まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

岩手旅 紺屋町歩き

2021-03-17 23:30:13 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。


旧井弥商店の前から紺屋町を下る。こんなレンガの大壁に出くわす。防火壁だろうか。




色むらが大きく一つ一つの形もかなりバラバラだが味わいのあるレンガ壁。
やっぱりあのなまこ壁の貼り瓦と同じ感じだな。


菊の司酒造の蔵。
川沿いのこの通りは紺屋町といい染物屋が多かったのだろう。古い商店が今もぽつぽつと残っている。


洋風のやぐらがアイキャッチとなっている紺屋町番屋。1913(大正2)年築の、元盛岡消防団分団の建物。
あぁここは前にも見たな。前回は紺屋町を北上してきてここでタイムアップとなったんだっけ。


この商店のファサード素敵だな!2階の窓まわりは5ブロックに分割され、スリットのようなたて格子が
はめられているので垂直線が強調されモダンな感じ。窓の下の格子状の部分はガラスブロックかな?


あっ、ガラスブロックではなく、タイルじゃないの!中央部の少し凹んだ部分に溜まった紫色の釉薬の
グラデーションが美しい。紫色と言っても、少し赤紫っぽくて赤しそのような、桑の実のような色だ。
なになに、「紫と茜 草紫堂」、ここは染物屋さんか。


紫根染めというのはムラサキという稀少な草の根で染める、日本に古くから伝わる草木染。茜染めも同様、
アカネという草の根を染料とする。あぁなるほど、このタイルは紫根染のイメージか。ほんとにぴったりだな!!
南部地方では「岩手根紫」として鎌倉時代以前から紫根染が生産され、藩政時代には南部藩の重要産物として
藩の手厚い保護を受けていたという。しかし明治に入り保護もなくなり安い化学染料が入ってくると廃れてしまった。
それを復興しようと、県の提唱により1918(大正7)年に「南部紫根染研究所」が設立され、主任技師と
して赴任した初代藤田謙氏が、1933(昭和8)年に独立して創業したのがこの草紫堂だ。
ムラサキは絶滅危惧種となっているため、現在では化学的方法も取り入れているそうだが、それは仕方ない。。

草紫堂の公式サイト →こちら

こちらはとても間口が広い、ござ九・森九商店。町家だが1階の壁には小口タイルが貼られている。
2階はここも黒漆喰だな。


ござ九は、その名の通りござなど、わら工品や灯明芯などを扱った商家。いわゆる荒物屋で豪商になれるとは
よっぽど手広く商売していたのだろうな。今もここに小さな店があって、たわしやほうきなどが売られている。




別の店の前に積まれていたこれは何だ?たこ壷か?


ござ九は川側から見るとまたその大きさがよく分かる。もともとは堤防がなく直接浜だったと思われる。
舟運で材料や製品を直接運び込めた有利なロケーション。


堤防の道を歩いてみよう。柳の若芽が風にそよいで気持ちいい。


塀越しに見えるこの蔵はちょっと変わっている。屋根のけらばの部分にも瓦が張られているのだ。・・・たぶん瓦。
屋根の勾配に合わせた平行四辺形をしており、垂直方向の出っ張りがある。継ぎ目はわからないが、出っ張りの
部分で重ねているのだろう。そしてそれが上下二段になっている。


また切妻屋根の場合、普通妻側には屋根瓦の側面が見えるだけだが、軒先瓦のような丸い文様が妻側にも
表れているのは、いったいどんな瓦なのか!?不思議・・・


中津川沿いの景観にこのござ九が大きく貢献しているな!




川沿いには植物に埋もれた喫茶店もあった。


やっているのかどうか不明・・・


続く。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岩手旅 旧井弥商店など | トップ | 岩手旅 岩手銀行旧本店1 »

コメントを投稿

建物・まちなみ」カテゴリの最新記事