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ふたりの王子(その1)

2006年06月17日 | ミリヲタ

F log



もう一年前になります。
2005年6月14日のlogにコメントいただいた、すとれっちさんからblog IDである
「prinzの由来ってなに?教えてくださいませ」
と問われ、そのうちネタで書くからね~と軽く流したまま忘却の彼方へ・・・
すとれっちさん、たいへん申し訳ありませんでした
思い出したのは、やはりお世話になっているHさん&AさんのblogでURLの由来について
書かれていたからです。
思い出させてくれてありがとう。

prinzというIDですが、二重の意味があります。
二日間にわたってその理由を解説しようという、勝手にやってくれ的な自己満足の世界ですから
ど~ぞ華麗にスルーしてくださいませ。カテゴリもアレだし



ドイツ語の王子であるprinzですが、一つ目は1940年に就役したドイツ海軍の重巡洋艦
「Prinz Eugen」(プリンツ・オイゲン)からとりました。

命名の由来はトルコ軍に伝説的な決定的勝利を収めたオーストリアの英雄、サヴォイ公
プリンツ・オイゲン(1663~1736)です。オーストリアを併合したドイツの政治的配慮でしょう。
有名なベルヴェデーレ宮殿は、オイゲン公の夏に滞在する宮殿として建造されました。
そういえば宮殿近くに「プリンツ・オイゲン通り」という道もありました。


Prinz Eugen Franz von Savoyen-Carignan肖像画。右、ウィーン市内の銅像。

いわゆる「条約型重巡」の制約なしに作られたAdmiral Hipper(アドミラル・ヒッパー)級重巡。
よくSharnhorst(シャルンホルスト)級戦艦が「もっとも美しい軍艦」といわれますが、
私にとってはヒッパー級、中でも3番艦プリンツ・オイゲンなのです。
世界中のあらゆる軍艦のなかでもっとも好きなフネです。



プリンツ・オイゲンの戦歴を挙げていくときりがありません。
戦艦ビスマルクに帯同した有名な「ライン演習作戦」では、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡戦フッドを相手に
いち早く有効弾を射撃しました。
その長砲身の8インチ(20.3cm)砲は、戦艦の主砲にも匹敵する射程距離を誇っていました。

ビスマルクが沈した後、フランスのブレスト港に退避したプリンツ・オイゲンでしたが、
空襲が激しくなり、ベルリン作戦(通商破壊作戦)を終えた戦艦シャルンホルストと
姉妹艦グナイゼナウとともに、本国への帰還を迫られます。
とはいえイギリス本島を迂回すると、北端の英海軍の本拠地スカパ・フローに近づくことになり、
大胆不敵にも狭いイギリス海峡(イングリッシュ・チャンネル)をすり抜けてドイツ本国に向かう
という「ツェルベルス(ケルベロス)作戦」が立案されました。後ろ向きの作戦ですけどね。
英海軍の汚点たる、いわゆる「チャンネル・ダッシュ」です。

シャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンの単陣形でブレストを出港した艦隊は
空軍の傘の元、英空軍、海軍の怠慢にも助けられ、触雷などの被害をこうむりつつも
本国に帰還を果たしました。
トップ写真は狭いイギリス海峡を高速で疾走するプリンツ・オイゲンのショット。
艦首先端部から前部砲塔群、艦橋を見た写真です。向かって左手がフランス、右側が
英国です。
襲来が予想される航空機に対し、第一砲塔の前と第二砲塔上に4連装の20mm砲が増設され、
英国方向に砲身を指向しています。
両舷の高角砲も高仰角をとっており、非常に緊迫感溢れる写真ですね。
「ライン演習作戦」時もそうでしたが、宣伝中隊の従軍カメラマンがプリンツ・オイゲンに乗艦しており、
写真はシャルンホルスト、グナイゼナウが中心なのが残念です。


駆逐艦、Eボートに護衛され高速航行する艦隊。プリンツ・オイゲンから撮影。

手前の大型艦は戦艦グナイゼナウ。その奥、戦艦シャルスホルスト。
トップ写真とは逆でフランスは右舷。英国は左舷。
英国に旅行した際、ドーバーからイギリス海峡を眺めて、この海のちょいと先を3艦が
突っ走ったんだと感慨にふけったものです。


無事にドイツ本国にたどり着いたものの、それから幾多も苦難の連続でした。
唯一有効活用されたのは1944年のリガ湾に展開して行ったラトビアの首都リガ砲撃です。
東部戦線の陸軍の攻勢を援助するため、リガ内陸24km先の鉄道操車場を艦砲射撃しました。
陸上の固定目標とはいえ、命中率8割以上と陸軍を援助し錬度の一端を披露しました。


戦争が終わった時、稼動常態にあったドイツの大型艦はプリンツ・オイゲンただ1艦でした。
戦後はアメリカに接収され、ある目的の為に太平洋まで回航されました。


プリンツ・オイゲンの現存する最後の写真。第一砲塔の主砲二門が撤去されています。

ボストンでドイツの乗組員たちは自分達の艦に別れを告げて上陸されられました。
彼らが親しみをこめて「プリンツ」と呼んだ美しい巡洋艦が、この後原爆実験に晒される
ことなどまったく知らずに。


1946年6月ビキニ環礁における核爆発が水上艦に及ぼす影響の実験配置図。

要するにいらなくなった大小軍艦を並べた真ん中で原爆を爆発させ、どれくらい耐えられるか
という恐ろしい実験です。
配置図には自国の古い艦艇に混じって敗戦国の軍艦、日本の戦艦長門(ながと)も見られます。

瞬間に爆沈する艦もあるなか、爆心地からの距離もあってプリンツ・オイゲンは生き残りました。
核実験、検証、洗浄後はクエゼリン環礁に移動させられ放置されました。
後に転覆して推進器を露出した姿は長い間、環礁で晒し物にされていました。


左、クエゼリン環礁で転覆した姿。ドイツ大型艦独特の3軸のスクリューが見えます。

20代半ばの頃、本気でクエゼリン環礁にプリンツ・オイゲンを見に行こう考えて調べたことが
ありました。ちょうど病気したのと、あまりの旅費と危険にあきらめてしました
プロペラを水上に出して朽ち果てるままになっていましたが、いよいよ解体される段になったとき
旧ドイツ海軍の有志がスクリューを1個だけ救出することに成功しました。
その1軸は現在、ドイツ国内の海軍施設に展示されています。(写真右)


とまあこんなフネの名前「Prinz Eugen」からいただいたのがprinzの由来半分です。
もうひとりのprinzについてはまた次回に・・・・・


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2 コメント

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Unknown (チェリン)
2006-06-17 17:01:12
え~、内容は「華麗にスルー」して下まで来ちゃいましたが、コメントはします(^^)

プリンツは、プリッツとは何にも関係ないですね?

・・・・はい・・・・
スルーどころか  (F)
2006-06-17 23:43:42
チェリンちゃん、こんばんわ。



スルーどころかこんなクセ球を蹴ってよこすとは・・チェリン恐るべし



えーもちろん関係ありません。

プリッツとわたくしは同い年というくらいでしょうか。エヘヘ。

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