薬水駅のあと、下市口駅に車を停めて周辺をちょろっとうろつく。
駐輪場脇の細い道を歩くと、駅の手前で分岐した線路が1本、ホーム裏まで延びてきて、
終点になっている。
あぁそうか、今歩いているところもプラットホームだったんだな。
近くの「純喫茶ゆり」。窓の下に・・・・
タイルタイル!!
そしてこんなアーケードが。暗くて奥の様子はうかがい知れない。ん~ゾクゾクする。
そろりと足を踏み入れてみた。うぉ~~昭和満開!!映画のセットのようだ。
アーケードの路地はL字型に曲がっていて、その先も抜けている。
床には鉄道のプラットホームみたいな白点が。
お店はもうほとんどやっていないようだが、人の声がしたので急いで退散。。。
いつも吉野川へ遊びに行くときに通る国道169号沿いに走り、近鉄六田駅を通り過ぎたところで
兄が車を止める。何ここ?
近鉄吉野線はもとは吉野軽便鉄道として大正元年に吉野口~吉野間が開通し、ここがその終着駅
「吉野駅」だったという。へぇ~、こんな石積みのホームがそのまま残っているなんて、
これまで何十回とこの横を通っていたにもかかわらず、全然知らなかった。
その後近鉄の前身大阪電気軌道(大軌)に合併され、現吉野駅まで延伸した際にここは「六田」駅となった。
右側の一段上を走っているのが今の吉野線の線路であるが、その向こうには古いレンガのアーチが
見える。覗き込んだら手前側にも同じアーチが見えた。
国道を大胆に斜めに横切る吉野線のガード。カッコイイねぇ・・・
六田駅の南側には車庫が広がっていて、兄曰く、すごくいい感じらしい。
どっからか見えないものかとうろうろしてみたが、川に阻まれて近寄れない。
国道脇の細い小道を入っていくと、丸石積みの橋台があった。薄暮にぶつぶつのシルエットが。
あぁ暗くてもう限界。。。
また今度、吉野まで電車で行ってみよう。
駐輪場脇の細い道を歩くと、駅の手前で分岐した線路が1本、ホーム裏まで延びてきて、
終点になっている。
あぁそうか、今歩いているところもプラットホームだったんだな。
近くの「純喫茶ゆり」。窓の下に・・・・
タイルタイル!!
そしてこんなアーケードが。暗くて奥の様子はうかがい知れない。ん~ゾクゾクする。
そろりと足を踏み入れてみた。うぉ~~昭和満開!!映画のセットのようだ。
アーケードの路地はL字型に曲がっていて、その先も抜けている。
床には鉄道のプラットホームみたいな白点が。
お店はもうほとんどやっていないようだが、人の声がしたので急いで退散。。。
いつも吉野川へ遊びに行くときに通る国道169号沿いに走り、近鉄六田駅を通り過ぎたところで
兄が車を止める。何ここ?
近鉄吉野線はもとは吉野軽便鉄道として大正元年に吉野口~吉野間が開通し、ここがその終着駅
「吉野駅」だったという。へぇ~、こんな石積みのホームがそのまま残っているなんて、
これまで何十回とこの横を通っていたにもかかわらず、全然知らなかった。
その後近鉄の前身大阪電気軌道(大軌)に合併され、現吉野駅まで延伸した際にここは「六田」駅となった。
右側の一段上を走っているのが今の吉野線の線路であるが、その向こうには古いレンガのアーチが
見える。覗き込んだら手前側にも同じアーチが見えた。
国道を大胆に斜めに横切る吉野線のガード。カッコイイねぇ・・・
六田駅の南側には車庫が広がっていて、兄曰く、すごくいい感じらしい。
どっからか見えないものかとうろうろしてみたが、川に阻まれて近寄れない。
国道脇の細い小道を入っていくと、丸石積みの橋台があった。薄暮にぶつぶつのシルエットが。
あぁ暗くてもう限界。。。
また今度、吉野まで電車で行ってみよう。
遠い親戚は広橋峠に住んでいて、看板の「水本」姓でもあります(笑
因みに祖母の旧姓は「中戸」で、これまた地元に多いです。
そのためか、吉野ネタには反応します(爆
下市口のプラットホーム跡は、かつての貨物取扱施設です。中学生の頃は国鉄の貨車が普通に停まっていました。
当時に乗った奈良交通バスの車掌は、母の従兄の息子でした(笑
吉野川を越えたところにある、柿の葉寿司の店は隠れた名店です。
下市口駅のプラットホームは貨物用でしたか。
下市口は吉野方面の物産の集散地だったんでしょうか。
駅前もかつては賑わっていた面影がありますね。今は寂しいですが。。。
実は私はいつも169を下って東へ行ってしまうので
下市口駅前はこれまでなじみがなかったのですよ。
柿の葉すしの名店とは何というお店でしょうね。