まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

秋田の建築めぐり6 国立農業倉庫

2017-10-20 23:47:46 | 建物・まちなみ
秋田の建築めぐりの続き。

午後からは旧国立農業倉庫へ行ってみよう。最寄り駅は秋田から2駅目の新屋駅だが、そこからも
1kmあまり離れているので、電車で行っても結構遠い。
秋田駅から車で15分というから、自転車ならその倍くらいか。途中もいろいろ見ながら行けるし、と
再びレンタサイクルを借りて走り出したが、、、いやいや、遠い遠い(汗)
車がバンバン走る広い郊外道路で、交差点では地下道を通り、広大な雄物川を渡り・・・
40分ぐらいかかったか、ようやく雄物川のほとりに広がる秋田公立美術大学のキャンパスに着いた。

おおーっ、これか!!
この場所は元は雄物川の湿地帯だったが、大正6年から20年の歳月をかけて県が行った雄物川改修工事の
掘削土で埋め立てられ、そこに旧秋田県販売購買組合連合会により米穀倉庫が建てられた。
1935(昭和10)年に完成。
敷地ともども国に寄付されたあとは、秋田食糧事務所の管理下におかれた。


天井高は最大12mと高いが平屋建て。奥行45mもある倉庫が8棟も並ぶさまは壮観!!
これら全体での収容量は秋田県の米の年間消費量の3割を保管できる量だとか。すごいな!!


1990(平成2)年に用途廃止となり、まず6棟が新設大学の用地として市に譲渡された。
3棟は大学の実習棟として、3棟は市民に開放された施設としてギャラリーや市民交流の場となっている。


その後残る2棟も市が買収、創作工房と図書館の一部となった。
高い天井の広々とした空間は美術大学の作業場としてぴったりで、実にうまく使われている。
しかも8棟全部がまったく欠けることなく活用されているのは素晴らしいな!


建設後80年以上経つ巨大な倉庫群は、ピカピカの真新しい他の校舎の間にあってもまったく遜色なく、
むしろ埋立地に建てられた新設大学に歴史の深みを与えるものとして重宝されているのだろう。


倉庫の東面には木造の庇が連続して張り出し、広い半屋外空間がある。便利な作業場だなぁ、と
思っていたら、実はここは1.5km離れた新屋駅からの引込み線のプラットホームだったらしい。
うわぁ~~、貨物列車がここまで入ってきていたのか!!そして、新しい校舎との間のこの通路が線路
だったのか。地図を見ると一目瞭然だったな、うかつだった!!廃線跡は遊歩道となっているというから
新屋駅から歩いてもよかったなぁ!




おや、ブルーシートに玉ねぎ・・・さすが元農業倉庫!?(笑)


日本海へ注ぐ直前の雄物川はこの川幅。ほとんど海だな!
この雄物川がこのわずか1ヵ月後に大雨で3ヶ所も氾濫したというニュースを聞いて、ショックを
受けたのだったが。。。


帰りは来た道とは違う道を走ろう、と斜めにスパッとショートカットしている道路を走って行くと、おや?
ずっと続いている細長い緑地帯が何か気になる。


あっ、これはレールじゃないか!ということは、ここも廃線跡か!?
考えたらまわりの町割りと無関係に斜めに貫く道はいかにも不自然だ。


犬釘まである~♪ いや~楽しいなぁ。


たどっていくといかにも鉄道なアールで右へ曲っていたが、その先は住宅が建っていてよくわからなかった。


JR羽越本線の築堤がとってもいい感じ。


猿田川を渡る鉄橋も石積みの橋脚や古いガーダーが素敵だなぁ!




鉄錆び色に染まった円筒形の橋脚。石の表情がいいなぁ~


さてそろそろ戻って空港へ向かわねば。レンタサイクルを返す前に、秋田市民市場に寄って
最後にお土産を買おうという段取り。実はさっきちゃんと偵察しておいたのだ。


秋田では7月中旬でもまださくらんぼがギリギリ売っていて、あんずは最盛期。


しかし私の狙いは筋子(爆)。筋子がこんなにランクや味の違いで分けられ値段が違うなんて知らなかった。。。
お客のおばちゃんたちが慣れた様子で次々と買いに来ては、300g、500gと買って帰る。
こんなに日常的に筋子を食べるのか!!結構カルチャーショック。尚、いくらは贈答用の高級品なのだとか。
私も店の兄ちゃんに違いを聞いて200g買って帰ったが、結構ペロッと食べてしまったので、もっと
買っておけばよかったなと・・・(笑)

さぁほんとにタイムリミット、自転車を返却しに戻ろう・・・と思ったら、自転車のカギがない!?
カバンの中身を全部出してもないし、市場の中を見て回ってもない。ええ~~っ、何で~~~!?
飛行機に乗り遅れる~~!!市場の事務所に落し物がないか聞いてもない、筋子屋の兄ちゃんにも聞いたが
なかったと。。。絶体絶命!!泣きそう~~~

ところが実は、私が見ていたのは同じレンタサイクルの別の自転車で、その数台隣に私の自転車があり、
カギが刺さったままだった(呆)・・・全く、アホ・・・皆さんお騒がせしてごめんなさい~~~(大汗)
というわけで、無事飛行機にも間に合い、帰途についたのだった。はぁ~

終わり。

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2 コメント

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新屋地区方面のことなど (taic02)
2017-10-22 18:11:51
引き続き、興味深く拝見いたしました。

旧国立倉庫の辺りは個人的に思い出深い場所なのですが、雨でしっとりと濡れた赤い屋根、これからはイチョウの黄葉とのコントラストなども美しいものです。プラットホーム跡の木製屋根はいわゆる「雁木」ですね。
新屋駅までの遊歩道は、線形以外には、線路を彷彿とさせるものは残っていません。美大から住宅地を抜け、旧製紙工場の排水路跡(現在は帯状公園)を越えた後、羽越本線と並んで新屋駅に至ります。桜が植えられ、冬には地元住民や美大学生が小さなかまくらを並べてろうそくを灯すイベントが行われます。

渡られた秋田大橋から河口まで、現在は一直線の雄物川ですが、改修工事の時に新たに造られた放水路です。秋田大橋の下流・右岸から秋田運河が秋田港方向へ分岐しており、改修前はそちらが雄物川本流でした。改修工事以前には、秋田市街地でも水害が起きていたと聞きます。今夏の水害では市街地は中小河川があふれた程度で済み、雄物川河口付近はは増水しただけでしたが、代わりに中上流部が犠牲になってしまった感があり、治水対策は現代でも不完全なのだと、衝撃でした。
秋田市の水道水もこの水ですが、渇水になることがまずあり得ないのは、これだけの大きな河であるおかげだと思っています。

右岸側の廃線跡は、秋田大橋の通り(旧国道7号線である県道56号線)と秋田運河の間にある工場への引き込み線で、1994年に廃止されました。羽越本線羽後牛島駅につながり、猿田川を渡る橋もあったものの、痕跡は残っていないそうです。

秋田の街を楽しんでいただけて何よりです。機会がありましたら、またお越しください。
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taic02さん、 (ぷにょ)
2017-10-24 00:14:31
たくさんのコメントありがとうございます!
イチョウの黄色と赤い屋根、ほんとに美しそうですね~
農業倉庫までの廃線跡は遺構は何も残っていませんか、、、
秋田のまちも川の河口にできたまちなのですね。水害と戦ってきた歴史は大阪も同じです。

今回の台風では、大阪で淀川と並ぶ大河川でありうちからも近いところを流れる大和川が
氾濫危険水位に達したという緊急ニュースが飛び込んで来ました。
うちの方は何事もなかったですが、対岸側や上流部で溢れて被害をもたらしたようです。。。
大阪はいつも比較的災害が少ないのですが、こんなことが起きるとは驚きました。

秋田、楽しかったですよ~またお勧めがありましたら教えて下さいね~。
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