ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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浜松市東区材木町 今も残る「まるがた通路」その1 (2020年5月ほか)

2020-08-02 16:19:26 | 専用線、廃線、歴史を辿る
こんにちは   日曜日いかがお過ごしでしょうか  「昨日、東海地方は梅雨明けしたとみられる」発表がありました 
青空が恋しかっただけに嬉しい知らせです
適度にテキトーにお送りしているポニーさんの「地元を見直そう ひとり浜松撮影協会 」 は5月ほか 浜松ローカル
地元東海道本線天竜川駅から東へ延びていた貨物専用線跡撮影   天竜川河川敷西側の材木町 のどかな所
先日貼った坂の右側  線路くぐるトンネルみたいのが見えますね

旧東海道沿いには木柱が多く点在していますがここにも  「まるがた」は下の写真にて  「半場」は多分このあたりの地名だと思われますが 今も呼ばれているのか
検索すると浜松市の北部佐久間に半場という地名があるそうですが・・
今確認したら金原明善記念館にある 500年前の天竜川図によるとこのあたりは「半場」と書かれておりました (和田村 字半場 でよろしいかと)

「大正2年(1926) 東海道本線複線化に伴い、アーチ型のレンガづくり通路として建設された」と
浜松市のホームページに載ってますが  大正2年は1913年なんですけど この13年の差はなんだ ?
金原明善記念館にお邪魔していろいろ資料を見せてもらったのですが 完成した年は載ってなかったかと 
まぁとにかくとても歴史ある貴重な建造物なのであります

昔より道路が高くなったのでしょうか? 川幅も昔のままでしょうか?   
レンガの積み方にもいろいろあるそうでこれは「イギリス積み」でよろしいのか  何にもわからなくてごめんなさい    

今立っているのが天竜川河川敷から天竜川駅へと延びていた専用線跡  昔は橋が架かっておりました

1975年 「地図・空中写真閲覧サービス」より   ピンク部が道路 黒破線が「まるがた通路」  左側の道ができたのは50年ほど前か
後日その2に続きます    「いいね!」押してくださりありがとうございます。

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2 コメント

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字です (847)
2020-08-02 20:00:35
こんばんは。
木柱はいつだったか忘れましたが、市で整備したんです。
余談ですが和国道路の木柱もどこかにありました。
半場は和田村の頃の字です。
天龍川町のバス停が橋羽となっているのと同じです。
ちなみに和田町は永田です。
80歳以上の人は使っていると思います。
私のブログに昭和26年の地図の一部を貼っておきましたで、見てみてください。
レンガはイギリス積みであっています。
写真が残っていないので正確かどうかわからないんですが、おそらく道を狭くしたと思います。
なにぶん子供の頃なので、全てが大きく見えるので。
それでは。
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コメントありがとうございます。 (ポニーさん)
2020-08-02 21:23:31
847さまこんばんは  私のような若い?年代は「字」がなかなか思い浮かびません ありがとうございました  明善記念館の功績ビデオで和田村も出てきていましたがこれも忘れておりました
先日SBSテレビで駿遠線の相良のトンネルを訪問しイギリス積みと紹介しており 積み方にも名称があるのを知りました   また教えてください。
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