今日、会社の同僚の親父さんの告別式へ行って来ました。去年末から肺炎を何度か繰り返して‥84歳でした。多くの年配の方々が弔いに来られていて‥式が進む中‥自分は最前列の椅子に座っていたので、焼香は早めに終わり‥その後は頭を少し下げて‥何気なく皆さんの足下の方を見ていました。足下の動きだけでも分かったのですが‥その中で…丁寧にお坊さんや喪主へ深々と礼をする人、さっさと済ませて席へ帰る人、ゆっくりと祭壇の写真に向かって参っている人‥そこで思ったのは‥故人とどんな関係だったかもあるけれど‥人間は死を前にすると‥その人の心が自然と現れるものなんだな‥と。
そして‥あの長いお経を聞いていて、もう一つ思ったのは‥故人はこれを聞いて本当に成仏するのだろうか‥と。いろいろ意見はあると思うけれど‥生きている時はそのお経の意味が分からなくても、あの世へ行ったら理解でき成仏できるのだというのは‥ちょっと無理があるように思えるし‥。そもそも成仏とはどういう事なのか‥自分が思うに‥人間とは生きている間に自分の心を絶対安心させることが成仏なのだと思うから‥今生で成仏できなかっただろうから、他人様が話す意味を知らないお経を10分ほど聴かせて、あの世で成仏させてあげるというのは‥この世で精一杯生きて‥善徳を積むだけ積みに挑戦しに‥この世で努力して成仏できるよう‥神様にお願いにお願いして‥‥やっとこの世に生まれて‥そして‥あの世へ還って逝かれた本人に失礼な気がします。
だから‥もし自分があの世へ還ったなら‥大げさな葬儀などせずに、自宅で自分の亡骸の前で‥親族が集って私の思い出話をしながら‥お酒を飲みながら楽しく食事をして貰える方が良いな‥と思っています。その方が自分は安心してあの世で成仏できるように思えます。
今日も一日、感謝の中で…ありがとうございます。