人生‥私のように半世紀以上も歳を重ねていくと‥シワや脂肪が増えると同時に心の皮も厚くなり‥自分に何か間違いがあっても、すぐ素直にはなれなくて意地を張ってしまい、肝心な人生の行き先を間違えてしまう事が多くなりがちです。
ところが、人間という生き物は‥普段は理性が自我を覆っていて、他人にはなかなか心の素顔は見せない、見せれないものですが‥死が目の前に来ると、誰もが理性という心の壁が吹き飛ばされ、隠されていた心の光と闇が‥自我が表れるものだと思います。
最近多くなってきている自然災害を始め、トイレットペーパーやマスク騒動のように‥困っている人がいると聞けば、それを利用し、自分さえ良ければこの世は天国と考える我良しな人間と‥それを自分のことのように受け止め、心を痛め、自分より他人を助けようとし、皆同じ、一つなんだと思っている心根の優しい良心的な人間。
それぞれの魂が‥それぞれの人生、いろんな段階で‥この世でいろんな縁を結び‥互いに成長、堕落もしている。
誰にでも毎日のように真実への道が示され、救いの手が目の前にまで届いているのに‥そにに気づけない‥気づきは起こっているけれどそれが見えない‥感じることが出来ずにいる。
ではそれを‥人生の正しい道を間違えずにどう生きれば良いのか? 救いの手、声を感じるにはどうすればいいのか?
それは素直になること‥だと思います。
ご先祖様供養は‥しないよりした方が良い。ならばすれば良い。
人助けは‥しないよりした方が良い。ならばすれば良い。
ゴミ拾い‥しないよりした方が良い。ならばすれば良い。
あれこれ理由をつけてしないより、あれこれ工夫をしてすれば良い。
「エネルギー保存の法則」というものがあります。
与えられたエネルギー、生み出されたエネルギーはその形が加工されて変化してもそのエネルギーの総量は常に一定不変であるというものです。
私たち人間も姿形は生死によって生まれ変わって行きますが‥その魂は一定不変であると仏教でも「不増不減」という言葉で表しています。
創ってしまった因果は、それを打ち消す新たな因果を創らない限り、永遠に保存されていると言われ、時間経過でうやむやに消えてしまうことは1グラムも無いのです。
自分のすることに一切の無駄が無い。他人が見ていなくても‥一人だけのゴミ拾いが誰にも評価もされなくても関係ない。全てはこの世に保存されていて、形を変えてでも、いつか自分に返って来る。これが‥「因果応報」と言います。
私たちは、済んだことや、過去を思い出しては悔やんだり憎んだりしがちで、新規の今を‥新たな良い因果をそんなにも創造していません。ただ何とか生活するために毎日を働いて働いて‥この世に生まれてきた意味や生きることの意味など‥深くは考えられなくなっていて‥気がつけばもう青春は遙か過去の記憶の彼方‥時々一人になるとふと思う‥自分の人生は‥何の為に生まれてきたのか‥と。
これかもいろんな事が起きる人生だけれど‥自分が被害者ならば、その内容は消えること無く、いつか形を変えてでも相手に返るから良しとする。だから、新規の良いことを自分は行って、新たな良いエネルギー保存の法則を創って行けば良い。
物理学の「エネルギー保存の法則」は「因果保存の法則」でもあったという事です。
人生を生きている中で‥いつも死を身近に感じている事で‥今を生かされている事にいつも感謝の気持ちを今居るそこに(この世に)置いていく、更には徳を重ねていく事‥それを続けること(先祖供養、神祭り、神社参拝)で‥いろんな物や事に執着する心が無くなり‥良い因果の循環が加速、増幅され‥今よりもっと素直になると‥心がまたさらに軽くなり‥次第に多くの気づきがおこり‥自ら創った良き因果の循環にもよって‥限りある貴重な人生を‥更により良い方向へ‥魂の高みへと必ず導かれて生きます。
今日も一日、感謝の中で…ありがとうございます。