ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 初恋・地獄篇 (1968)

2017年07月13日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
イメージの連鎖といえば聞こえは良いが、ただの絵空ごとの羅列。たかだか10代の少年や少女だって、こんなに複雑でデリケートな心情を生きているんですと、さりげなくアンチ社会、アンチ論理、アンチ政治で語ったつもりだろうが、どうにも地に足がついていない。

2度目の鑑賞なのですが、やっぱり印象は改善されませんでした。今回は、岩波映画時代の初期の短編ドキュメンタリーから本作まで、6本まとめて羽仁進作品を観ることができたのですが、それで、本作がいまひとつ魅力がない理由が分かった気がしました。

羽仁さんは、論理的にせよ感覚的にせよ、主題をどう映像化していくかに感心があるのではなく、今そこにある被写体や対象が置かれた状況を切り取った映像から、主題(のようなもの)を創作(組み立てる)していく作家なのだと感じました。

何を語るのかではなく、何が撮れる(撮れた)かに興味を抱くのが羽仁さんなのだと思います。そう考えると、観客側が答えとして定型的な「主題」を期待しながら観てしまう、この「初恋・地獄篇」という(時代の雰囲気のようなものをまとって見える)作品は、最も羽仁さんが不得手なタイプの映画なのだと思いました。

(7月8日/シネマヴェーラ渋谷)

★★

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