2020年3月の岩手旅の続き。
南昌荘を見たあと盛岡の市街地へ戻り、これまた昨日チェックしておいた純喫茶、車門でお茶しよう。
商店街の横丁に面した堂々たるなまこ壁の蔵を丸ごとお店にした、老舗喫茶である。
「茶廊車門」の細い文字がおしゃれ。このサインに吸い寄せられる人は多いだろう。
右側にある勝手口のような門が入口で、蔵へは側面から入るようになっている。
棚状のショーケースはなく、このようなテーブル型のケースにいくつかのサンプルが飾られているのみだが
メニューの幅と価格帯が分かればOK!軽食、ドリンク、スイーツ、と幅広い品揃え。
おぉ・・・期待にたがわぬ魅惑的な空間。階段が吹抜けになっていて開放的だ。
席は1階と2階とにあるが、やはり人気らしく1階は満席だったので、階段を上って2階へ。
窓にはまったモールガラスが素敵~
クラシックな大人の雰囲気。柱や鴨居をあらわにした真壁造り、頭上には梁がわたっている。
2階は1階よりも明るい。こちら側の窓はあとから増設したのだろうな。
席に着いたときは2階も割とお客が多かったが、ちょっと落ち着いてきたので、お店の方に許可ををいただき
少し店内を撮影させてもらう。1階はお客がずっと多かったので撮らず。
休憩がてら建物もゆっくり楽しむことができた。今回はお茶だけにしたが、他の人が頼んでいたスイーツも
おいしそう!機会があったらまた来よう~~
そのあとはまた少し郊外の建物を見に車を走らせる。こちらは1908(明治41)年に建てられた旧南部家別邸。
元盛岡藩主だった南部家は明治維新後華族となった。この建物は、旧盛岡銀行本店本館などを手掛けた盛岡出身の建築家、
葛西萬司の設計である。辰野金吾と同時代に活躍し、辰野葛西設計事務所を共同経営した人。
現在は盛岡市中央公民館の別館として使用されている。
玄関に大きく張り出した入母屋破風が目立つが、右半分は下見板張りに縦長窓、アーチ窓に扇形のファンライトも
見え洋風意匠を併せ持つ建物だ。この日は休日だったので(改修のため休館中だったのか?)敷地の入口が
閉まっていて、もちろん建物の中へは入れなかった。内部も洋風なのか、気になるな。
またここには、南部藩下小路御屋敷時代にはじまる、大名庭園の雰囲気を残した大規模な池泉式庭園があり、
国登録記念物(名勝地)となっている。
桜やモミジ、アジサイなど多くの種類の樹木が植えられ、四季折々親しまれているが、こちらも入れず。。
敷地内には、国指定重要文化財の旧中村家住宅もある。
中村家は「糸屋」「糸治」と呼ばれた呉服商で、盛岡藩の特産であった紫根染を独占的に商い豪商となった。
主屋は江戸時代末期、1861(文久元)年の築で、元はまちなかに建っていたものを、所有者より寄贈を受け移築復元。建築当初の形をとどめている例は貴重であることから、国指定重要文化財となっている。
近くにあった洋館付きっぽい住宅。
続く。
南昌荘を見たあと盛岡の市街地へ戻り、これまた昨日チェックしておいた純喫茶、車門でお茶しよう。
商店街の横丁に面した堂々たるなまこ壁の蔵を丸ごとお店にした、老舗喫茶である。
「茶廊車門」の細い文字がおしゃれ。このサインに吸い寄せられる人は多いだろう。
右側にある勝手口のような門が入口で、蔵へは側面から入るようになっている。
棚状のショーケースはなく、このようなテーブル型のケースにいくつかのサンプルが飾られているのみだが
メニューの幅と価格帯が分かればOK!軽食、ドリンク、スイーツ、と幅広い品揃え。
おぉ・・・期待にたがわぬ魅惑的な空間。階段が吹抜けになっていて開放的だ。
席は1階と2階とにあるが、やはり人気らしく1階は満席だったので、階段を上って2階へ。
窓にはまったモールガラスが素敵~
クラシックな大人の雰囲気。柱や鴨居をあらわにした真壁造り、頭上には梁がわたっている。
2階は1階よりも明るい。こちら側の窓はあとから増設したのだろうな。
席に着いたときは2階も割とお客が多かったが、ちょっと落ち着いてきたので、お店の方に許可ををいただき
少し店内を撮影させてもらう。1階はお客がずっと多かったので撮らず。
休憩がてら建物もゆっくり楽しむことができた。今回はお茶だけにしたが、他の人が頼んでいたスイーツも
おいしそう!機会があったらまた来よう~~
そのあとはまた少し郊外の建物を見に車を走らせる。こちらは1908(明治41)年に建てられた旧南部家別邸。
元盛岡藩主だった南部家は明治維新後華族となった。この建物は、旧盛岡銀行本店本館などを手掛けた盛岡出身の建築家、
葛西萬司の設計である。辰野金吾と同時代に活躍し、辰野葛西設計事務所を共同経営した人。
現在は盛岡市中央公民館の別館として使用されている。
玄関に大きく張り出した入母屋破風が目立つが、右半分は下見板張りに縦長窓、アーチ窓に扇形のファンライトも
見え洋風意匠を併せ持つ建物だ。この日は休日だったので(改修のため休館中だったのか?)敷地の入口が
閉まっていて、もちろん建物の中へは入れなかった。内部も洋風なのか、気になるな。
またここには、南部藩下小路御屋敷時代にはじまる、大名庭園の雰囲気を残した大規模な池泉式庭園があり、
国登録記念物(名勝地)となっている。
桜やモミジ、アジサイなど多くの種類の樹木が植えられ、四季折々親しまれているが、こちらも入れず。。
敷地内には、国指定重要文化財の旧中村家住宅もある。
中村家は「糸屋」「糸治」と呼ばれた呉服商で、盛岡藩の特産であった紫根染を独占的に商い豪商となった。
主屋は江戸時代末期、1861(文久元)年の築で、元はまちなかに建っていたものを、所有者より寄贈を受け移築復元。建築当初の形をとどめている例は貴重であることから、国指定重要文化財となっている。
近くにあった洋館付きっぽい住宅。
続く。
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