最近心が折れているので、くら~いお話に向かうかもしれないのを最初に断って…
3月最後の日曜日に行われた「障害児も普通学級へ・富山連絡会 あっぷっぷの会」の「進学・進級を祝う会」に出席してきました。
前日、りくののから「あそぼー」ってメールが。
しかし前日は夢宙人の年度末会だったので「ごめんね」と。
したら当然「明日は?」ってなります。
「明日はあっぷっぷの会だけど…行く?」って聞いたら「行く~」って。
おねーちゃんは用事があるとのことで子どもを置いて帰っちゃったし、しょうがないかぁと思って3人で会場へ。
いやぁ。
子連れだと話なんて聞けないって思いしりました。
ちっとも集中できない…。
さて。そんな中たくさんの悩みを抱えるお母様方が来られました。
4月から小学生になる自閉症ちゃんのお母さん。
不安がいっぱい。
何でも取り出し教育をすることを了承したとか?でセンパイ母さんたちに怒られておりました。
私も言葉がきついので、以前代表の方から、ここはお母さんたちの気持ちを受け止めてあげるところなのよ、と諭されたことがありました。
それからは、自分の考えを伝えるだけはやめて、相手のお話をじっくり聞こうと試みてきましたが…こないだは、センパイ母さんたち持論展開しまくりでしたなぁ。
個人的にそれが間違いだとは思ってませんが…言い方ってものがあるんじゃなかったんでしょうか…。
まぁ、わからなくもない。
最近のお母さんたちは、ずっと迷っていて、どっちつかずのところがありますから。
それでも、それを受け止めてあげる会じゃなかったのかなぁ…とか。
私は、長年付き添ってきて、心から「何故わける?」と思えているのですが、それを知らないお母さんたちは悩みますわなぁ。そもそも、きっとお母さんたち自体が「差別」してきたでしょうし。
一緒に育ってこなかった世代は、分けることが当たり前になっていますからね。
それを一緒に、ってなったときも、悩んだり不安になったりして当然だと思うのです。
いろんな人の意見を聞いて、自分の意見をまとめていけばいいとは思うけど、最近はなんか、悩みすぎっていうか、いつまでたっても煮え切らないっていうか、大変ですなぁ…。
かくいう私も、大ちゃんが1年のころは「やっぱり特殊の方が幸せなんではないのかなぁ~」って弱音を吐いてたりしていたので、悩んで当然なんでしょうけどな。
うん。難しい。
しょっぱなからきつ~い言葉を投げられていたので、その後のお母さん方は少し萎縮されていましたなぁ…。ちょいと残念。
そして、最後は久しぶりの参加のKさんでした。
息子さんはダウン症。今度中学校になるのですが、1年半ほど前に急性白血病で入院されていました。最近は疲れ果てて欝状態になっているの、といいながらのお話は重く、響きました。
「状態が悪くなったとき、お葬式のことを考えました。養護学校に行ってたら、お母さんたちは分かってくれるかもしれないけれど、お友達はどうだったかな?って。今、入院していて、(普通学校に通っているので)お友達からたくさんの励ましのお手紙をいただきました。それで頑張れていると思います」
とお話されました。
養護学校に通っていても、お友達はわかってくれるとは思いますが、励ましのお手紙をもらって、本人はもちろん親も救われたのだと思います。
当たり前に地域に通って、そこに「いる」存在であることの重要さが、重く響きました。
中学校でも普通学校への入学が決まったそうです。
一日も早い回復を心より祈っています

普通学級へ通うということ1つでも、色々な見方や意見があります。
結果、普通学級へ、では一緒でもその過程は人それぞれです。
求めているのも人それぞれだと思います。
人は何故教育を受けるのか。
「生きる力を養うため」とはっきりと書かれています。
これが全てなのだと思うのです。
その子その子で生きていくために必要な力は違います。
身体が動かない子、情緒不安定な子など、必要な力は違ってきます。
社会の中で生きていくと考えたとき、ちっちゃな社会である学校で生きていく力を育むのは当然の事だと思うのです。
施設から地域へのスローガンのもと、障害者は地域に投げ出されようとしています。
地域で「生きていく力」を教えられてこなかった障害者が、いきなり投げ出されて生きて行けるのでしょうか?
施設から地域へ、と謳うのであれば、養護学校から普通学校へも併せて謳わなくてはゆがみが出てくると思います。
普通学校で、障害者が健常者を知り、健常者が障害者を知るということは、とても大切なことなのではないでしょうか?
お互いを知ることからしか前へは進まないと思います。
あれ?
何だか長くなって、しかも訳のわからない方向へ話が行っている…。
とりあえず、色んなことを考えさせてくれた日でした。
今日はすごく暖かでしたね。気持ちの良い

でした。