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浜田省吾の曲についての一言コメント

われらが浜省の歌は なぜにこんなに心に染み入るのか・・・ 私 浜省やっぱ好きなんです^^

ラストダンス

2006-12-15 00:52:29 | Weblog
     もう一度やり直せたら・・・
     バカだぜ・・・
     そんな話はもうやめよう
     僕が僕である限り
     何度やっても同じ事の繰り返し・・・

 ここを聴いた時には 胸がじわじわ~って
湿ってくるよううな妙な感覚がありました

 私もこんな経験あります
 
 相手を好きなのです
 けど 相手の望むままの男にはなれなくて
 でも 相手も自分の望む女にはなれなくて
 好きなのに歩み寄れないせつなさ・・・

 なぜそんなことにおちいるのでしょう?
 好きなら 失いたくないのなら
 相手に合わせて同化することも「生き方」ではないのか?

 無理でしたね・・・

 自分を曲げてまで
 自分ではない自分を演じてまで
 「恋」にしがみつくことなどできませんでした

 「自然」であること
 「あるがまま」であること
 それを受け止め合えること
 同化などしなくていい
 ただ 相手を許せること
 それがいかに大切であるか
 私は この歳でようやくわかり始めました

 好きなのに許しあえない・・・
 それは愛を閉ざす恋なのかもしれません
 そしてその恋を失う時 初めて
 愛の輝きに気づく
 けど その時では既に遅いのです

 なんか今日は私の恋愛感の話になってしまいました

 ラストダンス・・・
 せつなさのつまった名曲です
 


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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切ない (井上まり)
2007-10-28 22:48:41
イントロがせつない。愛に辿りつけないところが。辿りつけないとだめなのかな。お互い好きのままでは?本当に恋をしたことがないから自分はそう思った。でも男のほうが案外昔の恋を引きずるかも。女性のほうが若いころは大人だとおもう。浜省は純粋ですね。
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Unknown (popsdog)
2007-11-03 00:38:57
「だめ」なことはないでしょう けどたどり着いた方が幸せです
人は幸せになることがこの世に生まれてきた目的であり使命です それは絶対的に間違いのない真実です
だから幸せな方が「本来の自分」なのです
たどり着かなくても たどり着くための「動き」はした方がいいと思います 
それをせず「たどり着かない」というなら「生きる」ことに手を抜いて楽することを優先していると思えてしまうのは私だけかな・・・?
ちょっと強引な言い方だったかな?人には人の事情もありますからね
また「幸せの形」も人それぞれ
「好き」なだけで幸せだと思えるならそれでいいですよね
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おもいで (りり)
2018-09-23 14:37:35
十代の終わりころ、ふとしたすれ違いで別れた人から一年後、この歌のタイトルが書かれたバースディカードが届きました。何度この曲を聞いてもその人の真意がわからず、確かめる勇気もなく、ただ時間だけが過ぎていきました。
せめて「愛しい人へ」とかだったら、よかったなあ。今でも聞いてみたい。どんな気持ちでカードを送ってくれたのか。もう30年も昔の事です(笑)
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Unknown (ねこさん)
2019-10-22 09:47:08
思い出の場所、そしてそこで彼女と過ごした
ときを振り返らされます。
ラストショーに近い題名ですが
こちらはせつない詩ですね。
でもこちらの歌が心にしみます。
きっと10年後も20年後も
心にその人を想い続けている。
そんなフレーズが何故か心地よいです。
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