10月2日テレビ東京の木曜洋画劇場で2004年のアメリカ映画「セルラー」を見た。
ストーリーは、既婚で子供もいる女性教師が誘拐・監禁され、その部屋の電話もハンマーで破壊されてしまう。彼女は壊れた電話の配線を接触させて外部との連絡を試みる。
そしてある青年の携帯電話につながり、彼は、彼女のSOSを聴き、何とか助けようと奔走する。
ブラジルでは、携帯電話をセルラー(Celular)と称していたので、セルラーという言葉に違和感は無かったが、1997年ブラジルから帰国後、「セルラー」と何気なく言葉を発したり、メールに書いたりしたが、日本では通じなかった。「ケータイ」と言えば、「携帯電話」を指すことを知り、逆に驚いた。携帯ラジオや携帯グッズ(灰皿)などは今では「ケータイ」の対象外なのだ。
1997年にポルトガルとスペインを旅行した時、車はメルセデスで、運転手とガイドはポルトガル人と契約した。この運転手が車を運転しながら、携帯電話で旅行事務所と絶えず連絡を取り合っているのには驚いた。5泊6日の旅、無事終えることが出来たが。
今でも「ケータイ」より「セルラー」の方が、携帯電話のイメージが浮かぶ私である。