今日も感謝の中で

毎日、感じ思ったことを書きます。

時間

2020年02月22日 22時56分26秒 | 精神世界
今日は天皇誕生日。そんな新たなお祝いの日に、朝から自分は何を思ったのか‥歴史‥時の流れを思っている。 そう‥時間‥時間とは何だろう?と。 そもそも時間とは流れているものなのか? それは時計が回っているからなのか? それとも太陽が昇って沈むからなのか? 自分の心臓が動いているからか? それとも‥今はちょうどお昼だし‥お腹が空いて‥グ~と鳴るからなのか?

以前、『TIME』(タイム)という映画を観た時‥

そこに登場している人物たちは皆25才になると、歳は取らないが貧困層の人間たちは一日分ほどしか時間が無く‥日々の労働はお金では無く、時間を稼ぐ為に賢明に働いていて‥物は時間を渡して買っていた。 その一方、富裕層の人間たちは数十年から多い人間は1000年以上も持っていて‥走ることなどはしない優雅な生活をしていた。  全ての人間たちは時間を与えたり貰ったり、売買もしていた。 その中で‥ある一人の富裕層で100年も時間を持っているのに‥ある出来事で主人公に助けて貰ったお礼に?生きるとは何なのか分からなくなって?5分だけ残し、残りを主人公にそっと与えて‥死んでしまった。  物語の最後には、主人公は恋人に「1日分ある‥」といって笑顔を見せていた。

昔‥『銀河鉄道999』という、当時は子供の自分にはシュールなアニメがあった。

主人公は永遠の命を求めて、宇宙空間を走る列車に乗って、星から星へと旅をするという物語。 生きるとはどういう事なのか‥自分が永遠の命を持っていたとしたら‥どう生きるべきなのか? もし‥永遠の命を持っていたとしたら‥それは生きている事になるというのか? 今の歳になって、いろいろ考えさせられる。

そういえば映画か何かで‥侍がこう言っていたのを思い出す。

「武士道とは‥死ぬことなり」と。 自分はその言葉から「生きるとは‥死ぬことなり」と‥家族を持つ今になって感じている。 侍は命を懸けて何かを守る‥命を懸けるとは‥自分のすぐ隣に死があること‥それは死が近ければ近いほど‥生きるということが輝き出すのだろうと思った。 それは専業主婦の家事道でも同じだし‥サラリーマン道でも同じだと思う。 「道」というものが付くものには、命を懸けて人生を生きている‥そういう道があるものだと思う。

 そんなの何も無いよ、という人でも‥この世に生まれたからには‥必ず人生の登山道を登っていると思う。  登山家は言う‥「そこに山があるから」と。 そして神様は自分に仰る‥「そこに人生があるから‥ずっと見ているから‥さぁ、登って来なさい」と。

そして思う‥
時間とは‥それは今歩いている‥登っている道‥人生なのだと。

その人生の頂上には‥きっと神様が待っておられる。
だから‥どんな道でも感謝をしながら‥今日の一歩を登る。

今日も一日、感謝の中で…
最後までお読み下さいまして、ありがとうございます。
(※表紙画はゴッホの星月夜です。)


視点

2020年02月22日 11時34分00秒 | 精神世界
今日は朝から雨が降っていて‥そんなに寒くもなく‥これで冬も終わりかな‥と思っていたら‥こんな事を思い出しました。
それは長女がまだ幼い頃、ある日曜日の朝‥雨が降っているので‥縁側にいた長女へ‥私:「〇〇ちゃん、今日は雨が降ってるから外で遊べないね〜」 長女:「傘差せばいいにか〜♪」 私:「そっ‥だね~」(目からうろこ状態)
視点を変えるとは正にこの事でした。


ちなみに‥下の絵はどんな風に見えますか?
やっぱり貴婦人?‥それとも‥視点を変えて‥


人生では‥いろんな場面で視点を変えることが、自分自身や他人からも求められます。『人間万事塞翁(さいおう)が馬』というように‥話は長くなりますが‥これは、中国の古典『淮南子(えなんじ)』に書かれた「塞翁」の逸話ですが‥「塞翁」とは砦(とりで)に住むおじいさんという意味で‥その話とは‥昔、砦に一人のおじいさんが住んでいて‥そのおじいさんの馬が行方不明になり‥周りの人はおじいさんに同情しましたが‥おじいさんは落ち込んでいる風でもなく‥ しばらくすると、その馬が大勢の仲間の馬を連れて戻ってきました。しかし、おじいさんは喜んでいる感じでもなく‥すると、おじいさんの息子が落馬して足を骨折してしまいます。周りの人は同情しますが、おじいさんはそんなに気にしません。 やがて戦争が起こり、多くの若者たちは戦死してしまいましたが‥おじいさんの息子は足を骨折していたために戦場に出ることはなく、命拾いしたという話‥ このように何が幸福につながり、何が不幸につながるかなど、誰にもわからないという話です。


半世紀以上も生かして頂いている自分が言えるのは‥人生にはいろんな出来事(その時は幸不幸、辛い,楽しいと思える事)が、いっぺんにでは無く、ほどよく無理なく順番通りに現れるものだったと言えます。なぜなら‥自分があの世にいる時、神様にお願いして‥もしこの世に自分が生まれたら‥少しの幸せと多くの困難を自分に与えてください‥多くを経験し、それを乗り越えて自分の霊的借金を返し、願わくば徳を重ね‥今の魂のレベルを上げて‥もっと自由になり‥いつか必ず、神様と一つになります‥などと神様と自分自身に誓って、この世にやっと生まれてきたと思うからです。

そして視点を変えるとは‥それは水の流れ‥魂‥人生の生き方と同じようにも思えます。山から海へと‥勾配に任せて流れていく水の流れは‥途中に岩や木があり、否が応でも曲がらなければ流れることはできない‥それは自分が自ら変化して‥その流れに合わせて生きること。このことは,様々に変化していく人生に‥いろんな視点を変えて‥より良く行動し、乗り越えて生きていく事と同じだな‥と思います。


ご存じ、ピカソの『泣く女』
視点を変えることで、いろんな泣いている女性が一枚の絵に現れて見えます。


今日も一日、いろんな視点から多くの感謝の中で…ありがとうございます。