Durham LIFE

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2020年、コロナ禍ですが・・・!

2020-05-24 | 日記
久しぶりに投稿します。

世の中はコロナ禍で大きなイベントや遠出は自粛を余儀なくされています。
私の仕事も大きく影響を受けました。

3月25日に東京オリンピック・パラリンピック大会の延期が決まり、来年に持ち越しになりました。
そのことは、80年代にリリースされた漫画"AKIRA"、これ欧米ではかなりヒット作のようなのですが、の中で2020年に予定されていたオリンピックが
伝染病によって中止となることが描かれていた、つまり予言されていた!と言うニュースが報道されて、大きな話題にもなりましたね。

さて、私はと言うと今年の9月から大学院に行こうとしていたのですが、コロナの影響で大部分がオンラインコースになったことから、
来年の入学に延期しようと検討している状況です。

そうなってくると、今年準備期間にできることはかなり多く、今から何をしようかなと模索している日々です。

社会に目を向けるとコロナの影響で失業される方や、会社が倒産の危機に面している方々も大勢いらっしゃいます。
この感染症の経済への打撃はリーマンショックを上回る被害だとも言われています。

そのようなニュースを見て、私が後悔として思い出されるのは、高校3年生の受験期に(正確には高校2年生の3月に)、
東日本大震災が起きたこと、そしてボランティアに行きたかったのに、家族に身を心配されたり、受験への影響を案じて、一歩踏み出すことができなかったことです。

こんなにも自然災害によって人々の身に苦難が降りかかっているのに、恵まれた生活から一歩外へ出て、何か救いの手を差し伸べることが
できればなあと頭で思うだけで、何一つ行動に移せませんでした。

後から人の話を聞くと、東北に生まれたあるサラリーマンはこの時期ちょうど海外赴任をされていたそうなのですが、
お知り合いや地元の被害にいてもたってもいられず、仕事を辞め、日本に戻ってきたそうです。
私はそれを聞いた時、それくらいしてもいいよな、と思いました。


この未曾有の危機、経済的な打撃が多いのですが、に直面して思うことは、「自分に何ができるのか」と言うことです。

#Stayhome でまずは自分の身の安全に努めることは言うまでもありませんが、自分以上に苦しんでいる人、
例を挙げれば外国籍で日本で職を得ている人や留学生たち、また失業者の多くの方々、そのような方々に思いを馳せ、
何か私にできることがあればさせていただきたいと願うばかりです。

また、願ってばかりで行動が伴ってないなと思い、まずはブログの形にしました。
そして、英語を使って一人でも多くの方々に日々を充実していただけるように、英会話を始めたいと思います。

いつも「していただく」ことばかりですので、微力でも社会のために使える力があるのなら、
せっかくホワイトな環境で働いていることもあるので、手助けさせていただきたい!と思っています。

話は変わりますが、最近司馬遼太郎の「この国のかたち」を読みました。その直前に日本史の本を読んでいたこともあって、
だんだんと「日本とは」と言うところが見えてきたように思います。
学んだことは、日本人は「公」を大切にし、個を全体のために使うことに価値を見出している人種であることです。
例えるなら「私がこの国を支配する」と言うよりは「この国のために私を使う」と言うニュアンスでしょうか。

これは本当に西欧と真逆の価値観です。
「個人」が大切にされている西欧では「英雄」と呼ばれる歴史上の人物がいました。
もちろん日本にも、歴史に名を残す人は多くいるのですが彼らの多くは「戦に勝つ」よりはどちらかと言うと
「国を変えるために力を尽くした」人たちであったことが多いです。
例を挙げれば、ナポレオンがプロイセン・ロシア・オーストリアに勝ち、欧州の覇権を自分のものとしたことで「英雄」になった一方で、
かの有名な坂本龍馬は、来たる倒幕・明治維新(の形までははっきり見えていなかったかも)を見越して薩摩と長州の手を取り合って国を一致団結させようとしました。

もちろんどの世界にも、様々な形で歴史に名をはせる存在はいますが、
日本人は特に「社会・国」のために忠誠を尽くすことがかなり重要視されてきたことがわかります。

それは、歴史上の人物だけではなく、日頃当たり前とされている文化にも表れてます。
例えば、「一つの解を求め続ける画一的な教育」や部活動で見られる「連帯責任」、そして悪い例かもしれませんが太平洋戦争中の「特攻隊」など。

私はこれからの時代、「個性」を尊重する社会になってほしいなと思います。
一人一人違う意見、価値観、人生観、使命みたいなものをもっと大切にしてもいいなと思います。
いや今もはや、ITやSNSの発展によってそのような考え方が徐々に浸透してきているような気がします。

より一人一人の独自性が尊重されてきたからこそ、数十年前と比べてLGBTQの人権に光が当てられてきた。
また、SNSの発展によって一人一人の名もなき人の声、画一的で一辺倒なことよりも少しひねったユニークな発言が拡散されたり。

「ゆとり世代」や「悟り世代」と呼ばれる今の10代〜30代が、このような風潮を「当たり前」のものと考え始めているのは確かだと思います。

そのことが、良い方向で発展し、多くの世代に支持されるように、変わっていってほしいなと思います。
特にこのコロナ危機は、ピンチであると同時に、「変わるチャンス」でもあります。
なぜなら、「従来通り」「慣習通り」で生きることの方が楽で、なかなかめんどくさい慣習(例:ハンコ文化)を変えることができなかった日本社会が、
「そうせざるを得ない」状況にあるからです。

そうしたことを通じて、長年「外圧」を受けて来ずに「平和主義」「農耕民族」であった日本が、一人一人の市民の個性に重きを置き始める
そんな未来になることを期待しながら、私も政治学、そして社会問題に対する素養を磨いていきたいと思います。

長くなりましたが今日はここまで。

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