PPO ( Project for people in ota )

大田区の市民と女性議員の会、女性が働きやすい職場や家庭の環境づくり、女性が政策決定の場へ出る応援をするプロジェクト。

龍山(ろんざん)区議会のこと

2007-07-26 15:16:28 | 韓国視察
金子 悦子

その日、昼食は次の視察先に移動中のソウル市内の、日本でいえば焼肉レストラン。炭火焼きのカルビと、生キムチを、みんなでおいしく食べて、地下の店から上がって、1階のホールを眺めたら、なんとそこは、龍山区議会でした。
地域の人が、だれでも気軽に入って、食事や結婚式をするビルの1階に、大田区議会の議会事務局風の入り口がありました。議員の写真が全員出ており、男性議員ばかりでした。
ここには、アメリカ軍の基地があるのです。なぜ、女性議員がいないのでしょうとか、基地の問題など、お話が聞けないだろうか、と通訳の朴さんに聞いてもらいましたが、「アポイントがなければ、いきなりではだめです」と断られてしまいました。残念でした
帰国してすぐに、この龍山基地を返還することがニュースになっていました。
龍山基地の周囲をバスで走りましたが、大変広い基地で、金網に囲まれていました。
首都に基地があるのは、東京だけではなかったのかと、思いました。女子中学生がアメリカ軍の戦車にひき殺されて、ソウル市で数10万人のデモがあったことを思い出しましたが、日本と韓国には、アメリカ軍の基地を返還させるという共通の課題があることを、あらためて認識したことです。

世界遺産水原(スオン) 世界でただ一つ残る城郭都市

2007-07-25 00:29:34 | 韓国視察
古山 昌子

大田市(テジョン)からソウルに向かう途中で時間をこじ開けて水原城(華城)を訪れました。広々としていて、緑豊かで、中国の万里の長城と比べると規模も小さいですがそれがかえって親しみを感じました。
城郭に沿って歩くと少し高くなっているので周りの景色が見渡せ、爽快な気分が味わえました。日本ではあまり宣伝されていませんがこんな素敵なところにこれてよかったと心から思いました。
水原城 [華城]の歴史は、二百年余り前の1794年に着工され、2年後の1796年完成しました。朝鮮王朝第22代、世祖大王が、政治の争いに負け非業の死を遂げた父、状献世子に対する親孝行のためと、強力な王道政治を行う都として、八建山の稜線を利用して、水原(Suwon)の地に城郭都市を築きました。
 このため、水原城は「親孝行の城」と呼ばれ、後年「華城」と名を改めました。
この城は李朝朝鮮時代の最後の築城で、文禄・慶長の役、丙子故乱などの戦乱を通じて、朝鮮の城の弱点を洗い出し、補完して築城しました。
城の形態は、八達山の稜線と平地を巧みに利用した、山城と平城の長所を組み合わせ、水原川をまたいで築城したものです。
現在は、城郭全体がユネスコ指定の世界文化遺産に1997年に登録されました。
(以上の資料は、水原市廳発行の「華城」Guide To Suwonを参考にしました。)   


 今回は、唯一見学できたのはここ水原(スオン)だけでした。
 遺跡の間に国道が通っていると言うのは不思議な感じはしたけれど、それでもここ水原はとっても穏やかで、悠久のときを感じさせてくれた。

 1997年に視察に訪れた時は慶州、扶余を見学できた。
慶州は、新羅(百済、高句麗を倒し統一し、676年~935年まで続いた)のほうが良く解かる、仏教遺跡が沢山残っていて、その象徴が吐含山にある仏国寺と石窟庵で世界遺産に指定されている。慶州はどこを歩いても古墳や遺跡があると言う感じがした。日本で言うと京都に似たきれいな町だった。家の作りもとてもきれいで古い韓国を偲ばせてくれた佇まいだった。
 また、規模的にはソウルについで2番目の大きさと内容をもつ国立博物館があり、私たちはそこの館長から直接お話しを聞いたと言うよりまるで講義を受けたと言ったほうがよい。こんな機会があると知っていたら、もっと事前に研究して来ればよかったと反省した。
 そして扶余と言えば百済です。 あの時は、百済と新羅の戦いの悲しい伝説を聞きながら川を船で下って見上げた扶蘇山落下岩が、印象深く残っている。
 そしてこの川のもう少し下流には白村江の戦いの跡があると教えられた。天智天皇のとき、百済と同盟を結んでいたため新羅との戦いに参戦した日本は大変な敗退をした。この敗退は大和朝廷にとっては第二次世界大戦ほどの打撃だったのではないかと梅原猛氏は言っている。
 夕暮れの川下りだったせいか、タイムスリップしたような不思議な思いを感じたのを良く覚えている。
 また、町のあちこちで唐辛子をござの上に広げて干している風景が印象的だった。
扶余はどちらかと言うと日本の奈良を思わせた。



貞洞(チョンドン)劇場の若者はモシッソヨ(カッコイイ)!!

2007-07-23 22:09:46 | Weblog
村越 明美

貞洞劇場は、韓国ではじめて伝統芸術を観光商品化させた、舞踏、打楽器、楽器演奏、パンソリ(歌)と、宮中音楽と民俗音楽を同時に楽しめる専門劇場である。
徳寿宮脇の坂道を駆け登り開演時間ぎりぎりに滑り込んだが、幻想的、優雅、エネルギー溢れる踊りに酔いしれた。
なかでも圧巻だったのが、チャンゴなどの打楽器を激しく演奏しながら、帽子に付いたリボンをクルクル回したり(新体操のリボンのように)、頭の上の鳥のようなものを表情豊かに動かす農楽・プンムル(サムルノリ)は勇壮で素晴らしかった。こんなに長い時間、楽器を激しく演奏しながら踊るのはきっと職業病になるなと余計なことを思いつつ、チャンゴのイケメンに釘付け。夢中で皆と一緒に手拍子、喝采をして舞台と客席はひとつになった。女性も優雅で美しい!そして何よりも韓国から日本に芸術文化が伝来されたことがよくわかった。

隣席の通訳の朴さんにそっと聞いた。「自分の国を誇りに思うでしょ?」朴さんは誇らしげに頷いた。
公演の後、彼らは演奏しながら地上の広場に観客を誘導し、観客と入り乱れ輪になって踊り記念撮影にも応じてくれた。
またこの劇場のお土産品は韓国のどこよりも安くセンスのいいものばかりで、此処でお土産を揃えたほうがよかったとちょっと悔しい思いをした。久方ぶりに熱く燃えた夜だった。


たかがショッピング?これは最高のコミュニケーション!

2007-07-22 14:58:17 | 韓国視察
内田 秀子

韓国でのスケジュールはタイトで、ショッピングどころではないはず。
しかし好奇心旺盛の私たち、昼間の疲れもなんのその。韓国の人々の生活を知るためには街の散策も視察の重要課題。というわけで、エネルギッシュな韓国女性に負けることなく、早朝の散歩、夕食後のショッピングを強行。

早朝のソウル官庁街で見かけたおばさん、朝食用のお弁当を籠に入れて地下道出口で出てくるサラリーマンを待ち構え、手元へさっと出しお金を受け取る絶妙なタイミング。

「韓国ではいい値で買い物しないように、にせものには注意して」と忠告を受けていた私達。しかし今の日本での店員のマニュアル化された対応に辟易していた私は、これこそ売り手と買い手の駆け引きを通しての最大のコミュニケーションと大いに楽しんできました。

南大門では「偽物のA級品見せたい」と嫌がる私を無理やリ店の中へ連れ込み、
曰くありげに鞄を開けてA級偽物を自慢する店主に「さっきの店で見た鞄と同じネ」と言った時のギョッとした顔。
明洞の露天では気に入ったビーズのバッグを今風韓国ボーイのあま~い応対に負けじと応戦する事15分、2000ウォン負けさせ、やった「皆に内緒であなたには特別3000ウォン負けてあげる」と囁きに乗ってたくさん買ったステキな布製の小袋。後日国立劇場で同じ物が半値で売られているのを発見した時のショック!
今流行りの韓流とは一味違う韓国の人たちとの出会いでした。 

余談ですが。。。南大門で拉致された内田さんが買わされるといけないと、助けに入った私たちが、ミイラ取りがミイラになって買わされてしまいました
2つ買うからもっと安くしてと交渉を続け、やっと買って「安かったね!」と喜んだのもつかの間、数軒先の店でもっと安かった
                 

<<ガイドさんのこと>>・・・韓国視察

2007-07-21 14:36:39 | 韓国視察
                     都野 圭子
               
 私たちの4日間の旅に同行してくださったガイドさん、運転手さん、確実な仕事と温かい人柄で、私たちに安心感を与えてくれました。
 ガイドさんは日本語の上手な30代の女性で、鹿児島県に留学したことがあるそうです。鹿児島の印象は「親切でおだやかな人が多い。冬も暖かくて住みやすかったけど、空から桜島の灰が降って来て驚いた。」そうです。今回彼女は2歳の子どもを自宅に残して、宿泊も伴う出張をこなしていました。「姑と同居しています。今回のような出張の時は姑が子どもをみてくれます。やさしい人です。」と話しておられたのが印象的でした。

 韓国では長男と結婚すると夫の両親と同居することが多いようですが、お姑さんがおヨメさんの社会進出のサポーターになってくれることもあるとは、心強いですね。
 一世代前の韓国の女性というと、家父長制のもとで抑圧されていたようなイメージがありますが、実際には農業のような生産の場で、または市場のような流通・商業の分野で力をを発揮し、たくましく生きぬいた女性も多かったのかもしれません。その流れはお姑さんからおヨメさんへと確実に受け継がれているようです。
                             
ちょっと追加ですが、テジョンからソウルに戻った夕方、ガイドさんのお勧めの明洞のお店に連れて行ってくれました。
チジミやクッパで乾杯、すごくおいしくて、大繁盛のお店でした。
クッパの食べ方などもガイドさんが教えてくれました。
そこに、かかっていた写真が元貴花田(若乃花、貴乃花のお父さん)にそっくりで、ハングル文字がわからない私たちは、もしかしてここに来たのかと?
なんとここのご主人で、店の宣伝用ポスターでした。それにしてもそっくりでしたよ。

このお店はさすが明洞だけあって若者でごった返していました。すごい喧騒の中、みんな元気ではつらつとして、体格が良いのには驚きでした。
おじさんやおばさんはそんなに大きくないのに、若者は皆大きかったですね。

もう1つ、ガイドさんが教えてくれたことがあります。
ドラマ「チャングム」でおなじみになりましたが、韓国の食の文化はすごいものがあります。
子供たちはやはりそういう韓国料理を毎日食べているの?」と聞いたところ「子供たちの好物はカレーとハンバーグですよ」って答えでした!!
なんと子供たちの好物は世界共通か。。。

<<韓国の交通事情>>

2007-07-20 21:47:25 | 韓国視察
野呂 惠子

金浦空港から一路、大田市へ向かう道すがら、見慣れたような、懐かしい風景が続きます。その昔、日本に船で渡ってきた朝鮮の人々は飛鳥に立ち「ここは朝鮮と同じ風景だ」と住みついたそうです。そうして「ナラ(国)」という名前をつけました。それが、かつての百済から日本へ渡った人々であり、今の大田市のあたりに住んでいたのです。一衣帯水と言いますが、日本と朝鮮半島の古い歴史が今も脈々と息づいているように感じられました。

 さて、韓国は近代化の波が押し寄せ開発が続いています。あちこちに建設されている大型マンションは、日本の比ではないようにさえ感じられました。地震がないために超高層マンションになっているのです。そして、もうひとつ車の多いこと。その国の経済発展を示すものさしの一つに国産車の生産がありますが、韓国では大量に生産されています。そして朝夕の通勤になくてはならない交通手段として活用されています。
 
 さて、私が今回交通事情を担当したのは、車に乗って私があまりにも驚いていたからです。時速制限があったかどうか定かではありませんが、大型バスでさえものすごいスピードで飛ばし、車線変更を乗用車並みに何回も行うのです。それも、車の量が、半端な数ではない中を行うのです。私は怖くてしがみついていました。窓から見えるどの車も同じようでしたから、視察中どきどきしていました。
 そして、何と片道6車線もあるのです。「どうして?」と疑問に思ったら、38度線という悲しい歴史が示すように、いつも「もし有事になったら」と想定されているのでした。そのときには滑走路として使えるよう、中央分離帯が設けられていない道路があるのです。大陸はいつも隣国を意識しないわけにはいきません。若者には徴兵制もありますが、同じ民族を意識してのまちづくりや政策に平和を願わずにはいられませんでした。そして、日本の私たちもアジアの人々との連帯をまず大切にしていかなくてはと思いを深くした日々でした。

ちなみに韓国の交通状況は世界でワースト1ということを後日ニュースで知りました。韓国の国会議員さんたちが汚名返上したいと言う思いから、高速の入り口で取り締まり運動でビラを配布したり説得したりして、がんばってますが、良くなるかなバイクなど平気で反対車線走ったりしますから信じられませんよ

こぼれ話続きは明日。
                       

時の流れを通して感じた千里馬の国 韓国

2007-07-19 21:30:06 | 韓国視察
女性議員との懇親会から始まった私たちの視察も開発院で終わりを迎えた。
今日からはこぼれ話を掲載していきます。
いろいろ重複するところもありますが、全員のそれぞれの感じ方の違い、また、角度の違った視点からも韓国の別の事柄が見えてきますので是非見てください。 

 藤田啓子 岩田久二子 村越明美
 8年前1997年、大田区から女性海外視察団のメンバー(オーロラ’97)として訪韓したのは、バブルがはじける直前でした。
 仕事柄シビアな仕事になれているとはいえ、登り龍のような勢いの韓国女性のパワーに圧倒されたのをまるで昨日のことのように覚えています。そしてその衝撃を「力 そして優しさあふれる韓国」と冠し、サブタイトルに「今を生きる女性たちへ エールをこめて ジレンマからの脱皮」とした報告書を上梓したことでした。
 今回は3泊4日と期間も短く、先方の都合等で調整が難しく、再訪できたのは、大田女性会館、韓国女性開発院の2箇所でした。他は新しい企画です。  
YWCAも訪問しましたが、前回は釜山のYWCAでした。  
 訪問したどの施設も伸びゆく韓国の躍動を感じましたが、その発展ぶりと変化に強いインパクトを受けたのは、やはり大田女性会館、韓国女性開発院でした。

大田女性会館は開講数、利用者数共倍近くになり、自立へのバックアップ体制もしっかりし、保育園には受講生のみでなく、会館利用者の子どもを預かるなど、女性が教養や経済力を身につけるためのサポートが確実になされていました。パートナーからも受講したいという希望があると伺い、地についた時宜を得たサポートがされていることを改めて感じました。
 
 韓国女性開発院は、1983年に設置され、'97年の訪問時、教育、研究、訓練を推進する役割を担い、政府から100%の支援を受けていました。現在は女性政策研究機関として位置づけられ、同じく政府から100%予算を貰い、さまざまな女性問題に関する研究をし、それらを政策として提案しています。開発院は女性政策の根幹を担い、’97年よりもさらに確固たる地位を築いていました。
 
 日本ではジェンダー問題は、強い逆風の中にあります。肩肘張って男女平等を叫ぶのではなく、韓国の女性たちが戦ってきた切り札の言葉「私たち女性の力を活用しないともったいない」とやんわりとしかもしっかりと自分の考えを伝え、意志を貫く工夫が必要だと思いました。韓国女性のようにやんわり切り返していきながら、相手を自分の土俵に引き込んでくる手法をもっと学ばなければいけないと痛感しました。そういう意味でも大田女性会館や韓国女性開発院の方々のお話はPPOの今後の活動に対して多くの示唆が得られました。8年ぶりに再訪した韓国は、やはりパワフルでありながらその中に優しさと叡智を秘めた国でした。
 ‘97年は大田区からの派遣、今回は民間の一団体です。その私たちが通常ではお会いすることができない方々にお会いすることができ、しかも今後の交流を約束することができたことに自分でも感動すると共に、今更ながらものすごいことが体験できたと思っています。

氷山の一角、でも価値があった韓国視察

2007-07-17 00:18:46 | 韓国視察
今日は祭日でお休みだったから、午前の新潟の地震のときに家でTVを見ていた方も多いと思う。
余震も続いているようです。これ以上被害が広がらないことを祈っています。

さて、2004年の私たちの視察も、ここ女性開発院で最後となった。

PPOメンバーの感想
・男性の意識を変えていくのは難しい男性職員は今まで女性の力を軽視してきたが、軽視できなくなっている。
・研究のための予算を100%出す国は、他にない。女性発展法(ジェンダー差別法’99)策定の意味は大きい。
・女性の提案を取り上げていくというのは、女性にとってもやり甲斐がある。次世代の意識は多様、理想と現実のギャップを教育で埋めている。研究の成果を女性政策に活かすなど開発院はすごいところである。
・法を作って政策とするのはどこにもあるが、やっているか否かを役職に就いた人が確かめている(チェック機構)のは、すごい。自分たちの立場が望んだようになっているかを表現化していける。
・意識の高い人たちが人を動かしている。女性が世界に役立つ教育、女性が女性の教育の中で行っていく。ジェンダー意識を変えていく。70歳以上の人たちががんばってきた実績があるのが、それが次の世代にバトンタッチしていくことが難しい。
・国務総理室に所属しながらも、国の言いなりにならないで、自分たちの意見を押し通す韓国の国柄(議論好き)もあるかも知れないが、自分たちの意見を押し通す、流されないことに感心した。
・男性公務員にジェンダーイクオリテイの教育をする。男性の意識を変えるのは難しい。
・開発院に行けたことは、大きな収穫であった。女性制度・組織のトップに開発院が担なっている。その場にいられることはすごく、幸運だと思った。
・ギャップに対する具体的なところで日本と韓国は、同じ悩みを持っている。
・時流に乗り、活動しており、それら が大きな影響力を持っている。韓国にも本音と建前があることを知った。
・8年前よりさらに確実に発展し、揺るぎないものになっていた。
・女性が力を発揮しないと…。女性の力をどのように出していくか実感した。
・10年ごとに大きな目標を作り、5年ごとに評価することの大切さ。
・大田女性会館、YWCA、人力センター、開発院の順で視察したことで韓国のことが 順序よくわかった。
・押し上げていく女性の意識が強い。日本の女性の弱さを感じた。
おもねない強さ。
・すべての意志決定の場にいることが大切。着々と成果をあげている。
・開発院が揺るぎない韓国女性の根っこ的存在であることを確認した。予定の時間は1時間であったが、30分も延長して私たちの質問に熱心に答えてくれた。時間が短く本当に残念であった。今後の交流の中で確かめていきたい。
<今後の課題>
1.大田区の女性政策についてチェックし、その結果を報告していく。
2.毎年定期的に訪問もしくは情報交流をしながら女性政策に活かしていく。


感想をというとついつい素晴らしさを讃えててしまうが、それぞれ長所は短所でもあるということ、また私たちの見たことが100%ではなくほんの一部分であるということも、踏まえて今回の視察を今後の私たちのプロジェクトを形作るための糧としていきたいと思っています。
奇しくも、通訳の朴さんが感想の中に氷山の一角と書いてますので下記に掲載します。

大田区民と大田市(テジョン)市民との出会い
日本の大田(オオタ)区と韓国の大田(テジョン)市、名前が同じであることと仲良くなることとは実際なんの関係もないかもしれません。最近日本における韓国ブームのひとつである「冬のソナタ」と韓国における女性の地位向上とはかなりの距離があるように私には考えらます。私たちが持っている漠然としたイメージ、感性は制度や慣習の厳しさに耐えるにはあまりにも弱いのではないでしょうか。相手を理解するために自分の目で直接見ることは欠かせない作業でしょう。その意味で今回、韓国を見学したことの意義は大きいと思います。具体的経験こそ互いの根深い偏見を破る力になるから
私もこの三日間は、韓国の自治体や女性議員、女性政策などを改めて考えるきっかけとなりました。韓国に対する好奇心や期待を込めた目で韓国のことをもう一度考えてみました。
韓国は変化も激しいが、問題も大きい、というのが私の感想です。国の政策や制度がうまく機能することは、取り残される人を最大限減らしながら開発の恩恵を共有することであると思います。そうした意味で、新しい制度を作ることも、制度をキチンと運営することも、場合によっては制度を改革することも、私たちのしっかりした参加と監視なしにはできないと思います。
韓国訪問の見学先は、韓国女性の地位や女性政策を理解するには氷山の一角に過ぎないと思います。今回の訪問先とは異なる立場で、異なる活動を展開している団体や人々が数多く存在しています。一回見たことが韓国のすべてではないことは「冬のソナタ」が韓国における家族関係や男女関係、感性を代表しないことと同じだと思います。皆さんの関心と熱情がこれからも持続できるよう願っております。韓国ではいろいろお世話になりました。          (朴)

朴さんのおかげで、通訳はただ言葉を訳すことではないことが良く解りました。

次回から韓国のこぼれ話を掲載していく予定です。


















法律と韓国女性の現実のギャップ

2007-07-16 01:26:45 | 韓国視察
ソウル市庁舎の地下鉄の入り口で、出勤の人が登ってくるのを待ち構え、かごいっぱいにサンドイッチなどを入れて「朝食はいかがですか」と売っているおばさんがいた。
ソウルにはコンビニも沢山あるし、屋台も多い、でも、これはすごいアイディアだよね、と感心してしまった。
許可があるのかどうかでも、市庁舎の前だから

南大門市場(ナンデモンシーチャン)、東大門市場(トンデモンシーチャン)の女性たちもたくましい。
2004年、南大門は以前より少し静かな感じがした。でも「特別な偽物、こんなすごい偽物は絶対他にはないよ、内緒で見せるから」と店の奥に引っ張っていき、おもむろにトランクを開いてブランド物の偽物のバッグをすすめる。
断って数件先の店へ行くとまた同じように店の奥に引っ張っていく、中身はほとんど同じで、きっと中身がぐるぐる回っているのだろう。
でも結局買ってしまうからおかしい。

東大門は今回行かなかったけれど仕事柄関係があって内容は良く知っている。今、日本の横山町など衣料問屋業界で韓国との取引をしているところはこの東大門が中心に動いている。
ここが新デザインのメッカとも言える。もちろんほとんどが女性で、カリスマデザイナーもいて、かなり値段が高い。彼らはいつも視点が外に向いている。日本はじめ外国への輸出が主体になっている。

 外国人バイヤーとたくましくやり取りできる韓国人女性たち、人力センターで講習を受け企業に就職したり、自分で起業しようとしている女性たち、またすでに大企業のトップや、女性政策を司どっている開発院や議員の女性たち、全ての女性に共通している点はたくましく堂々と生きている姿だった。

開発院で法律と現実のギャップの話が出たが、女性の社会進出、社会的地位向上はかなり進行していると思った。確かに諸外国に比べるとまだまだ低いけれども上昇率は高い。

以下、韓国の資料
■女性の勤労環境どう変わったか ―‘2004統計で見る女性の生’―
“統計で見る女性の生”は女性の変化する姿を経済,社会,文化など多方面から実態を知る為に、 1997年から毎年調査、作成している.
労動力不足で 女性人力が切実にもかかわらず60%(2002年基準)に逹する女性たちの職場経験はわずか2年未満. 勤続年数は10年以上が11.0%で24.3%の男性の半分.
就業勤続年数は短いが女性たちは‘年老いるまで働きたい’が33.2%で最も高く、就業に対する女性の意欲を反映した.
また、女性の89.8%は"女性が職業を持った方が良い"と答えた。
女性の賃金水準は2003年男性の64.2%に止めた.女性賃金は1980年44.5%から2001年65.1%,と伸び 2002年64.8%, 2003年64.2%で減少して、問題点となっている.
2003年女性たちの離職率は138.1%で男性の1.4倍だった.
この現実を反映するように72.4%の女性たちはソーシャルライフで性差別があると答えた. 職場では69.1%,家庭では40.9%,学校生活では32.9%が性差別があると指摘
家事労動での役割り分担は、20歳以上既婚女性の96.8%が1日の家事労動が一日平均勤労時間の半分に肉薄する3時間40分になった. 家事分担は88.8%の家庭で妻が請け負い、公平に分担する家庭は8.1%に止めた.
女性の就業障害要因は育児負担が38.8%,社会的偏見と差別的慣行及び制度が22.8%で育児負担が最も高く、 保育問題解決が女性就業解決の鍵であることを立証した.育児負担を感じる年令層は30代女性で、53.7%と最も高い比重を占めた.
女性の社会的地位の変化を見ると、 女性の学歴が大変高くなった.
25歳以上女性の中で大学進学率は1990年31.9%であったが2003年には77.5%で二倍以上増加. 2003年修士学位取得者の中で女性の割合は39.8%,博士の学位は23.7%で前年比それぞれ2.9%, 0.5%増加. 特に女性の進出が活発な芸.体能力系の修士の割合は65.8%,師範係は61.4%で男性より高い。
最近女性人力を集中育成している自然界修士学位者は2002年21.1%、2003年43.9%で二倍増加、医薬系修士学位者も2002年39.0%、2003年 42.6%で増加.
 それに反し医薬系男性修士学位者は2002年61%から57.4%で減少した.自然界男性修士学位者も78.9%から56.1%で大きく低下.
このように医学分野や技術職に女性の進出が増加している.
2002年医師兔許の女性の割合も、5.1%増加した. 薬剤師も61.9%で1975年48.3%と比べてずっと高い.
 2003年大学総長の中で女性は10.8%で 1980年と比べて4.2%増加した.
 女性教授の割合は1980年6.1%で2003年13.0%で二倍以上増加したが国公立大女性教授割り当て率である20%には及んでいない。
 また、情報化部門で女性は男性に立ち後れていない.
2003年6歳以上調査対象者の中で女性は64.1%,男性は76.1%がコンピューターを使用、また教育にコンピューターを使う割合は、2003年男性が24.5%に比べて女性は38.9%で4.4%ほど高かった.
 社会福祉分野は女性の割合が特に高くて女性が社会貢献分野に献身していることが解った. 2002年社会福祉士の割合は女性が74.2%で圧倒的な多数を占めた.
社会福祉士の女性の割合は1985年62.6%を占めた以後増加し続けている.

続きは次回

女性政策の総元締め韓国女性開発院

2007-07-14 17:54:39 | 韓国視察
1997年は韓国で今の女性政策が新たに始まろうとしていたまさにその時だった。
女性発展基本法は金泳三前大統領が大統領選に女性票と引き換えに女性政策を選挙公約にしていたこともあり、国際化課題の一環として1996年12月に制定された。

総合的な女性政策の推進計画とその具体的内容を規程した法律である。

この後、金大中大統領も積極的な女性政策を展開すると公言して、様々な選挙公約を掲げた。最も注目されるのは女性割り当て制で、選挙の比例代表配分30%以上、政府各部委員会および政党機構30%、長官4人以上等各部門にわたる女性割り当てを行なった。これら大統領の政策によって2004年の視察のときは女性政策が急激に進展していた。

私たちは女性政策が実施されている現場を視察して最後に女性政策の大元締めともいえる韓国女性開発院を訪れた。
韓国女性開発院は女性問題を専担する唯一の国策研究機関である。
また、梨花女子大韓国女性研究院、梨花女子大アジア女性学センターとの連携も大きい。

 小高い丘を登りきると、そこには韓国女性開発院の懐かしいチョコレート色の建物があった。外観は8年前と少しも変わっていない。2004年は院長が3代目となり、設置目的も教育、研究、訓練から研究が主目的となり、女性問題に関する国の研究機関としての確固たる地位を築いていた。法制度と現実・世代間のギャップ、根強い男女差別等に悩みながらも、女性が政治や経済分野に参加することによるメリットや社会貢献について調査、研究し、それらを国の女性政策に活かしていた。

韓国女性開発院の概要
 韓国女性開発院(以下、開発院とする)は、1983年に女性問題に関する教育、研究、訓練をすることを目的に設置された。現在は、女性政策機関として活躍している。職員は83名であるが、うち52名が研究員である。開発院は政府の国務総理室に所属し、経費はすべて*(100%)国の予算でまかなわれている。
 2001年、国に女性部が新設され、政府の女性担当官が国会の女性特別法等について研究している。    
*女性問題に関する研究に政府が100%支援しているのは、韓国のみである。
=ビデオより=
 '99年 ジェンダー差別法
景気が悪いと、女性が先に解雇される
経済参加 49% 賃金は男性の65%位
仕事と育児の両立が難しい
  
質疑応答
Q1:開発院の提案が国の政策にどの程度影響を与えるか。
A:’96 女性発展基本法
‘97~’02 第一次女性発展基本計画
 ‘03~’07 第二次女性発展基本計画   
すべての分野にわたり研究している。その結果が女性部の政策として反映される。

政府6省←→女性部←→開発院←→市区町村の女性センターやNGO

流れとしては女性開発院が現場の声を吸い上げ女性部に反映していく、女性部から政府6省に反映していく。

研究調査では、例えば韓国女性開発院が「現行法令上の男女差別条項発掘調査」をしているがそれは、「これまでは男女差別問題を“女性保護”の観点からアプローチしてきたが、女性の経済力向上など平等に対する価値観が変わってきただけに、今後の研究は男女平等といったレベルでアプローチを試みていく、つまり男性を差別する法条項も少なくない。といわれた。

Q2:女性エンパワーメントの中心は?
A:女性が政策決定の場に参加すること。
 *政府に女性政策を提案したが、実施するのが男性のみでは、進みかたが遅い。
 *女性委員会で女性参加率を決め、具体的目標を達成する。経済分野においても
女性が参加する。例:産業目標、女性の委員、ロビー活動等
 *さらにスキルアップしたい人のためのプログラムを組んでいる。開発院に託児
所はあるが保育、介護など遅れている。しかし、国に女性部ができたことは大
きい。
*女性議員を増やすため地方政治に比例代表制の導入(順位の1番は必ず女性候
補)。 
*大企業の中でも女性の提案を取り入れたら表彰する。
*政治の場ではクオーター制。2005年30%を目指していたが、2002年19%、2003年
32%政府の委員会に女性参加2007年40%を計画している。
*4月の総選挙で39名の女性国会議員が誕生した。
*5級~12級まで試験がある。5級に昇進するのに男女差がある。

Q3:大田区の管理職は140名であるが、女性はここ数年増えていない。試験を受けるチャンスは平等にあるのに試験を受けない女性が悪いとの回答である。
A:「女性に○%ください」といっても準備された女性はいない。推薦しても当選する可能性は低い。「出世したい人がいれば連れてきて欲しい」と男性は言う。
*男性は差別していないと言っているが、立場が平等になっていない。
30%比例でとか、目標率を示しても実際には人がいなくギャップがある。
ギャップを生じないようにするために、ポジティブアクションが重要である。
*法律や制度を作りかなり取り組んできたので、それなりに改善されて来たとは
いえ、現実にはまだまだ難しく、法律と現実間にギャップがある。
今後、この法律と現実のギャップを埋める研究をしていく必要がある。
*古い世代は難しく、次世代の女性の意識を改革させることが重要である。
つまり、リーダーシップを育成する教育が必要である。

Q4:日本では両性平等に関する女性への教育がされていないのかもしれない。韓国では次世代女性の教育に成功しているか。
A:挫折は多々ある。何故なら意識の変化は見えづらい。評価が難しい。しかし、徐々に変化してきている。
*高等教育を受け、社会進出を果たし、自己表現、リーダーシップが取れるよう
になってきている。家庭科でジェンダーイクオリテイを入れている。
*韓国でも晩婚化、離婚率上昇、少子化が起きている。これらのことは肯定的
変化なのだろうか。
*3世代が一緒に住むことも少なくなってきている。高齢者介護も含めた3世代
(母、私、子ども)の意識の変化・差があるが、これが望むべき変化なのか。

Q5:大田市工業団地内の先端企業を見学してきたが、女性社長であるにも関わらず女性従業員は2名しかいなく、他は男性であった。男女平等教育をする必要があるのではないか。
A:私企業の場合、利益志向が強い。利益を上げることが優先になっていく。
*女性企業は世界同様、韓国も健康分野のベンチャーに偏っている。
*女性科学人の排出を奨励している。梨花女子大では、科学技術科をつくった。
  ジェンダーギャップを解消するために、国が女性科学人育成政策を打ち出して
 いる。

Q6:高級職員5%ということであるが、各省への影響力はどのくらいか。
A:男性公務員に教育がなされている(ジェンダーフリー教育)。政策決定   の場に女性が入る必要がある。30%が低いとも言えない。地方公務員採用時の教育に必ず女性学が政策的に取り入れられている。教育の効果は時間がかかるが…。

続きは明日。