PPO ( Project for people in ota )

大田区の市民と女性議員の会、女性が働きやすい職場や家庭の環境づくり、女性が政策決定の場へ出る応援をするプロジェクト。

写真でつづる韓国視察

2007-08-01 15:17:58 | 韓国視察

金浦空港から大田市(テジョン)までの1時間半くらいの道のりは延々高層住宅のビル群が林立していました!

大田市の女性議員全員(3名)との懇親会、

大田市女性会館では、大きな歓迎の幕に迎えられました。私たちの数人は2度目の訪問に感無量でした

女性会館1Fに保育園が設置されていました。利用者の数が多いことと利用者が若いお母さんが多く、講座の内容の充実と環境整備のよさに感動しました。子供たちが歓迎のダンスを披露してくれたのですが、なんとその曲が演歌!!

予定外の昼食の接待に一同感激しました。韓国のごくごく普通の家庭料理との事でした、大変おいしかったです。


韓国のハイテク産業のメッカ、大徳バレー、私たちが訪問したのは紙を生産する機械を作る会社でした。コンパクトな機械でいろいろな工程なく紙ができてしまうという特殊な機械でした。

唯一、観光できたのがここ、城壁の街、水原(スオン)でした。スオンの王がハングル文字の創始者といってました。


ソウルの中心地はまるでニューヨーク!また、ヨーロッパ風の教会があちこちにありました


韓国YWCA、長い歴史と伝統のある組織の中が今大きく変化を遂げています。

女性開発人力センター、大変忙しい女性企業家たちが沢山集ってくださって貴重なお話を聞くことができました。

人力センターのロンパールームと講習風景


女性政策の大元韓国女性開発院、したの図は開発院の位置を示した図。


貞洞劇場の若者たちは公演後外の広場で観客と一緒に踊ってくれました。

南大門市場、韓国らしさが満喫できる場所ですね

韓国視察のまとめ -いま、必要なことを即、政策に!-

2007-07-30 21:54:34 | 韓国視察
私たちにとって本当にようやく実現できたという感慨深い視察を終えて、「韓国でよかった!」「韓国へ行けてよかった」とつくづく思う。
韓国は、「“即実行”ケンチャナヨ精神」という、日本とは異質の素晴らしい気質がある。あらゆる点でそれが突出してみえる。
“なんでもできちゃうのだ”“なんでもやってみる”本当にそう思えるのが韓国であった。
今回の視察は、大田広域市の全女性議員との懇親、国の女性政策を地域で実践している大田広域市女性会館、大田広域市大徳バレー研究団地の女性企業会社訪問、そこからソウルに移動して、市民活動の伝統あるソウルYWCA、女性開発人力センターを運営している女性企業家との懇親、そして最後に女性政策策定機関である韓国女性開発院、の6箇所を訪問した。

 視察中、どこへ行っても突き当たったのが‘97のIMF経済危機の体験の重大性に改めて驚かされた。今韓国にある活力の源がそこにあるという感じすら受けた。
 韓国は、その体験を上手くチャンスに変えていた。というよりそれほど切実だったといえるのかもしれない。
‘97経済危機の後、政府は、即、女性の能力開発、社会進出、経済拡大を図るため、「女性開発人力センター」のプロジェクトをたちあげ、全国に51箇所設置している。
また、YWCAの館長や、女性企業家にみられるように世代交代(若い人の登用)が推進されていた。8年前に訪問した時は女性の会長や社長は、ほとんどが50代60代中心であったのに比べ今回はほとんどの方たちが30代40代であった。      
女性会館では、8年前に比べて子ども連れの若いお母さんたちが大変多かった。人力センターでは、20代、30代を対象にリーダーシップ養成講座や子育て中のお母さんに重点をおいた社会復帰の為の講座が開かれていた。これらからも若い次世代の育成に力を入れていることが良く解った。(どこも保育園(室)が設置されていた) 
 このように時代のニーズに即、対応できること、必要なら即、行動すること、これが韓国の特徴だと思った。こういう動きは政策だけでなく韓国人の気質といえるかもしれない。 例えば大田市の大徳バレー研究団地の女性企業家は、「はじめは夫が社長だったのですが、夫はもともと技術者で、私の方が経営能力があったから交代したのです。」とか、「定年後を見据えて、アメリカへ行き、これからはケーブルTVの時代だと確信して帰り、会社を興した。」などごく当たり前にこたえている人力センターの女性企業家の話を聞いて、そのことを確信した。
 
 もう1つ、中小を問わず企業はじめ、ネットなどの個人販売にいたるまで、市場を世界に拡大しようとしている視点、また、学生も、アメリカはじめカナダ日本などへ留学するのは当然という感覚も日本とは大きく異なる感覚だと思った。さらに、この視察を通してどの場面でも、韓国の人たちがはっきりと「発展させるためには教育が必要」と言う言葉を口にしている点がとても印象的であった。
 韓国の開発センターのプロジェクトなど、女性の自活にポイントをおく女性政策は、単に女性の職業訓練、斡旋にとどまるものではなく、プロジェクトを受けた企業家のネットワークや市民団体の経済の活性化になる。
 女性たちの社会進出は、家庭の経済を上昇させ、生活が潤い、それは韓国の経済活性化に反映していくという道筋ができている。
 女性政策の面では、アジアより進んでいるノルウェーやデンマークなどの例から見ると、女性の労働力のアップは、男性の労働力(時間)を減らすことにも貢献し、男性の労働力を減らしても、男女全体の労働力は増加(国全体の労働力はアップ)する。
 また、男女の労働力の差がなくなるということは、職場や家庭における役割分担の差もなくなってくるのは自然な流れで、そこには、実現化に向けた必要な制度が派生する。
 例えば、男女区別なく、職場での労働時間を減少する制度、雇用、役職の均等制度、子育て休暇制度、保育所の整備、子育ての経済的支援制度、年金制度の充実などの制度がそこから生まれてくるからである。(そのための税金の上昇は当然として)
 これらの制度は少子化の歯止めにもつながっている。
 韓国の女性政策、女性会館や人力センターのプロジェクトからはこういった動きへの広がりが伺える。
 これは、まさに私たちPPOの連携の基点(目標)である。

 残念な事に、韓国視察の中で知った、感じたいろいろな政策や意識が、現実の女性の職場や家庭における実態調査の結果にはまだまだ反映されるほどに至っていないのである。(韓国統計庁が発刊した‘2004統計で見る女性の生’参照)この調査結果は、日本の女性白書(参照)の調査結果とほぼ同じ様な傾向を示している。
 来年は北京の世界女性会議、行動綱領が批准されてから10年、国連では、各国の実態調査報告を受け今まとめの作業が行われている。
 韓国や日本のこの10年の結果が大きな問題となることは予測される。
 私たちは、韓国や、日本の問題点を把握し、今後の活動で、これらの問題を1つ1つ解決していかなければならないと思っている。
PPOは韓国で多くの人たちから「市民と行政と議員、この三者の連携は素晴らしい」と言われた。これは私たちPPOの大きな特徴であることを自覚し、
「自分たちにとって必要な事、それが政策」という当たり前の事を改めて確認できたことは大きい。
 市民活動とかネットワークの活動を社会(政治)に反映するためには、多くの人たちと連携し、それぞれの立場や特徴を活用しあい、輪を広げていくことが重要である。
 これが連携のメリットである。私たちは、韓国の視察を通して学んだこのメリットを最大限活用して実践していきたい、と思いを強くした。


 2004年韓国視察の報告書はこれで最終になりました。この報告を始めてから多くの方がアクセスしてくださり、アクセス数がそれまでの100倍以上になりました。
多くの方から、メールもいただきました。本当に有難うございました。もっと早くブログ掲載できたら良かったと反省しています。
 今の時点で見直して手直ししたい部分もありましたが、そのときのまま掲載しました。
 このあと写真集を掲載して行きたいと思っています。
 
 春の区市長選、区議員選、そして昨日の参院選が終わり私たちPPOの活動もこの1年お休みしていたため、この秋からはいよいよ活動開始です。
 これからが実働の時期と思っています。どんどんブログ掲載して行きたいと思っていますのでよろしくお願いします。


チャチャチャの韓国の女性

2007-07-29 16:54:11 | 韓国視察
                   白井 悦子
 今回お会いした女性たちは、30代から60代の現在韓国社会を動かしておられるリーダーたちばかりでした。どの女性も握手した時のぬくもりは暖かく微笑みに富み全身で抱擁し私たちを歓迎して下さいました。
韓国では1995年に北京で開催された第4回国連世界女性会議への参加を経て12月に「女性発展基本法」を制定しました。この法律は憲法の男女平等理念を具現化し、あらゆる領域で男女平等を推進して女性の発展を目指すものです。
 制定してからまだ10年たっていませんが、どの視察先からもこの法に則った男女共同参画社会の実現のための熱い息吹が感じられました。
 女性が仕事と家庭を両立していくためには保育問題を抜きには語られません。まだまだ公立保育園は少ないようですが、大田公城市女性会館では保育園児が元気にリズムをとり可愛い踊りで私たちを迎えてくれました。
 園児の一人は案内の館長の白地に桔梗の花をあしらった美しいチマチョゴリに抱きつき、汚した一幕もありました。にっこり微笑んだ館長は館長室で他のチマチョゴリに取り替えて私たちと応対して下さいました。なんとしなやかな素早い変わりようでしょう!
 2歳のお嬢さんがいるガイドさんは、「夫の母が娘をみてくれているんでとっても安心です。可愛がってくれるんですよ」と目を細めておられました。
 貞洞劇場にも観劇中子どもを保育してくれる託児所がありました。
 これからどんどんいろいろな保育施設ができてき親を助けてくれることでしょう。
 日本と同じように少子化が進んでいる韓国です。子どもの育ちを保障し、安心して預けられる保育施設が増えますように切望します。
 因みに韓国の女性の就業構造は日本と同じくM字型を描いています。ポリシーのある行動力と先見性、リーダーシップを具えた女性たちの今までの歩みと努力、これからの抱負などをもつともっと聴きたい衝動にかられました。次回には暮らしの中心にいる庶民の生活にも触れてみたいと思います。
 これからも近い隣国の親友として是非交流していけたらなあと思いました。どの女性も本当の「優しさ」(人を憂うる)を持っていました。
「チャンス」「チャレンジ」「チャーミング」の3拍子揃ったチャチャチャの韓国女性に乾杯!                

大きな鏡・・・韓国女性の美しさの秘訣は鏡かも?

2007-07-27 12:14:50 | 韓国視察
  藤田 啓子
 用を足しちょっぴり晴れ晴れした気分で、トイレから出てくると真っ正面の鏡に私の全身が写っており、一瞬固まってしまった。度肝を抜かれ落着かなくなってしまった。
「私の顔の守備範囲はわかってるし、心の鏡で見るの」と言って日頃から鏡と向き合う時間の少ない私。
 以後気をつけてみると、トイレの前には必ずといってよいほど等身大の鏡があった。
 日本で等身大の鏡を見かけるのは、ホテルやデパートの試着室など限られた場所であり、ホテルの洗面台さえも上半身が写る鏡が大部分である。
 
 通訳の朴さんに韓国は何故等身大の鏡なのか聞いてみたが、昔からそうだったとのこと。だから朴さんが日本に留学した時、鏡が小さくてとても不便したという。
何故だろう。
 鏡は中国から渡来し、古来呪術的なものとして重視され、祭器や権威の象徴、財宝とされてきた。そのため大きな鏡でなく、小さい方が良かったのだろうか。三種の神器にもやたの鏡が加えられている。ランプを使うようになるまで部屋は薄暗く、顔がぼんやり見える程度の明かりだったので、大きな鏡は必要なかったのかも知れない。
「縮み志向の日本人」故なのか。韓国女性が美しいのはこの大きな鏡にも一因があるのだろうか、いつか調べてみたいと思う。          

鏡と言えば、誰でもそうですが、鏡の前に立つと自然と姿勢がシャンとなりますよね。美しさって姿勢が100%と言っていいくらい左右します。
ダンスやバレースタジアムは部屋の壁全体が鏡張りになっていていろいろな角度から自分の姿が見られます。
 姿勢を正すにはかがみは最適ですね、毎日の挨拶代わりに「○○さん、太ったでしょう」と言われるようになった昨今、等身大の鏡の前に毎日立つといいのかも???ダイエットは先ず鏡から

龍山(ろんざん)区議会のこと

2007-07-26 15:16:28 | 韓国視察
金子 悦子

その日、昼食は次の視察先に移動中のソウル市内の、日本でいえば焼肉レストラン。炭火焼きのカルビと、生キムチを、みんなでおいしく食べて、地下の店から上がって、1階のホールを眺めたら、なんとそこは、龍山区議会でした。
地域の人が、だれでも気軽に入って、食事や結婚式をするビルの1階に、大田区議会の議会事務局風の入り口がありました。議員の写真が全員出ており、男性議員ばかりでした。
ここには、アメリカ軍の基地があるのです。なぜ、女性議員がいないのでしょうとか、基地の問題など、お話が聞けないだろうか、と通訳の朴さんに聞いてもらいましたが、「アポイントがなければ、いきなりではだめです」と断られてしまいました。残念でした
帰国してすぐに、この龍山基地を返還することがニュースになっていました。
龍山基地の周囲をバスで走りましたが、大変広い基地で、金網に囲まれていました。
首都に基地があるのは、東京だけではなかったのかと、思いました。女子中学生がアメリカ軍の戦車にひき殺されて、ソウル市で数10万人のデモがあったことを思い出しましたが、日本と韓国には、アメリカ軍の基地を返還させるという共通の課題があることを、あらためて認識したことです。

世界遺産水原(スオン) 世界でただ一つ残る城郭都市

2007-07-25 00:29:34 | 韓国視察
古山 昌子

大田市(テジョン)からソウルに向かう途中で時間をこじ開けて水原城(華城)を訪れました。広々としていて、緑豊かで、中国の万里の長城と比べると規模も小さいですがそれがかえって親しみを感じました。
城郭に沿って歩くと少し高くなっているので周りの景色が見渡せ、爽快な気分が味わえました。日本ではあまり宣伝されていませんがこんな素敵なところにこれてよかったと心から思いました。
水原城 [華城]の歴史は、二百年余り前の1794年に着工され、2年後の1796年完成しました。朝鮮王朝第22代、世祖大王が、政治の争いに負け非業の死を遂げた父、状献世子に対する親孝行のためと、強力な王道政治を行う都として、八建山の稜線を利用して、水原(Suwon)の地に城郭都市を築きました。
 このため、水原城は「親孝行の城」と呼ばれ、後年「華城」と名を改めました。
この城は李朝朝鮮時代の最後の築城で、文禄・慶長の役、丙子故乱などの戦乱を通じて、朝鮮の城の弱点を洗い出し、補完して築城しました。
城の形態は、八達山の稜線と平地を巧みに利用した、山城と平城の長所を組み合わせ、水原川をまたいで築城したものです。
現在は、城郭全体がユネスコ指定の世界文化遺産に1997年に登録されました。
(以上の資料は、水原市廳発行の「華城」Guide To Suwonを参考にしました。)   


 今回は、唯一見学できたのはここ水原(スオン)だけでした。
 遺跡の間に国道が通っていると言うのは不思議な感じはしたけれど、それでもここ水原はとっても穏やかで、悠久のときを感じさせてくれた。

 1997年に視察に訪れた時は慶州、扶余を見学できた。
慶州は、新羅(百済、高句麗を倒し統一し、676年~935年まで続いた)のほうが良く解かる、仏教遺跡が沢山残っていて、その象徴が吐含山にある仏国寺と石窟庵で世界遺産に指定されている。慶州はどこを歩いても古墳や遺跡があると言う感じがした。日本で言うと京都に似たきれいな町だった。家の作りもとてもきれいで古い韓国を偲ばせてくれた佇まいだった。
 また、規模的にはソウルについで2番目の大きさと内容をもつ国立博物館があり、私たちはそこの館長から直接お話しを聞いたと言うよりまるで講義を受けたと言ったほうがよい。こんな機会があると知っていたら、もっと事前に研究して来ればよかったと反省した。
 そして扶余と言えば百済です。 あの時は、百済と新羅の戦いの悲しい伝説を聞きながら川を船で下って見上げた扶蘇山落下岩が、印象深く残っている。
 そしてこの川のもう少し下流には白村江の戦いの跡があると教えられた。天智天皇のとき、百済と同盟を結んでいたため新羅との戦いに参戦した日本は大変な敗退をした。この敗退は大和朝廷にとっては第二次世界大戦ほどの打撃だったのではないかと梅原猛氏は言っている。
 夕暮れの川下りだったせいか、タイムスリップしたような不思議な思いを感じたのを良く覚えている。
 また、町のあちこちで唐辛子をござの上に広げて干している風景が印象的だった。
扶余はどちらかと言うと日本の奈良を思わせた。



たかがショッピング?これは最高のコミュニケーション!

2007-07-22 14:58:17 | 韓国視察
内田 秀子

韓国でのスケジュールはタイトで、ショッピングどころではないはず。
しかし好奇心旺盛の私たち、昼間の疲れもなんのその。韓国の人々の生活を知るためには街の散策も視察の重要課題。というわけで、エネルギッシュな韓国女性に負けることなく、早朝の散歩、夕食後のショッピングを強行。

早朝のソウル官庁街で見かけたおばさん、朝食用のお弁当を籠に入れて地下道出口で出てくるサラリーマンを待ち構え、手元へさっと出しお金を受け取る絶妙なタイミング。

「韓国ではいい値で買い物しないように、にせものには注意して」と忠告を受けていた私達。しかし今の日本での店員のマニュアル化された対応に辟易していた私は、これこそ売り手と買い手の駆け引きを通しての最大のコミュニケーションと大いに楽しんできました。

南大門では「偽物のA級品見せたい」と嫌がる私を無理やリ店の中へ連れ込み、
曰くありげに鞄を開けてA級偽物を自慢する店主に「さっきの店で見た鞄と同じネ」と言った時のギョッとした顔。
明洞の露天では気に入ったビーズのバッグを今風韓国ボーイのあま~い応対に負けじと応戦する事15分、2000ウォン負けさせ、やった「皆に内緒であなたには特別3000ウォン負けてあげる」と囁きに乗ってたくさん買ったステキな布製の小袋。後日国立劇場で同じ物が半値で売られているのを発見した時のショック!
今流行りの韓流とは一味違う韓国の人たちとの出会いでした。 

余談ですが。。。南大門で拉致された内田さんが買わされるといけないと、助けに入った私たちが、ミイラ取りがミイラになって買わされてしまいました
2つ買うからもっと安くしてと交渉を続け、やっと買って「安かったね!」と喜んだのもつかの間、数軒先の店でもっと安かった
                 

<<ガイドさんのこと>>・・・韓国視察

2007-07-21 14:36:39 | 韓国視察
                     都野 圭子
               
 私たちの4日間の旅に同行してくださったガイドさん、運転手さん、確実な仕事と温かい人柄で、私たちに安心感を与えてくれました。
 ガイドさんは日本語の上手な30代の女性で、鹿児島県に留学したことがあるそうです。鹿児島の印象は「親切でおだやかな人が多い。冬も暖かくて住みやすかったけど、空から桜島の灰が降って来て驚いた。」そうです。今回彼女は2歳の子どもを自宅に残して、宿泊も伴う出張をこなしていました。「姑と同居しています。今回のような出張の時は姑が子どもをみてくれます。やさしい人です。」と話しておられたのが印象的でした。

 韓国では長男と結婚すると夫の両親と同居することが多いようですが、お姑さんがおヨメさんの社会進出のサポーターになってくれることもあるとは、心強いですね。
 一世代前の韓国の女性というと、家父長制のもとで抑圧されていたようなイメージがありますが、実際には農業のような生産の場で、または市場のような流通・商業の分野で力をを発揮し、たくましく生きぬいた女性も多かったのかもしれません。その流れはお姑さんからおヨメさんへと確実に受け継がれているようです。
                             
ちょっと追加ですが、テジョンからソウルに戻った夕方、ガイドさんのお勧めの明洞のお店に連れて行ってくれました。
チジミやクッパで乾杯、すごくおいしくて、大繁盛のお店でした。
クッパの食べ方などもガイドさんが教えてくれました。
そこに、かかっていた写真が元貴花田(若乃花、貴乃花のお父さん)にそっくりで、ハングル文字がわからない私たちは、もしかしてここに来たのかと?
なんとここのご主人で、店の宣伝用ポスターでした。それにしてもそっくりでしたよ。

このお店はさすが明洞だけあって若者でごった返していました。すごい喧騒の中、みんな元気ではつらつとして、体格が良いのには驚きでした。
おじさんやおばさんはそんなに大きくないのに、若者は皆大きかったですね。

もう1つ、ガイドさんが教えてくれたことがあります。
ドラマ「チャングム」でおなじみになりましたが、韓国の食の文化はすごいものがあります。
子供たちはやはりそういう韓国料理を毎日食べているの?」と聞いたところ「子供たちの好物はカレーとハンバーグですよ」って答えでした!!
なんと子供たちの好物は世界共通か。。。

<<韓国の交通事情>>

2007-07-20 21:47:25 | 韓国視察
野呂 惠子

金浦空港から一路、大田市へ向かう道すがら、見慣れたような、懐かしい風景が続きます。その昔、日本に船で渡ってきた朝鮮の人々は飛鳥に立ち「ここは朝鮮と同じ風景だ」と住みついたそうです。そうして「ナラ(国)」という名前をつけました。それが、かつての百済から日本へ渡った人々であり、今の大田市のあたりに住んでいたのです。一衣帯水と言いますが、日本と朝鮮半島の古い歴史が今も脈々と息づいているように感じられました。

 さて、韓国は近代化の波が押し寄せ開発が続いています。あちこちに建設されている大型マンションは、日本の比ではないようにさえ感じられました。地震がないために超高層マンションになっているのです。そして、もうひとつ車の多いこと。その国の経済発展を示すものさしの一つに国産車の生産がありますが、韓国では大量に生産されています。そして朝夕の通勤になくてはならない交通手段として活用されています。
 
 さて、私が今回交通事情を担当したのは、車に乗って私があまりにも驚いていたからです。時速制限があったかどうか定かではありませんが、大型バスでさえものすごいスピードで飛ばし、車線変更を乗用車並みに何回も行うのです。それも、車の量が、半端な数ではない中を行うのです。私は怖くてしがみついていました。窓から見えるどの車も同じようでしたから、視察中どきどきしていました。
 そして、何と片道6車線もあるのです。「どうして?」と疑問に思ったら、38度線という悲しい歴史が示すように、いつも「もし有事になったら」と想定されているのでした。そのときには滑走路として使えるよう、中央分離帯が設けられていない道路があるのです。大陸はいつも隣国を意識しないわけにはいきません。若者には徴兵制もありますが、同じ民族を意識してのまちづくりや政策に平和を願わずにはいられませんでした。そして、日本の私たちもアジアの人々との連帯をまず大切にしていかなくてはと思いを深くした日々でした。

ちなみに韓国の交通状況は世界でワースト1ということを後日ニュースで知りました。韓国の国会議員さんたちが汚名返上したいと言う思いから、高速の入り口で取り締まり運動でビラを配布したり説得したりして、がんばってますが、良くなるかなバイクなど平気で反対車線走ったりしますから信じられませんよ

こぼれ話続きは明日。
                       

時の流れを通して感じた千里馬の国 韓国

2007-07-19 21:30:06 | 韓国視察
女性議員との懇親会から始まった私たちの視察も開発院で終わりを迎えた。
今日からはこぼれ話を掲載していきます。
いろいろ重複するところもありますが、全員のそれぞれの感じ方の違い、また、角度の違った視点からも韓国の別の事柄が見えてきますので是非見てください。 

 藤田啓子 岩田久二子 村越明美
 8年前1997年、大田区から女性海外視察団のメンバー(オーロラ’97)として訪韓したのは、バブルがはじける直前でした。
 仕事柄シビアな仕事になれているとはいえ、登り龍のような勢いの韓国女性のパワーに圧倒されたのをまるで昨日のことのように覚えています。そしてその衝撃を「力 そして優しさあふれる韓国」と冠し、サブタイトルに「今を生きる女性たちへ エールをこめて ジレンマからの脱皮」とした報告書を上梓したことでした。
 今回は3泊4日と期間も短く、先方の都合等で調整が難しく、再訪できたのは、大田女性会館、韓国女性開発院の2箇所でした。他は新しい企画です。  
YWCAも訪問しましたが、前回は釜山のYWCAでした。  
 訪問したどの施設も伸びゆく韓国の躍動を感じましたが、その発展ぶりと変化に強いインパクトを受けたのは、やはり大田女性会館、韓国女性開発院でした。

大田女性会館は開講数、利用者数共倍近くになり、自立へのバックアップ体制もしっかりし、保育園には受講生のみでなく、会館利用者の子どもを預かるなど、女性が教養や経済力を身につけるためのサポートが確実になされていました。パートナーからも受講したいという希望があると伺い、地についた時宜を得たサポートがされていることを改めて感じました。
 
 韓国女性開発院は、1983年に設置され、'97年の訪問時、教育、研究、訓練を推進する役割を担い、政府から100%の支援を受けていました。現在は女性政策研究機関として位置づけられ、同じく政府から100%予算を貰い、さまざまな女性問題に関する研究をし、それらを政策として提案しています。開発院は女性政策の根幹を担い、’97年よりもさらに確固たる地位を築いていました。
 
 日本ではジェンダー問題は、強い逆風の中にあります。肩肘張って男女平等を叫ぶのではなく、韓国の女性たちが戦ってきた切り札の言葉「私たち女性の力を活用しないともったいない」とやんわりとしかもしっかりと自分の考えを伝え、意志を貫く工夫が必要だと思いました。韓国女性のようにやんわり切り返していきながら、相手を自分の土俵に引き込んでくる手法をもっと学ばなければいけないと痛感しました。そういう意味でも大田女性会館や韓国女性開発院の方々のお話はPPOの今後の活動に対して多くの示唆が得られました。8年ぶりに再訪した韓国は、やはりパワフルでありながらその中に優しさと叡智を秘めた国でした。
 ‘97年は大田区からの派遣、今回は民間の一団体です。その私たちが通常ではお会いすることができない方々にお会いすることができ、しかも今後の交流を約束することができたことに自分でも感動すると共に、今更ながらものすごいことが体験できたと思っています。