Durham LIFE

気になる”旬”の話題や素朴な疑問をテーマに私の考えを載せていきます。ご愛読のほどよろしくお願いいたします🧡

人生の充実って? 知識を得ること

2021-05-16 | 日記

こんにちは。また放置してから数ヶ月が経ってしまいました。

Durham進学は4ヶ月後に控えています。
コロナがあっても、感染の落ち着きを待って渡航する
これって意外と意志が固くないとできないことなのかも、、と自画自賛ではないですが思います。

最近、時間があるときに思いました。
人生を豊かにする方法ってなんなのだろう?
友人と遊ぶ時間が多いほど充実しているのだろうか?
自分が信じている価値観や教えを人に伝えることで充実するのだろうか?

ここ2〜3日で出たベストな方法は、
「知識を得ること」でした。

友人と遊んだりすることももちろん大切です。
自分が信じるものを伝えたり、人を助けたりすることなんて素晴らしいです。
でも、今直面している事態をいろんな角度から見ることって、人生を表すベクトルが横と縦と奥行きがあるとすれば
奥行きを広げること、そのものなんじゃないかなって思います。

多くの人は人生の横と縦を2次元的に見ることはできるかもしれませんが、
そこに深さを与えるには、様々な物の見方が必要なのかと思うんです。
それはきっと本を読んだり、他の人の視点に立って考えてみたり、
立場の異なる人とディスカッションをしてみることで得られることなんじゃないかなと思うんです。

その新しい知識によって、これまで2次元にしか見えなかった世界が立体感を帯びていき、
人生がより深まるのではないかと考えるのです。

例えば、「あ〜あ、なんだか最近、いいことないな。恋人には相手されないし、
飲み会にも誘われなくなってきたなあ」なんて悩みを抱えるとします。
でも飲み会に行ってで得られることってきっと多くの場合、その時の満足では
ないでしょうか?日々の鬱憤を憂さ晴らしして、すっきりすることではないでしょうか。
その場では「良かった」と思っても、後に残ることってあるでしょうか。
もちろん、わたしは飲み会は友人との大切な思い出になるから本当に大切で、
ストレスを抱えて苦しむ時間が長いより、ストレスを発散することでより人生が好転する
とも思うので、飲み会自体は肯定しています!
でも、後に残ること…を考えてしまうと、きっともっと大切なことが
あるのではないかなと思うのです。そしてその「後に残ること」は先に書いた「奥行き」なのではないかと考えます。

一つ、奥行きに関する例をあげたいと思います。これはわたしの経験談です。
ある時「そう言えば、わたしは経済的に恵まれてきたから、大学にも進学することができたな、
けど、あの友人は高校も私立に行きたかったのに、経済的な理由から断念してしまったな、何故こんなに
生まれた場所によってできることに違いが出てくるのだろう」と考えました。

この疑問に答えるには、まず人間と社会の発展の歴史を知り、経済がどうやって回っているのかを知ることです。
例えば、18世紀にベンサムは功利主義を生み出しました。それは「最大多数の最大幸福」を求める政治的価値観です。

私たちが今生きている立憲民主主義制度・資本主義社会では憲法により「国民主権」が基本的な要素になっており、
国民である私たちは国の意向を決める政府にものいえる立場にあります。
そして、資本主義という観点ではものの売り買いを自由に行うことができます。
好きなものを保有している貨幣の量に応じて好きなだけ手に入れることができます。
一見、国民の多くが「自由」を享受できているようにみられますが、もう一方の側面を見ると
自由を享受できている人とそうでない人の格差が激しいことがわかります。

その(まずは経済的な)「格差」を埋めたいと考えるとすると、歴史的に考えられた功利主義のとなえる「最大多数の最大幸福」を参考にできます。
もし、功利主義が実現できていれば、今のような格差社会が少しばかり是正されて、全てとは言えなくても
「格差の最小化」を図ることができたのではないかとも考えられるのです。

(結論から言えば、「幸福」の意義が質的快楽であったことが反発を招き、また
それでは一生幸福になれる機械があれば人は最大幸福は実現できるのかという反論があったりして、
功利主義の理論が実現した例はおそらくなかったのではないかと思われます。)

このように、今私たちが抱えている社会問題、今回の例で言えば「格差社会」をどう是正するのか、
は歴史の例を見ればヒントが隠されています。わたしも勉強中で、答えには決してたどり着いてはいませんが、
そのように世の中を見ると、「あ〜あ、なんで恵まれる人がいて、お金のなくて不自由な人がいるんだろう」
なんていう素朴で表面的な疑問は、少しずつ立体感を帯びてきて、そうか、昔の人もどうしたらこの不条理な社会を変えられるのかと
必死に考えてきて、功利主義なんていう考え方もあったんだな、と少し広い視野で見ることができます。

このようにして、一つの素朴な疑問に一定の知識という「回答」を与えることで奥行きが出てきました。

わたしはだから、この人生を豊かにするには「勉強すること」がキーワードだと考えます。
新しいことを知ること、これはきっと年齢関係なくいつまで経っても続けることができます。
終わりはありません。

しかしだからと言って、頭でっかちで「何かを知った気になること」は一番してはいけないと思っています。
そこには「わかった」という罠が仕掛けられています。
これでは誰の共感も得ることはなく、誰とも対等な立場で会話をすることがありません。
自分が上の立場になり、人に説教することになります。
聞いていて気持ちがいい人なんて、いませんよね。

だから、「わかった気になる」のではなく、「知ったことを人に話してみる」
そんな人になりたいです。
「ねえねえ人生ってさ、こんなに発見があって面白かったよ!」って
人に話すことと、先ほどの説教とではどう違うでしょう。
きっと共感してくれる人の数が変わるでしょう。
きっと味方になってくれる人の数も変わるでしょう。

そんな思いで、この記事を書いてみました。終わり。

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