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浜田省吾の曲についての一言コメント

われらが浜省の歌は なぜにこんなに心に染み入るのか・・・ 私 浜省やっぱ好きなんです^^

MONEY

2007-05-05 17:17:20 | Weblog
ここからはアルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」です
(「Sand Castle」はカバーアルバムなのでとりあえずとばします)

このアルバムは浜省いわく
「路地裏の少年がようやくメインストリートに立った最初のアルバム」
だそうです
このアルバムが84年でしたが
そういえば83年のON THE ROADも「First Final」と名付けられていました
つまり「約束の地」がそれまでの彼自身のひとつの区切りだったようです

さあその新しいデビューアルバムの冒頭を飾る曲が
「MONEY」なのです
きっと多くの方が どんな曲かはご存じかと思いますので
解説はしませんが
曲はハードというよりヘビーですよね
内容もどっちかというと「ネガティブな叫び」ですからね
大金を手にして自分を打ちのめしたヤツらの頬を
札束でひっぱたいてやるぜ!
というような曲ですからね

けど この曲結構ライブウケしますよね
みんな共感するのでしょうか?
それともただ「ワーォ!」って叫びたいだけでしょうか?

私は嫌いではありませんが
あまり入り込める曲ではなかったですね

だってお金って
本来もっと楽しめるものでしょ!
そりゃプラスにもマイナスにもなる両面性を持っているのは
そうなのですが
私はプラス面で「お金」を見ていたいタイプです

つまり「お金」と「愛」は両立するし
どちらも必要なもの
どちらも「沢山」あってほしいもの
有る意味「=」で繋がるものとさえ思います
お金のない人生なんてこの国では考えられないし
愛のない人生もこの世界では考えられないです

お金を「卑しいもの」と考えるのは大間違い!
「卑しく」するのも「愛を潤わせる」のも
お金を持つその人の考え方と姿勢でしかないですからね

「貧しくても美しく」なんてイヤですね
「お金持ちでさらに美しく」ありたいです
だいたい経済的に貧しいと心まで貧しくなってしまいそうです
お金に余裕があった方が心にも余裕ができます
仕事柄いろいろな人に出逢い
確信を持っています
(べつに「貧乏な人が悪い」と言っているのではありませんよ
お金に余裕がない人でもいい人は沢山います)
だから私は大声で言いたい

     私はお金を沢山手にします!
     私はお金で愛に潤いを与えます!
     私はお金で心に余裕を持ちます!

それははしたないことなどではありません

だけど この曲はお金を持つ側の
マイナスなところにスポットを当ててますね
いかにも「お金があればそれでいいんだ!」みたいな・・・
その方が曲の題材にはなりやすいということでしょうかね

皆さん お金を愛して下さいね
お金は本来 お金に愛を乗せられる人の元に
巡ってくるようになっているものなのです

そうお金が問題ではなく
お金を手にする側の姿勢なのだと思います

お金は「人生を彩る」楽しいツールなのですね




僕と彼女と週末に

2007-05-02 00:06:09 | Weblog
浜田省吾さんには
区切りのライヴや特別のライヴでしか
やらない曲があるそうです

その曲のひとつが「僕と彼女と週末に」です
このアルバムの最大のテーマ曲でもあります
きっと当時では「核開発による勢力と勢力の微妙なバランス」が
題材ではありますが
現代の「地球環境」のことにもダイレクトに通じます


週末に彼女と海までドライブにでかけ
その夜は二人きりの浜辺で幸せなひと時
そして静かな海を二人で泳いだ

あくる日ふたりはなんとなく体調がよくなく浜辺を散歩してみる
そしてふたりが目にした光景は・・・
無数の魚たちが打ち上げられた浜辺の風景・・・

   この星がどこへ行こうとしてるのか
   もう誰にもわからない
   
   人は一瞬の「刹那」に生きる
   
なんか今の世界に当てはめても
はまってしまい 気が重くなりそうです
一瞬の刹那に生きる・・・ですよ
わかっていてもそれを抜け出せない
「欲望」に縛られた自分がいるのもまた事実
この星の未来に我々はどんな夢を描いていくのでしょう
「輝けるサイバー文化」でしょうか?
熱帯雨林はこの20年で激減しているそうです
地球上の酸素の大部分を提供している森が伐採され
同時にそこに生きる生命体が絶滅の危機に瀕しています

それでも人間は「豊かさとは物質である 物質とはお金で買うもの
お金を作る為なら手段などおかまいなし」をやめようとしない
いや 本当はやめたいのかもしれない
けどやめられない
なぜ?
やめたら飢えて路頭に迷ってしまうと思っているから・・・

大国は自国の産業業界からの資金集めのために
容赦なく二酸化炭素を吐き出し続ける
ナショナリズムをうたいながらも
説得力に欠けている
なぜ?
立場に縛られ力に酔いしれ
それを失うと「生きている証」をなくしてしまうと思っているから・・・

京都議定書はただの「慰め」にしかなっていない
「一応決め事はしましたよ」という
出席者だけの自己満足

そして未だに「力」に頼らなければ生きていけるはずが無いと
時代遅れもはなはだしい馬鹿な考えを捨てられない
どこかの国

ただ我々はそういう人達をけして笑えない
なぜなら 我々も「生活レベル」で同じようなことをしているじゃないか

ではどうすればいいのでしょう?
人のことはまずはとやかく言わない
まずは己だけは「まっとうに生きる」こと
100人中100人が横を向いても
101人目の自分だけはどうすれば正面を向けるか
それを探り始める事からではないでしょうか?

地球をなんとしても残さなければなりません
我々の子供たちはこの後の地球を生きるのです
生命学的にいって私達大人が先に絶命します
子供たちはその後も生きるのです
地球がどうなろうと知った事じゃありませんか?
我々が普通に生きれればどうでもいいですか?

もう無関心でいるのはやめましょう

   いつか子供たちに
   この時代を伝えたい
   どんなふうに
   人が夢を繋いできたか

浜省がすばらしいのは
こういう大きな課題をきちんと個人レベルに
置き換えて想いを伝えるところですね

   君を守りたい
   ただひとりの
   君を守りたい
   この手で

   愛を信じたい
   人の心の
   愛を信じたい
   いつの日か

   君を守りたい
   ただひとつの
   君を守りたい
   この手で
 
   愛を信じたい
   人の心の
   愛を信じたい
   今こそ

こうして9分間のロックオーケストラが
奏でられているのが
「僕と彼女と週末に」なのです

愛されたいです
深く 深く・・・
けど愛する事は
もっと確かな平和を
人の心に与えてくれるのです


凱旋門

2007-04-29 21:22:42 | Weblog
良い意味で「重厚さ」を感じます

浜省は「バラードリメイク好き」で知られてますが(笑)
この曲はもう24年ぐらいの歴史?を持つのに
未だにリメイクされておりません

ライブでも歌っているのを観た記憶があまりないです
ON THE ROAD'82とその翌年の A PLACE IN THE SUNで観たぐらいしか
覚えがありません

曲は私的には 「かなりの名曲」 だと思っているのですが
浜省は あまり思い入れがわかないのかな~
あるいは大切すぎて奥深くしまっているのでしょうか?

深く深く聴き込んでいってしまう雰囲気を持っています
どことなく「文学的」とでもいうのでしょうか?

    もう少し側にいて・・・
    いくつもの夜を 一人きり過ごしてきた・・・
    ぬくもり 微笑み 頬にかかる甘い吐息
    愛はいつも「悲しみ」だけを
    君の元に残してきたけど
    もう泣かないで
    僕は君だけのもの

    別れたあの時と
    同じように今夜
    窓の外 静かな雨
    いつでもポケットに
    君の写真抱いて寝たよ・・・
    人はいつも無くしたものの
    重さだけを背負ってゆくけど
    もう離さない
    君は僕だけのもの

私はとくに「いつでもポケットに~」のくだりが大好きです
これはもうひとつの「愛しい人へ」だと思っております

君はひとりきりいくつもの時を耐えてきた
遠く離れていた時も僕はいつでも君と共にいたんだよ
ようやく互いをふれあい感じ合える時がきたんだ
もう泣かなくていい 僕はここにいる
もう君から離れたりしないよ
もう元にはもどらない壊れてしまったものたち・・・
互いに残っている傷跡・・・
いいさ ふたりで共に背負っていこう
大丈夫 ふたりならやっていけるさ

なんかこう気持ちが温かくなってくるのですよ
曲調はマイナー調で重いんですけどね~(笑)
不思議です
きっと浜省の人間性がしみ出ているんでしょうかね~

余談です

私が高2の冬・・・
その日 「3年生を送る会」でした
授業は午前中で切り上げ 午後からは講堂で
様々なイベントやらエンターテイメントが繰り広げられていました
ただ私は「心ここにあらず」でした

朝 新聞を開いたら偶然に「浜田省吾コンサート 当日券有り」
(当時はまだ浜省が当日券で観れたんですね~)
そんな記事が目に飛び込んできました
なんでも「本当は1/10のライブのはずが本人の風邪でその日に延期になった」
とのことでした
私はそれまで浜省ライブは観たことがなく
いつ観れるかとずっと思っていましたから
「これは運命に違いない 本来ならもう終わっているはずのコンサートが
今日いきなり俺の手に届くところにあるんだ 
これが運命と言わずなんとする!
神様ありがとう!」
と思うのは当たり前でした

てなわけで学校行事などにかまってられなかったのです

そして見事に!途中抜け出していちもくさんに家へ
更にライブ会場へと急いだのでした

もちろん大感激でその夜は幸せに眠れました
それが82年のツアーだったのですね
マイホームタウンから始まってラスト2で凱旋門
ラストが家路でした

翌日学校へ行ってみると
みんな「凱旋門」の話題でいっぱいだったのです
どうやら「送る会」でギター弾き語りをした人がいて
その曲が「凱旋門」だったらしいのです
それは私が抜け出して間もなくのことだったらしいのです
しかもそれがかなりうまく雰囲気もたっぷりで
とっても「よかった」らしいのです

もちろん私の決断に間違いはなかったのですが
そのもうひとつの「凱旋門」も観てみたかったな
そんなことを今でもたまに思います



    

グッバイスイートホーム

2007-04-29 00:54:40 | Weblog
「勢い」で突っ走った「ツケ」
とでもいうのでしょうか?
けど たしかに「好き」あっていた二人なのですよね
なのに男は最後に
 
   雨の中ひとりさまよいながら・・

と悩んでいます

   若すぎたのか
   愛を探し出す前に
   孤独な心 見つけた二人

   乾いた「砂の城」
   訳も無く崩れ落ちた

若さは関係ないと思いますが
こんな話は世間では結構ありそうですね

結婚て恋人同士とは違うようですね
「生活」がかかると 恋の魔法は解けていくものなのでしょうかね?

結婚にあまりにも「大きな夢」を見すぎてしまっていたのでしょうか?
そもそも「結婚」して「運命共同体」になるということを
甘く考えていると
この曲のようになるんじゃないかな~と思います

「結婚」は「恋」の延長なのでしょうか?
では「恋」が冷めたら「結婚」には
何が残るのでしょうか?

私の独断と偏見を申し上げるなら
「相手の嫌な部分を見ているときの嫌な自分の心」
これを受け止められないうちは「結婚」などしないほうがいいですね
「相手がどうだ」ではないです
「相手を見ている自分を受け止められているか?」がポイントだと思います

所詮「人間=多面体」なのですから
「相手がいろいろあるのは当たり前」
「自分だってそうじゃないか」
結婚するならそこはわかっていてほしいのです

だいたい「乾いた砂」で「城」を作るな
「雨にも風にも地震にも負けないレンガ」
で作ってもらいたいものです

本来結婚ていいものですよね
わたしは うちのカミサさんには「感謝」しております

バックシート・ラブ

2007-04-27 00:46:40 | Weblog
陽気なR&Rショウが始まりました!
これはもう歌詞がどうこうではなく
気楽にこのノリを楽しんじゃおうぜ!って曲でしょうね
私は特にこの曲で踊るようにアレンジされてる
ピアノのノリが大好きです

それでもあえて歌詞に拘るなら・・・
きっとこの背景は
卒業間近の高校生カップルのことでしょうね

   社会に出る直前
   このひと時をちょっとはちゃめちゃに騒ごうぜ!
   こうして何も考えず突っ走れるのも「卒業」までさ
   それはわかっているつもりさ
   だからせめて今は君とふたり
   陽気に過ごしたいんだ!

って曲です
わかりますね~ この気持ち
私も卒業式の日はうれしさのあまり
友達と学校帰りのその足で
昼間から居酒屋行ってかなり酔っ払いました!
(もう 時効ですよね・・・)

その時だってほんとは知っていたんです
「これからは何も考えず生きるわけにはいかなくなる」ということ
その通り 社会に出て年を重ねるたびにいろいろなこと
背負っていく感じがしてます
まあきちんと手を抜く方法も身についていますが(笑)

だから高校時代も三年生の冬になってくると
それまでのあまらせていたエネルギーを消化しちゃおうって
思うのですかね?
だとしたらなんとなくですが
年度末の道路工事に似ていますね~(笑)

この曲を聴いていると
(ノリは違えど)ブライアンセッツァーの世界とダブってきますが
私だけでしょうか?

卒業する直前ぐらいの高校生時代っていいですね~
これからの自由や夢、自分創りへの期待・希望・不安
いろんなものが入り混じって高揚している感じ

「生きる」ことへの旅の始まり前夜ってところですね
私もうきうきしてました

さて この曲のふたり
今はこうしてふたりいっしょにはじけ飛んでいます
ただこの後 社会に出てから・・・

すぐに結婚したようです

そして・・・

続きは次回「グッバイスゥイートホーム」で・・・