大きく深い森のように

キモノ道1

2008年06月11日 | 着物
引っ越すのを機に、キモノを整理しようと一念発起。

とはいえ、どこから手をつけていいのやら?

そもそも何故キモノを着始めたのか…これからどんな風に着ていきたいのか?
まずは頭の中を整理しよう。


以下、長文になりますので悪しからず。。。



今のように着物を気軽に着るようになる前、着物を着たのは、お宮参り、七五三、十三参り、お正月、成人式、浴衣という、とても一般的なものでした。

母が着付を出来ないこともあって(これは周りに出来る人が居過ぎたため身につかなかったようです…お茶も日舞もお花も習ったことがあるのにも関わらず、どれも長続きしなかったらしい。。。しかも学生時代は、水泳部と山岳部に所属という超アウトドア派)日常的に親しむとといったことはありませんでした。

ただ、着物が身近にあったかというと、多分あったほうだと思います。
母方の祖母が仕事柄、着物を着る人で、しかも着物が好きな人だったので仕事以外でも着物姿のことが多かったのです。
普段は、紬に季節の柄の帯を締めていることが多く、その着姿が好きでした。
祖母がいつも着物姿だったので、着物の人を珍しいという目で見たことはなかった気がします。


今考えると、私が着物に持っていたイメージは、

”綺麗!” ”でも自分で着られない”

この二つでした。
あとは、十三参りのときに美容室でしてもらった着付けが、あまりに窮屈で(その頃は、しんどくない?と聞かれてもよく分からず、されるがままに着付けてもらっていたので…)すごく苦しくなって、着物は窮屈なものだというイメージもついてしまいました

その後、高校生のときお正月に何故か家にあった叔母の振袖を着たのです(毎年着ていたわけでなく、その年のお正月何故か着付けが出来ないはずの母と無理矢理着て祖母の家に行って、着くなり美容師の親戚に直されました…)

で、ここからがポイントです!
着物を着ている私を、親戚の人たちがお世辞にも誉めてくれました☆
ここで”着物を着ると誉めてもらえる!”というイメージが加わります
しかも、その姿を見た祖母が”着るなら…”と後々、黒地の小紋とピンクの訪問着を仕立ててくれたのです。

祖母は、元々合理的な考えの人。着ないものは作りません。
母の時代、お嫁入りといえば着る着ないに関わらず、それなりに着物を仕立ててもらって持っていったもののようですが、着物を着なかった母が持ってきたのは習い事をしていた娘時代に作ってもらったもの少しと祖母のお下がり。あとは私達子供の行事で着る為に2・3枚色無地と訪問着を結婚して必要になってから仕立ててもらったようです。


母のではなく、自分の着物。嬉しくないはずがありません!もちろんお正月に着るようになりました。ちょうど実家の向かいのお寺の奥様が茶道の先生で、着付けもされるということだったので、頼んで着せてもらい(母に着せてもらうのは、先のお正月で懲り懲りだったので…)、当時付き合い始めた相方さんと初詣へ。

ここで、着物姿の私を連れているのが恥ずかしくて嫌だとか言われなくて良かった…

その後、夏の花火大会の浴衣、お正月の着物は定番となりました。
とはいえ、まだまだ着物は”自分では着られない”ものです。
成人式の着付けは苦しくはなかったものの、大振袖に、袋帯。
一日着ていて疲れないわけもなく、気軽に着られるものとは到底思えませんでした。

そして、卒業→就職と忙しい日々を送りつつ、お正月にはやはり着物を着せてもらって…確かそのとき母が”お寺の奥さんに着付け教えてもらったら?”と言ったのです。
たしか、就職して、あまりの忙しさと人間関係の難しさ、自分の知識・技術・経験のなさに、精神的にちょっと参っていたときでした。プライベートもあまり上手くいっていなくて。
それまでにも何回かそう言ってくれていた気がするのですが、そのときは他の事に
夢中にだったりと、生返事していました。

何か習い事をするにも、平日は無理だし休日もわざわざどこかに出るのは億劫。そんな私に、向かいの家で教えてもらえて、しかもマンツーマンなその提案はこのとき初めて”すーーーーっ”と入ってきたのです。