「やまぐちフラワーランド」を裏手から見ると、こんな風に見えます。そこには華やかな「花」の色彩はなく、淡い色調につつまれた木の葉の色が見えます。
また、こうした休憩所の側には、紫色の花が並んで咲いていて、どこか落ち着いた空間を作り上げています。
友末さんの作品にはそうしたものがあるように見え、その色合いもどこか共通点があるように見えました。
また、「違うもの」への「憧憬」のようなものが見られ、それを表現しているように私の目にはうつりました。
人は誰もが、「異質」なものに対して、「嫌悪」か「憧憬」のような両極端のものを持っており、我々の世代はどちらかと言えば「憧憬」のようなものがあるのではないでしょうか。
特に戦後、アメリカに対する日本人の「憧憬」は極端なものがあり、その文化や暮らしに対する憧憬が今の日本を作ったといっても過言ではありません。
という私も子供の頃、「アメリカ」に憧れ、アメリカのような暮らしに近づきたいと思ったものです。
そうしたことは日本人の心に大きな力を与え、大きな起爆剤になってきました。
しかし、一端そうしたものが実現し、身近なものになると、そこから新たに自分たちの根底にある文化を見直す場面が出てきます。
そこには「原日本的」な心がよみがえり、心落ち着ける空間が欲しくなります。
そうしたことをイメージしながら友末さんのパステル画を見ると、とてもよく理解できる作品になっています。
「アメリカ」と「日本」、この二つの国を行き来している心の葛藤の中に、「日本」という捨てられないものがあることに気づくと思います。
この画像の花を見ていると、そうした曲がり角にきている我々の考え方が見えてくるようで、とてもおもしろいものを感じてしまいます。
しかし、「日本人」にとって、「和」と言うものはいつまでも忘れたくないもので、失われつつある「和」を持ち続けたいと言う願いはあります。
今「東北」では大震災にみまわれ、たくさんの人が困っています。しかし、日本人はあわてることなく「協調」してこの難関に対処しています。
「暴動」の一つも起こらず、不平不満も言わず、みんなで協力しながら復興しようとするその姿に、外国人は「驚異」としてとらえ、信じられないものとして伝わっています。
それほど、日本人の心には「和」というものが存在し、違和感なく受け継がれている証だと思います。
「日本」という存在を思い出さしてくれたのも、友末さんの作品を見たからにほかなりません。
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