最近ぽんこは、歩くお仕事をしている、って書いてます。
気づいてました?知らないってか?
どっちでもいいです。
さて。
その内容はといいますと、「自立下校支援」たるものです。
文福近くの特別支援学校から、バス停までの約1kmの距離を、何事も無く一人で帰れるようサポートするというもの。
今回は期間限定で、一人で帰れるようになるための準備期間のサポートです。
第1段階は「一緒に帰る」だけのサポートです。
学校とのお約束を守って帰れるかどうか。
学校を出るときに家に電話。
バス停に着いたら学校と祖母に電話。
道中は「さよなら」以外はお話NG。
こんなことをちゃんとできているかどうか、一緒に帰りながら行います。
第2段階は「隠れて見守り」のサポート。
一緒に帰っていたときに確認してきたことを、一人になってもできているかどうか、隠れて見守ります。
今は第2段階。
門が見えるところで隠れていて、本人の後70mくらい後方から付けていきます。
これ、かなり怪しい。
学校から出てくる時間は不定なので、一人で20分近く門をにらみながらぼーっと待っている姿はかなりあやしめです。気にしないもん。
このサポートの難しさを、今実感しています。
「地域の学校に通っていればこんなことないのに」
という考えは私の中に常にあるため、矛盾を感じることもしばしばです。
「友達と一緒に話しながら帰る」ということは、当たり前すぎるほどのことです。
私が昨年度までサポートしていた自閉症のD君は、むしろ一人で帰って来る方が危なく、いつも友達と一緒に帰ってきていました。
今も、中学校に行くときは、近所の子と待ち合わせて一緒に行っています。
一人では行けないだろう、危険だろうとの友達の判断です。
しかし、自分の地域外の場所では、やはりそうもいきません。
文福のまわりは、治安もあまりよくないし。
ぽんこも、何回かアホそうな人に声をかけられて嫌な思いをしたことがあります。
過去に、友達と喋って帰ったことによる弊害が出ているらしく、そのことを踏まえた学校の判断に、私は反論する気はありません。
ただ。ただただただただただ…。
昨日、特別支援学校横にある中学生の女の子3人と、仲良く話しながら歩いて帰っていたのです。始めは道路側に障害児の子がいたのですが、話しながら歩いていると道路の真ん中の方へ行ってしまうその子に、何回か歩道の方を歩くよう言っていましたが、何回も道路へ出てしまうその子を、途中から1人の女の子が道路側を歩くことによって歩道を歩かせることに成功していました。
話をするのは良くないこと。
1つのことに集中すると、1つのことをおろそかにしてしまう癖のある子にとって、一人で下校するには、下校に集中しなくてはいけないことは理解ができます。
でも、昨日の姿は…。
その3人とは一緒のバスでした。
中学生と時間を合わせ、一緒に帰れば問題ないじゃん!って思ってしまった。
普通級に通っていたD君はそれが当たり前だった。
友達と学校に行って、友達と帰る。
下校途中嫌なことをされたこともあったけど、嫌なことも乗り越え、皆と一緒に成長して言った。そんなチャンスが無いことに、改めて分離教育の問題を感じます。
あー。
担任に、中学生と一緒に帰っていた旨と、彼女たちはちゃんと下校支援をしていたことを伝えると、また学校内で検討してお返事させて欲しいといわれました。
数時間後、担任から電話。
今は運動会の練習があるので中学生と時間がかぶるが、通常は時間帯が違うので、下校途中は「話さない」ことを原則にお願いしたいとのことでした。
担任としても心揺れている感じはしました。
障害児が一人でも、色んな人に見守られながら成長できる世のなかになればいいのにな。一人で何でもできなきゃいけないというよりも、色んな人がさりげないサポートをすることで、障害児は一人で生きていけるようになるんだと思うのです。
でも、やっぱり地域の学校じゃないと難しいですね。
○○さんの所の、○○ちゃん。
と知っているかどうかの違い。
「もぉ遅いから早く帰るんだよ」
と声をかけてくれる人がいるかどうか。
「公園で遊んでたよ」
と教えてくれる友達がいるかどうか。
障害児にとっての生きやすい社会とは。
考えさせられるサポートです。
まぁ。
学校が望む支援をするのが、現在のサポートになってしまうのですが…。
先週の土曜日、中学生になったみんなの授業参観に行ってきました。
1-1のクラスを覗いたときに
「せんせいー」と元気良い声が…。
新しい制服に包まれた変わらない笑顔が…。
「何しにきたん?」
「みんなに会いにきたん」
みんなの変わらない顔を見ながらお目当ての自閉症D君のいるクラスへ…。
担任は家庭科の先生。
授業参観は担任の教科の授業でしたが、家庭科ではなく学活の時間。
テーマは「友達つくり」について。はて。
まずはひたすらじゃんけん。
次は後だし負けじゃんけん。
D君隣の子と笑顔でおしゃべり。
新しい友達かなーって思っていたら、同じ小学校の子でした。
ふっと目があって…ほっとしたようにはにかむD君。
笑顔で手をぶんぶん振っている私…。
次は、声を出さずにお誕生日ことに並んでみよう!というものをやることに。
みんなジェスチャーで動きます。
もちろん皆が何をやっているのかわからないD君はあっちをうろうろ…こっちをうろうろ…。あら~と思ってみていると、すっとD君の手をとる子。もちろん同じ小学校の子。「D君、何月?」「何日?」と聞いて手をひいてD君が並ぶところへ誘導。「ここだよ」と言って自分の場所に戻っていきました。でも、D君が並ばなくてはいけないところに立ちはだかる他の小学校の子。D君が入りたそうにしていても気づきません。そしたら今度は違う子が、他の子に「D君ここだから」と言って並ばせていました。
その後も血液型ごとに並ぼう。
男女混合であいうえお順に並ぼう。
などをやりましたが、同じ小学校だった子たちの連携プレーでD君は何事もなく参加できていました。
実は、中学校に入ってからD君は学校に行きたがらなくなり、小学校の時にはなかった早退までしてきたと聞いていてすごく心配していたのです。みんな新しい友達と楽しそうにして、D君はいつも一人でいると聞いていたので…。そんなことがあって今回授業参観に行ってきたのです。
なーんだ。かわんないじゃん。
と思った瞬間、やばいくらいに目がうるうるしてきてしまって…。
なんだろうなぁ、あの子たちのあのサポートは。
なんであんなに自然に動けるんだろう。
他の学校から来た子たちは、やっぱりまだD君とどういう風に関わっていいのかわかっていないみたいだったけど、あれだけのお手本を示していればなーんの問題もないなぁ。すーっと動いてすーっと消えるみたいな。
D君ができることをやるのはよくない、とは私も言ってきたし、低学年の頃の担任も言ってきたこと。その教えを守って、すぐには手を貸しません。D君が困っているなって思うとすーっと手を貸す。すごいんです。文章では現せれないけど。
いやぁ。良かった。みんな変わっていなくて。
授業が終わって廊下にいたら、みんなが、だーっと集まってきてくれました。
きゃっきゃっと楽しそうに話すみんなを見てほっと。
恥ずかしそうに目だけで挨拶する子。
丁寧な挨拶をする子。
まとわりついてくる子。
なぁんにも変わっていないなぁ。
まぁ、1ヶ月しか経ってないし当たり前か。
でも、すっごくほっとしました。
D君が早退をするほど苦しかったことはわからなかったけど、D君もだいぶん落ち着いたみたいです。D君が苦しいときに、私はいつもクラスの後ろにいました。私の姿を確認できることが、D君にとって安心できたみたいです。今回も、私の姿を何回も確認しては、ほっとした笑顔を見せてくれました。自分を見ている人がいる、ということは、誰にでも必要なことですね。特に無視されやすい障害児の子にとって必要な存在だと思います。
これからも、行事などにはできるだけ顔を出して生きたいと思います。
学校からはやんわり特殊をすすめられてもいるので、何かあったら親と一緒に説明しに行きたいと思っています。
インクルージョン教育とは。
D君がどうやって成長してきたか、を。
低学年のころは、事あるごとに特殊を勧められていましたが、3年生になったころからは全く言われなくなったD君。それはクラスにD君がいて当たり前と学校側が認めたからだし、D君の成長振りをみてだと思います。
ただ、6年生のときの担任が言った言葉。
「小学校の教師は、D君を受け止めて、気にかけてこれたけど、中学校の教師は難しいと思っています」
教科担任制となり、9人の教師がD君にどのような態度を示すのか、難しいと思います。良い先生ばかりではないと思います。それでも、社会に向けての壁だと思って思いっきりぶつかっていって欲しいと思っています。D君には、一緒にぶつかってくれる仲間がいると思っています。
しかし。
4つの小学校から集まってできている中学校ですが、早くもいじめが起こっているとの事。D君の小学校の子達は、それを必死で注意しているそうです。
「優しく しなやかに たまにたくましく 自分と周りの人に優しく…」
私が彼らの最後に贈った言葉。
彼らに刃が向かないように。でも怖気づかないように。
いつまでも、彼ららしくあって欲しいと思っています。
さて。長くなっちゃいましたが。
今日はすっごくていました。お外はぽかぽか。
心も身体も温かでした。
4月から中学生になった自閉症D君のお母さんからあまり嬉しくないメールが届きました。うーん…。
どうしたものか。どうしようか。
とりあえず、明後日お家へ行ってきます。
ちょうど授業参観があるので、ままるっくで張り切って行って来ます。
ふむ。やっぱり私は考え方が甘いなぁ。
くっそぉ。
今日は移送サービスのことでちょっと市役所に行ってきました。
苦手というか嫌いだった担当課長が変わっていたので超はっぴー。
でも、今年は更新の年だとそのとき担当の方から聞いてばたっと。
わぁ。
資料たくさん用意しなきゃいけないんですか?
って聞いたら「はい!」って…。
わぁ~~~~~~~~~~。
ばたっ。
お腹すいた。
ばたっ。
今日は駄目そうだ…
ばたっ。
今日は

ばたっ。
そうだそうだ。
先日ニュースで見た日本初の「バイリンガル聾学校」の話がしたいと思っていたのだ。
東京都の教育特区としてスタートしたこの学園は、まだ幼稚部と小学部しかありませんが、数年後には中学部も設立予定とか。
今までの聾学校との大きい違いは、「手話」を第一言語とすることです。
聾者は手話を言語として用いることが当たり前のこととして知られていますが、実は聾学校で手話を教えることは少ないのです。
では何を教えているか。
「口話教育」だったのです。
人の口元を見て、相手が何を言っているのか読み取る。
口の形から、自分も発音してみる、というもの。
「う」と「ふ」は同じ口の形だけど、前にろうそくを置いて、「お」はろうそくの火は揺れないけれど「ふ」は揺れるのよ、と教えることもあるとか。
これは、聾文化への否定でもあったのです。
言語は、その国の歴史であり、アイデンティティを形成するためにも重要なものだとされてきました。だからこそ、日本は戦時中に占領国に対し母国語を禁じ日本語を話すことを強要したのです。韓国に行ったとき、おじいちゃんが日本語で話しかけてきてくれて嬉しかったと同時にすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
話がそれそうだ。
さて。
なので聾者はずっと自分たちの文化を否定するな!と声を挙げてきたけれどなかなか聞き入れられず、口話教育を強いられてきました。
そしてようやく誕生したこの学校法人は、全国から聾児が集まるほどの人気があるそうです。
良かった、と思う反面、わざわざ新しい学校を作らないと手話教育メインの学校ができない日本を恥かしく思います。今までの聾学校の方針を変更すればいいだけなのに。まったく…。
ぽんこは、ここでも障ちゃんでも「インクルージョン教育」の必要性にふれてきましたが、実は多くの障害者がインクルージョン教育を望む中、唯一例外は聴覚障害者、聾者でした。その理由はもうわかると思いますが、自分たちの歴史を持ち、自分たちの言語に誇りを持つ彼等は、健聴者と共に、健聴者の授業を受けることよりも、自分たちの言語で授業を学ぶことの方が大切だとしたのです。
大学の卒論を作成しているときに、聾者が書いた本も数冊読みましたが、本当に考えさせられました。どうすればいいのか、と何回も何回も考えました。
今だはっきりとした答えは見つかっていませんが、短大時代に独学で手話を勉強しだしたきっかけとなった考えは「外国語を学ぶよりも、日本語を学ばなくては」と思ったからでした。
民族学校があるように、手話で授業が受けられる学校があっても私はいいと思います。選択肢の一つとしてあるべきだと思います。
でも、それでも私はやっぱりこだわりたい。
手話は、日本の風習や考え方に乗っ取って作られています。
手話を学ぶことにより、日本人が1つの単語をどう思ってきたか、捉えてきたかがわかって面白いです。よく比較されるのが「愛」。英語では両手をグーにして胸の前でクロスさせます。受け止める、というしぐさなのですが、日本では左手をグーにして頭に見立て、右手でそれをなでなでします。「よい子よい子」のしぐさ。日本にとっての「愛」の形と、アメリカにとっての「愛」の形は大きく違います。
日本語として手話を捉え、学んでいくことが必要ではないかなぁと私は思います。
単語程度しか喋れなくても、コミュニケーションをとる1つの手段になれます。
耳の聞こえない人に、私たちの口を読め!と言う教育よりは、ずっとずっとまともだと思うのですが…。
何か長くなってきたな。
昨日は結局予定時間よりもかなりオーバーしたね、運営会議。
まぁ。予想通りです。はぁ。
ということで、かな、今日は。
先日、こないだ小学校を卒業した自閉症のD君のお家へ遊びに行ってきました
ながなが~っとお邪魔してしまって…。お菓子もばりぼり食べてきてしまいました。
クラスメイトの女の子も遊びに来ていて、小学校の思い出や、今後のことについてお話しました。
D君がどこまで「卒業」ということがわかっているかわかりませんが、
「中学校楽しみ?」との質問に
「楽しみ!」と元気良く答えていたので、良かったです。
これからいろんなことが待ち構えているだろうけど、一つ一つ対処していければなぁと思います。
日本の教育制度は、まだまだインクルーシブには向かっておらず、広汎性発達障害が世間一般に広まっていくにつれ、分離教育が叫ばれるようになってきました。
そこには、親の思いが強くなってきているので、誤解を恐れずに言えば、私にとって「厄介」です。
親として何を子どもに求めるのか、何を与えてあげるのかは、その親その親によって違いが出ます。親は親権者であって、子どもと一番近くにいて、周りからは口を出せない所があります。こっちが正しいと思っても、親が認めない限りそうはできません。難しいです。
ある障害児の親が中心となって運営している団体の会報で、「勉強はいい。みんなの中にいるだけでいい」というような内容が書かれてありました。
私はこれに反対です。
子どもの人生は一度しかありません。現在の日本の教育制度では確かにすごく難しく、どちらかしか取れない所はあります。でも、それを認めてしまったら駄目だと思うのです。インクルージョン教育は、一人一人のニーズにあった教育です。障害があろうがなかろうが、その子にあった教育が必要だと言っているのです。障害児だから望めないと、親の立場が言ってはいけないと思います。
もちろん、障害児をサポートする団体も声を大きくしていく必要があると思います。
なぜインクルージョン教育が必要か、なぜ分けてはいけないのかを、わからなずやちゃんたちに、わかりやすく教えてあげなくてはいけないのです。
がんばるもん。
あ。壊れてきた。
障ちゃんで、これについて書こうと思っていたけれど、書けそうもなかったからここで書いてみただけだもん。
ということで。
今日も事務所でお仕事です。さん。明日のご飯はなぁに?
ばーにゃがいないから美味しいもの食べようね。
ってか、降ってますが。どういうこと
ご卒業おめでとうございます。
今日は富山市内の市立小学校の卒業式でした。
私も出席してきました。
新しいハンカチを握り締めて。
卒業証書をもらっているときのみんなの顔をみて。
門出の言葉を喋るみんなを見て。
家族に花束を渡すみんなを見て。
涙があふれました。
そして。
在校生全員と、教職員全員が正面玄関前に出て見送り。
在校生と握手や言葉を交わすみんな。
私も列に加わり、一人一人に「有難う」「おめでとう」と声をかけました。
声をかけるたびに涙声になってしまいました。
誇らしげなみんなの顔。
未だに忘れることはできないよ。
自閉症Dくんも、卒業。
長かったね。短かったね。
成長したね、本当に。
たぶん、今までで一番長い台詞を、ちゃんと言えることができました。
堂々とした言葉に涙が。
どんなに成長したか、その台詞があらわしていました。
最後、思い思いの写真撮影。
「せんせー」と呼んでくれるみんな。
写真を撮るとき、隣の子の頭に角をつけていたら、
「先生何歳けよー」と怒られました。
もぉよい大人です。
みんなと6年間歩んで、だいぶん大人になれました。
一人一人の顔を思い出しながら作ったストラップ。
今日、保護者の方から、
「綺麗なカードとストラップ、有難うございました」
と声をかけられました。何かすっごく嬉しかったです。
本当に。本当に。
おめでとう。おめでとう。おめでとう。
何回言っても言い足りないくらいです。
最後、担任の先生が私にぽつり。
「こんなに印象に残るクラスは初めてで…」
と涙を浮かべられました。
お疲れ様でした。
障害児がいる苦労はあったと思います。
でも、D君はあんなに立派に小学校生活を終えることが出来ました。
先生たちのおかげです。
一人一人の顔が今も頭にあって。
今日は、気を許すと涙が出てとまりません。
みんなにあえて、本当に良かった。
こんなに素敵なクラスになったよ。
こんなに素敵な卒業生になったよ。
おめでとう。おめでとう。
また会う日まで。
希望者だけお手紙を書いてきたみたいですが、ほとんどの子が書いてきてくれて。
その一つ一つが、私を救ってくれました。
私が言いたかったことを、言葉で伝えなくてもちゃんと皆はわかってくれていました。
それがもぉどうしようもなく嬉しくて。
またもや号泣していました。
本当はそのお手紙を紹介できればいいけど、私のために書いてきてくれたものなので自分の胸の中に大切にしまっておこうと思います。
でも、笑っちゃったのが、多くの子が最後に「私も頑張るので先生も頑張って下さいね」と書いていたこと。私これ以上何を頑張れってゆーの?って思わず声に出してしまいました。
自閉症D君の親と夜にメールのやりとりをしていたら、D君のクラスメイトの女の子3人が遊びに来て、「先生泣くから私も泣いてしまった。」と言ってたそうです。
ありゃ。卒業式前に泣かせてすみません。でもね。私本当に淋しかったのです。
みんなが卒業しちゃう~って。情けないほど。
それほど楽しかったし、このクラスを見るたびに勇気付けられたし。
私がずっと思ってきたことを、伝えたかったことを、彼らがちゃんとわかっていてくれたことに感謝です。
笑顔が素敵、っていっぱい書いてあって嬉しかったです。
子どもといると笑顔になれちゃうって不思議ですね。
幸せでした。
来年度も、お願いしたいと思っています、と最後に校長に言われました。
実は、来年度のことを、こんなに明確に言われたのは初めてで少し動揺してしまいました。まだどうしようか悩んでいたし。
でも。
D君のサポートで行き始めた学校でしたが、いつの間にか他の子へのサポートが主になっていって。大人しい子が、自分に声をかけてくれて、名前で呼んでくれて嬉しかったです、と手紙に書いてあったのを読んで、自分が行く意味というのをもう一度考えてみたいと思います。
来年度は夢宙人の仕事もだいぶ少なくなるはずなので…。
実は、来年度6年生になる子達も、1年生の頃から知っているのです。
ADHDのS君。
1年生の時は酷かったねぇ…。クラスが動物園でした。
そんなS君が1年生のとき、2年生のクラスに来て
「先生、僕淋しい」
と言って泣いたのを覚えています。
その衝動的な行動に、先生から受け入れてもらえず、友達からも嫌われ、居場所がなくなったときに、助けを求めてきたS君。そんなS君の最後の学年。
とこんなlことを言っていたらキリがないのです。
わかっているのですが、なかなか難しいですね。
正式にオファーが来た時にまた考えたいと思います。
さて。朝っぱらからこんなに頑張って書いている場合じゃありません。
明日の準備をしなくっては。
ということでばいちゃ。
今日は


卒業式は来賓席でだそうで。
思わず「いやです」って言っちゃいましたが。
今日は6年生で「感謝の会」を開催してくれました。
何を喋るか行きの車の中で何回も練習したのに、結局泣いてしまって何もいえなくなってしまいました。くっそぉ。
超かっこわるい。超恥かしい。
唯一救われたのはそんな私の泪につられた子がいたこと。
でも、かっこ悪い。
大人なのにちゃんと喋らないなんて。
一人一人からお手紙をもらいました。わぁ。
これ読んでまた泣きそう。
かっこ悪いなぁ。しばらく落ち込みそうです。
ということで?今日も

小学校の日です。
とぉとぉ後1日になりました。何だか淋しい気持ちが勝ってきました。
これで最後だと思うと、たくさん子どもたちと一緒にお話したくなります。
今日もたくさんお話してきました。
子どもはやっぱいいなぁ~。
6年生は図工の時間。
最後の作品は鉛筆立て?です。
一枚の板を使い、自分たちの思うように糸鋸で切り、組み立てていきます。
今日は最後の組み立て。
釘ととんかつを使ってトントントン。
D君も上手くできました。
糸鋸を使うのが怖いぽんこは頑張ってやすりで削っていたら、「やってあげるよ」と男の子が。わぁ。やさしい。みんな手伝ってくれて助かります。
ってかみんなうまいなぁ。ぽんこ、小学校の時に糸鋸使って以来やったことありません。小学校のときに糸鋸を折ってしまって怒られた苦い経験があったので、やりたくなかったのです。ちょっとやってみたかったかもだけど。
5年生は音楽の時間。
自分で作詞作曲をするもの。
とりあえず作詞を発表。
「僕はいつも金目当て」
金目当てって…。笑いました。男の子の方が面白いものを作りますね。
音楽の時間は男の担任に代わって女の主任がやっています。
「○○先生(担任の名前) いつも ぷんぷん 怒ってる」とかね、って例として主任の先生が言いました。
ぽんこの近くにいた女の子が「担任の先生、こないだ主任の先生のこと魔女って言ってたよ」って。魔女か。みえなくもない。ってか子どもの前で何を言ってるんだろうね、先生たちは。でもおもしろいからOK!
あぁ。後一日か。
やっぱり淋しいなぁ。
来週6年生が何かお別れ会を開いてくれるとか。
今から泣きそうですよ。やばいですよ。一言お願いしますねってプレッシャーを…どうしよう。泣いちゃったら。あぁ、やばい。やばいよぉ。なるべく簡単にしよう。あぁでも伝えたいこともいっぱいいっぱいあるし。あぁ。でも泣きたくないよぉ。
う~む。
いつも木曜日は静かなのに、今日はたくさん人がいます。
みんな事務所がすきなのね。
今日は


見積もりで12万円越えだったので気分が重いです。
1か月分の給料全部がなくなってしまいます。
あーあ。
保険料もあるし。
お金はとどまってはくれません。
でもめげないもん。頑張るもん。
さて。これから夢宙人企画★のバリフリ鑑定団の事前ミーティングがあります。
あいにくのお天気ですが…。
車検ショックから立ち直れるかわかりませんが、頑張りたいと思います。
誰もいない事務所は寒いです。
寒いと余計ショックが大きいです。
はぁ~あ。
ため息しかでませんが…。
頑張るもん。
ということで、


ということは、
