今日も感謝の中で

毎日、感じ思ったことを書きます。

安心

2020年02月25日 20時04分45秒 | 精神世界
生まれる前の自分はどこで何をしていたのだろう? どこかで長い眠りの中にいたのだろうか? 身体の無い自分は‥いつ‥どこで生まれ‥何をしていたのだろう? なぜ生まれる前の記憶が無いのだろうか? 生まれる前の記憶があると‥自分にとって? 神様にとって? 何か都合が悪いことがあるのだろうか‥??

生まれる前の記憶が無いなどと‥何故そんなことを言うのか?
それは、太陽は人類が誕生する遙か昔から‥何度も沈み、復活していること。
雨は空から落ち、川となって流れ海にたどり着き‥やがて蒸発し空へ昇り雲になり、また雨となってこの大地に降っているということ。
そして、大地の中の種からは芽が出て花が咲き実ができて‥その実が大地へ落ちて、またいつか花を咲かせているということ。
太陽‥雨‥花‥その全てが永遠の命‥人間は自然の一部、宇宙の一部だとするなら‥それは永遠なる人間の魂を表していると思うから‥。


自分とは何者なのか?
日本の○○県の○○町の○○番地の○○家の長男。それが自分だというのか?
西暦○○○○年の○○月の○○日の○○時○○分に生まれて‥○○という名前が自分だというのか?
○○色が好きで、○○という食べ物が好きで、○○という趣味があって、○○という物を集めていて、○○という事が好きなのが自分だというのか?
あれが嫌いで、これが嫌いなのが自分だというのか?
これが!これこそが自分なんだ!!というものは何なのか??
この目に見える世界の全てを感じている、この自分という存在はいったい何者なのか?

いつの頃からか‥母に抱かれ‥家族に愛され‥いつの間にか歩き出し話しているこの身体という自分。 この身体があの日に生まれ‥いつの日にか死んで灰になって‥この世から消えるのが自分という考えになっているけれど‥生まれる前の自分は身体は無く存在していたと思ってもいる。 しかし、今は身体と共に存在している。 心は身体は無くても存在できるけど‥身体は心無しでは存在できないということ。

 「私は身体だ」という思いは、時と共にずっと変化していく身体に対し、いつまで経っても安心できないという気持ちになっていくと思うし‥「私は身体と心だ」という思いになっても‥相反する存在が一つになっている事に時折違和感をもたらし、次第に分離の思いが生じ、絶対的な安心は訪れないだろうとも思っています。

では‥自分を安心させるにはどうすればいいのか? 自分の本当の姿とは何なのか? 見つめるべきはどこなのか? そう‥それは「自分の心」。 いつも良心という神様と会話しながら‥自分の心を見つめていくことが、この世を生きていく上で、全てに安心という気持ちが溢れ‥やがて心が安らかに成り‥どんな人生でも嬉々として生きて行けるのではないかと思っています。


自分は、ご先祖様の供養や神棚の神祭りを10年ほどしていますが‥今、振り返ってみると‥感謝の日々を重ねていくごとに、心と身体は深い安心へと導かれていることに気づきます。  誰もが自分のご先祖様を辿って行くと‥いつかは神様へとたどり着く真実があります。  日々の先祖供養や神祭りは縁のある人が行えばいいと思いますが、生きていることに深い不安がある方は、最初はご先祖様供養からしていくと、少しづつ心が穏やかになると思います。  人生をより良く生きるには、ご先祖様から神様へと真っすぐに続いている一本道が、一番確実で近道だと信じて、日々多くの感謝に気づき生きていくことだと思います。

(インドの聖者 ラマナ・マハルシ)

今日も一日、感謝の中で…ありがとうございます。