅い、
王族がいない、
独自の文化や文明がないから寄生しやすい。
多民族で構成されているから(人種の坩堝(るつぼ))、
「国のために」という国民の結束力が弱い。
ちなみに次の寄生先は中ごく?
でもそれは長く続かず、アメリカと同じ道を辿(たど)る。
👨僕のブログは壁の落書きです。)
👧罰を受ける時が見られるのかな❔
もう少し、もう少しといっても10年単位でしょう。
👩そういうことに国民自体が別段興味がなく、
知りたくない、ということが長らく問題が解決しない理由の1つなのではないでしょうか❔)

p.74
日本国憲法

湯川は、すでに述べたように憲法問題研究会において
日本国憲法をラッセル・アインシュタイン宣言の先取りだと評価した。
(湯川は)憲法を擁護するという姿勢にとどまらず、
(日本国憲法を)世界の規範として広めていこうという⭕積極性が見られ、
私も賛成だ。
「平和憲法」ということがあるが、
平和とは、戦争がないということだけでなく、
安心して安全に生きていける状態だと思う。

このような観点から日本国憲法を見ると、
🌕️前文と第九条の戦争放棄、
🌕️戦力不保持
🌕️交戦権否認だけでなく、
第一一(11)条の🌕️「基本的人権の共有」における『侵(おか)すことのできない永久の権利』、
第一三(13)条の🌕️「個人の尊重」における『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』、
第二五(25)条の🌕️①の過去・現在・将来などは、
平和の基礎としてどれも大切な条項だと思う。

この憲法は、世論調査の結果を見ても国民にているのだが、
一部には根本的に改めたいといい続けている人たちがいる。
最大政党の自由民主党は、
1955年の結党時に「党の使命」として、
日本国憲法と戦後民主主義が日本を弱体化させた一因だといい、
それ以来、日本を主権国家としてふさわしい国にするために、
米国による占領体制から脱却し、
自主憲法を制定することを党是としてきた。
2012年には「日本国憲法改正草案」を発表している。
🟣前文を全面的に書き直し、
❇️第九条の戦争放棄、
❇️戦力不保持、
❇️交戦権否認
🟣を削除し、
🟣国防軍をつくり、
🟣緊急事態制度を導入するというのである。