まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

賓日館を見学 その1

2021-01-23 21:12:12 | 建物・まちなみ
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。

一身田から二見浦まで一気に移動してきた。
二見浦は伊勢神宮のおひざ元で、古くからお伊勢参りの人々がここでみそぎ(浜参宮)をする習わしがあり、
天皇や皇族も訪れる重要な場所であった。現代でも式年遷宮の行事の参加者は伊勢神宮に入る前に二見興玉神社で
お祓いを受けるのだとか。
1882(明治15)年には日本第一号の国指定海水浴場が開設されたことで、名勝地として名を馳せ、
夫婦岩のある立石崎へ至る道沿いには風格ある木造旅館がずらりと建ち並んだ。
1911(明治44)年に国鉄参宮線が開通。大正~昭和初期には修学旅行や観光客が増え、関西からの
海水浴や観光旅行の定番となったが、近年では旅行も多様化し、ご多分に漏れず宿泊客は減少しているようだ。

さて、この二見浦にある重要文化財の建物、賓日館を見学するとしよう。


賓日館は、伊勢神宮へ参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、1887(明治20)年に、伊勢神宮の崇敬団体、
神苑会により建てられた。明治天皇の母親である英照皇太后の宿泊が建設前から決まっていたらしく、なんと
着工から2か月余りで完成したという。まぁ最初は今ほどの規模の建物ではなかったようだ。
以降、大正天皇が幼少時に避暑や療養で滞在されたのをはじめ、多くの皇族や各界要人が宿泊した。


1911(明治44)年、隣接する旅館、二見館に払い下げられ、賓日館は二見館の別館となった。
その後建物は明治末期~大正初期と昭和初期の2回、大規模な増改築が行われて今の姿になったという。


玄関も、昭和初期の大増改築で唐破風になったというので、元の姿はずいぶん印象も違っていただろう。
上がり框は檜、式台は欅、天井は屋久杉が使われている。




1999(平成11)年に二見館が休業、2003(平成15)年に二見町に寄贈され、資料館として一般公開
される。そのあと2010(平成20)年に重要文化財に指定。価値が認識されるのは意外と遅かったんだな・・・
こんな建物が310円で誰でも見学できるのは本当にありがたいことだ。


唐破風の玄関の脇にある見学用の入口から中へ入る。
ここはあの唐破風の玄関の内側。ガラス障子にはひし形の模様が入っている。


中庭を見通せるエントランスホール。


階段の親柱にカエルの彫刻が。この「二見蛙」は一本の木から彫り出されており、彫刻家板倉白龍の手による。




「日本赤十字社三重支部」とガラスに金泥で書かれた、大きな古時計。「ANSONIA&CO」という
アメリカのメーカー製のようだ。


このエントランスホールは畳敷きだが、階段の上り口だけ寄木の床になっていた。すごく細かい細工!!


かわいい千鳥の模様が入った照明器具。千鳥は二見館時代のマークだったのだとか。


透かしの入った扇モチーフのこれは、欄間だろう。どこの部屋にあったのかな!?


中央にぽっかりと空いた中庭のおかげで建物の中は明るい。




こちらは庭園に面した1階の角部屋、寿の間。ここはかなり広く、客室ではなく食事などをする広間なのだろう。
障子を開け放せばお庭が見渡せる館内の一等地だ。


書院の障子の格子に引っ掛かっているように見えるのは、コウモリ。縁起のいいモチーフだ。


天井の竿縁が床の間に対して垂直になっている「床挿し天井」は一般的に不吉とされるようだが、江戸中期
以前には普通にあった古い形式らしい。




続く

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