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骨からの骨、肉からの肉

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創世記27章

2017-08-29 16:56:54 | 聖書
「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。


双子の息子がいて、片方の子供だけを特別ひいきにする事について。


この両親を責めることは簡単だけれど・・・






まだ子供を持たなかった頃


リベカに対してより、イサクに腹が立った。

子供が2人いて、1人にだけ全ての祝福を与えるつもりでいた父親。

2人いたら、半分こでしょう?


人として、親として、
多少とも理性があったら、こんなにも極端に差をつけることはないでしょう?

そういうことをするから、こんな結果になるんだと

日本の昔話に慣れ親しんでいた若いわたしは、憤慨しながらこの箇所を読んでいました。




さて





子供を持った今の私





妊娠中に
「兄が弟に仕える」
と神に預言されて、両親は何を思ったでしょう。


長じて

自分の為に好物の獲物を持って来てくれる息子

いじらしいではないですか。


神はこの子を選ばなかった。


せめて、自分が出来る精一杯のことをしてやりたい


そう思うのは親の常。せめてもの神に対する反抗。






自分が納得できることは従えるのです。

けれどどうしても納得できない時

わたしはどうやって神様に従っていけばいいのでしょう。

「お言葉ですから」と従えない時




主よ。もう1人の子もわたしの大切な子なのです。
どうか憐れみをかけてやってください
2つの国民が親しく交わることができるようにしてください
それでも許されないのなら、どうか私に、あなたに従う心をお与えください


こう祈るしかないのでしょうか?






創世記26章

2017-04-13 21:18:13 | 聖書
イサクはその地に種を蒔き、その年に100倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。




実は


私は神様に特別にひいきにされていると思っていた


特別愛されていると思っていた




ある時


デボーションの席で



その事を打ち明けたことがある





ところが




その場にいたうちの2人の人が




「私もそう思っていた」


と言った





お互い顔を見合わせて笑った



(私は幸せだなぁ)



と思った







創世記25章

2017-04-12 21:41:45 | 聖書
長子の権利など、今の私に何になろう



今流行りの断捨離をしている


我流のユルユルのやつだ^_^;



始めた当時、

自分の生活がどんなに余計な物に囲まれているか


そこにまず驚いた



次に

これだけの物をきちんと使い切るには


どれだけの年月がかかるのかと

途方にくれた




そして

将来的に

老人ホームに入るとして

これらの道具のうち

持って行けるのはどれほどのものかと思い巡らすと


もうこれ以上、買うものはないんじゃないかと思った



それなら

その先の天国には

何を持っていくことができるのだろう



裸でかしこに帰るだけだ








そんなことを考えると


今必要なもの
今必要なことって



そこにいくための準備しかないんじゃないかと思う








創世記24章

2017-04-09 16:44:05 | 聖書
このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。




娘時代



何度も何度もこの章を読みました


そして


何度も何度も夢見ました



こんな出会いを夢見ました





主が用意してくださっている人はどんな人なのだろう

どうやって出会うのだろう






よしあしを言うつもりはありませんでした



ただ



私を心から愛してくれる人

主を恐れている人



そう

神様に願いました







あの時の信仰のお陰で


本当に良き人生を送ることができたと思っています

神様は

本当に最高の人を与えてくださったと思っています






子供は主からの預かりもの

夫は主からの授かりもの








創世記23章

2017-04-08 19:50:46 | 聖書
こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。




神の計画は、どのように遂行されるかわからない




妻の墓場を購入することで、カナンの地を所有する第一歩が始まった

ヘテ人たちみなが聞いているところで





確かに神は75歳のアブラハムに

この地を与える


と仰せられたが



こんな方法から始まるなどと


誰が想像できよう








私はストローの穴から世間を見ているようなものです




キョロキョロしながら



結局は繋がりがわからず

自分の想像であたりをつけて

失敗ばかりするものです




神の計画の完成への道筋など

わかるはずもありません





ストローの穴の先には


主の御言葉の灯だけが見えていればいいのかもしれません



サーチライトではなく、足もとだけ見えていればいいのかもしれません