ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ ザ・スクエア 思いやりの聖域 (2017)

2018年05月12日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
堂々と“モノを乞う”者たちを無感情に描き、その“卑屈”を軽蔑しながらも、彼らとの間に引いた線の外側から、手を差し伸べることに誠意を見出す卑屈。「それを言っちゃお終いよ」を承知で、観客を蚊帳の外に放置する確信犯リューベン・オストルンド監督の意地悪さは反則ぎりぎり。

自分は非道な人間だと思っている人はなかなかいないわけで、じゃあ後ろめたいことは何もないのかといわれると、そんなこともないわけで・・・。

通奏低音として“助けて!”という叫びを臭わせておきながら、それには応えようとはぜず、ひたすら個人(主人公)の誠意の限界や世間(無名化した個人の塊)の冷徹さを醜態としてさらけ出し観客を挑発し続ける。「モンキー・マン」のシークエンスなど、物語映画としての脈略や論理を逸脱してしまっている。

(5月8日/ル・シネマ)

★★★★

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