まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

石山の引き込み線 ~その1

2009-05-28 20:51:07 | 鉄道風景
先日石山をうろついたときに、いつも気になっていた石山駅構内の小さな小屋の
横の線路が工場のずっと奥まで続いていることに初めて気づいたのだが、
後からyumeさんとメールで話していたら、駅の南側に東レの引き込み線の踏切も
残っていますよ、と言う。えっ、踏切?そんなんあったっけ?
いつも電車で飛ばしてしまう石山から膳所の町なかも一度歩いてみたかったので、合わせて見に行ってきた。

東レの工場は石山駅の南側の大阪寄りにある。車窓から線路の分岐が見えているはずだが、
今まで気づかなかった。
1号線に踏切なんてほんとに?まさかもう撤去されたなんてことは・・・疑心暗鬼のうちにその場所へ。
あっ、あった!!
ほんとだ~。色あせた遮断機が4つ、国道の脇の茂みに隠れるようにして立っていた。
レールはもちろんなく、道路面は線路が横断していたことなどもうすっかり忘れ去ったかのような顔。


それでも本線から踏切に至る部分と、踏切を越えて工場内に入って行く線路はそのまま残っていた。
想像力をたくましくして踏切の風景を思い描くが、次々に走ってくる車の列に頭の中の映像も
かき消されてしまう。


東レ工場への引き込み線は、原料の輸送のために引かれたものだが年月など詳しくは
分からない。いくつかのサイトを見ると、去年の夏まではレールが道路上に残っていた
ようだが、廃止時期も不明。企業の専用線だからあまりデータが外へ出ないのかな。


真新しい舗装。




本線に向かって歩いていくと、もう一つ踏切があったようだ。標識が残り、こちらは
ありし日の雰囲気がそのまま感じられる。



そして、分岐している部分をのぞき込むと、途中に枕木が置かれてはいるが、
レールは今もつながっているようだ。
ちょうど貨物列車がやってきた!このあたりは頻繁に貨物列車が来るので楽しい。


国道1号線とJR東海道本線との狭間の小さな廃線跡。


さて東海道本線の広い踏切を渡り、今度はNECの引き込み線を見に行こう。
途中、京阪石山坂本線をくぐるのだが、そのガードの横に・・・・


しっかりと積まれたレンガアーチの水路があった。古そうだ。
しかし、京阪線の築堤を通すにしては微妙な向き。角度が違っている。
もともとは線路がこの角度で通っていたのだろうか。


ガードをくぐり裏側を見てみると、煉瓦のトンネルは京阪線の築堤の半分くらいの幅で
終わっていた。単線の幅ということだろうか。
ウィキペディアによるとこの区間の開通は1914(大正3)年、複線化は1943(昭和18)年という。
元はどんな姿だったのだろうか。想像力を掻き立てられるものがいっぱいある。


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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
煉瓦のアーチ型水路 (yume)
2009-05-29 10:56:52
やっぱり、目に留まりましたね。あの煉瓦アーチ水路。
おやっ?と反対側に回って見るとますます写真が撮りにくく実態がわかりにくい。
でも、こういうものが人知れず(私達のようにたまに注目する人もいるのでしょうが)存在していると言う事が嬉しいし、こういう発見がたまりません。

東レ引込線のあるあたりは、もう何十年も車で通ってきたのに今まで気づかなかったし、一度もあそこを電車、機関車が走って居たのを見た事がありません。
「一度だけ見た事ありますよ~」とコメントを下さった方がおられますが、実際どの程度で使われていたのか不明です。
国道にレールがある写真。。 どうしてもっと早く気付いて見に行かなかったかと後悔しました。

石山駅では、蒸気機関車が止まっている事もありました → http://michiyo0520.blog20.fc2.com/blog-entry-700.html
長い長い貨物列車が長い時間止まって(停車ではなく)居る事もあります。 単なる通過駅機能だけでなく、いろんな想定で作られている駅なのかもしれません。
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ほんとに (ぷにょ)
2009-05-30 02:50:41
去年の夏までレールがあったんですね。もっと早く知ったらな。。。

石山駅の蒸気機関車、yumeさん絶妙のタイミングで駅にいましたね~!
それとも時々来るの?
写真、蒸気機関車の前にディーゼル機関車がいませんか?
重連なんでしょうか。
そして引っ張ってるのはブルートレイン?
イベントだったのかな~。すごいの見ましたね!!

やっぱり機関車が引いてる列車、貨物列車とか寝台特急とか、
そういうのが好きだなぁ・・・・
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東洋レーヨン石山工場 (マユ35)
2009-05-30 06:42:17
「鉄」にとっては、ここの入れ替え用蒸気機関車は有名です。弁天町の交通科学博物館に展示されている機関車が石山出身です。
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Unknown (パドル)
2009-05-30 12:00:42
ぷにょさん、ご無沙汰しております。
草の生い茂る引込み線の跡、惹かれるものがありますね。私のよく行く晴海埠頭にも、近年まで渡り線のポイントとか、結構残っていたのですが、今はすっかり整地されて、春海運河を渡る鉄橋のみとなってしまいました。
さて、ご存知とは思いますが、Doblogが本日で閉鎖されてしまうため、「水路をゆく・第二運河」に移転しております。(http://suiro.blog27.fc2.com/
お手数ですが、リンクの訂正をお願いいたします…。
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東レ引き込み線1800形蒸気 (赤海鼠磯吉)
2009-06-02 08:25:32
ぷにょさんお久しぶりです。私の母方の実家が唐橋前なので、興味深く見せていただいてました。容輝湯やあの竜宮城の家を押さえておられ、さすがと思いました。東レの引込み線ですが歴史は古いです。戦時中は東レが軍需工場として鉄道車両の製造・修繕もしてたそうなので、鉄道省の車両の出入りもあったと思われます。あの引込み線で有名なのは、明治の東海道旧線時代(今の名神高速道路の下が旧線です)に京都~大津の勾配区間で活躍した1800形というキットソン社の蒸気機関車が102号として長らく活躍していたことです。昭和38年に無煙化で廃止されスクラップになりかけましたが、鉄道友の会の故・宍戸先生のご尽力で大阪の交通科学館に保存されました。今では鉄道記念物になっています。昭和5年に高知鉄道に売却され、昭和16年にまたかつての活躍の地琵琶湖畔に戻って活躍したというのも奇縁です。昭和30年頃には引込み線で脱線して、本線を支障しC62の特急つばめを遅延させて大目玉をくらったこともあったとか。とにかく、エピソードのある引込み線です。では、また。
http://www.mtm.or.jp/pavilion/collection/jitsubutsu/page07.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hal_rail/21304764.html
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交通科学博物館の (ぷにょ)
2009-06-03 03:26:11
入れ替え用機関車は、赤海鼠磯吉さんも言われているキットソン社製の蒸気機関車なのですね!
トーマスみたいな(笑)小さなかわいい機関車ですね。
あそこをあの機関車が出入りしていたんですねぇ~

しかし東レが軍需工場だったとは。
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パドルさん、 (ぷにょ)
2009-06-03 03:31:13
お久しぶりです。リンク先変更の件、了解いたしました。

この週末、東京へ行き築地市場への引き込み線跡も歩きました。
踏切跡を残してあったり、また運河の跡には橋があったり面影を残したまま公園になっていたりで、
あのあたりも面白かったです。
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東レの貨物線 (ふれすこ)
2010-09-17 00:02:26
こんばんは。興味深く拝見しました。
古い地図を見ていて気が付いたのですが、1号線の北側に分岐ポイントがあり、つまり1号線を南側(東レ側)に向かって渡る線路は2線分になっていたのですね。遮断機の間隔が広過ぎるように感じたのですが、2線分の幅なら何となく分かる気がします。(←どなたか、当時の線路をご存知でしょうか?)
またYa●ooの地図/写真で、そのうちの一本の線路の端に水色の機関車のようなものが見えます。(北→南。タンクのような施設があるので、貨車はオイル系だった?)
もう一本は古い地図によると、東レの敷地に入ってから直ぐに曲がり→南東の方角へ(1号線と平行な向き)進み→曲がって北から南方向へ。Ya/写真でみると、線路は既にありませんが、道路が線路跡ではないかと想像されます。(倉庫の荷物出し入れ、有蓋貨車?…勝手な想像ですがw)
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ふれすこさん、 (ぷにょ)
2010-09-19 00:29:41
いらっしゃいませ。
そういえば国道を渡る部分は遮断機の間がかなり広いですね。
安全のために手前の方で遮断していたのかと思っていましたが・・・
本線から分かれてすぐの踏切は単線分ですから、それを超えてから分岐していたのでしょうか。
工場内での運搬用の専用線がもっとあったかもしれませんね。
民間工場の敷地内のことになると調べようとしてもなかなか情報がみつかりません。
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Unknown (ふれすこ)
2010-09-19 04:59:19
ぷにょさん、そうなんです。
東海道本線から分かれて、さらに国道の手前で分岐してから2線で渡っているのです。そして南と南東へそれぞれ…(←90年代半ばの地図)。守山(A化成)の引込み貨物線もそうですが、その所在の市立図書館に、線路が分かる古い地図が有る可能性が高いと思っています。
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