ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「袖振り合うも他生の縁」(街で出会った天使たち②)

2019年02月12日 18時00分00秒 | Weblog
新年、「ビエンホア」=’Bien Hoa’ の「ブゥ・ラング」='Buu Lang'の「ザーディン」='Gia Dinh' 親睦会での楽しいひと時の後、英語のできる「長男の息子」が、独身の「長女の息子」の家に泊れるように、アレンジしようとしてくれていたが、結局、「いろいろややこしいから」と「長女の息子」が難色を示したため、「ビエンホア」='Bien Hoa' に宿泊すること . . . 本文を読む

「テト」 = ’Tet' の 「墓参り」

2019年02月12日 03時26分53秒 | Weblog
「テト」='Tet' が近づいてきたころ、急に「Mis Vy」と「Mr. H」が、「テイネン」「テイネン」という言葉を交えて会話をするようになってきた。そして、私に対しても「テイネン」がどうだこうだ。と話しかけてくる。「60歳定年」の現実と向き合っている私は、その「テイネン」しか思い浮かばず、何かからかわれているような気分に陥っていた。が、それは「地名」だった。「ベトナムに対する知識不足」と「ベト . . . 本文を読む

「旅行者ビザ更新」で行ったり来たり

2019年01月29日 21時29分35秒 | Weblog
外国に行ったとき、道を尋ねて、「あっちへ行け」と言われていった方向に、目的の場所がなく、実は「反対の方向」だった、という話は、よく聞く話である。 そして、今回の話は、ここベトナム、ホーチミンで出くわした、最近の話である。 まず、日本の旅行代理店で、9月にいったん帰国した際に、10月にベトナムに再入国しようと、飛行機を手配したが、その時に、旅行者がいったん帰国した後に再入国する場合には、最低1か . . . 本文を読む

「袖振り合うも他生の縁」(「ザーディン」=’Gia Dinh' の親睦会)

2019年01月13日 23時39分09秒 | Weblog
 前稿の「ベトナム語の先生」から頂いた 400,000vnd.のお小遣いを財布の中に突っ込んで、ホーチミンでの2度目の正月を迎えた。年末と変わらず、ホテルのロビーを転々とし、携帯の充電をし、ネット検索の日々、時々、飲料水の無料サーバーで、ペットボトルの飲料水を補充、そして、相変わらず「一日一食」。日が暮れると、恐らく、若者たちの「デートスポット」となっている「オペラハウス」の前の階段に座 . . . 本文を読む

「袖振り合うも他生の縁」(街で出会った天使たち①)

2019年01月12日 18時25分30秒 | Weblog
標題のか「袖すり合うも多生の縁」という故事は、本来は、「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。」という意味である。 ただ、私のように、アジアの国々を流れ歩いていると、色々な人に出会うし、色々な話を聞きたいから、かなり懐に飛び込んでいくような接し方をするので、時々危険にさらされるやうな出来事にであったりするけれど、彼ら、現地の人々と、琴線 . . . 本文を読む

「ベトナム人のこころ」

2019年01月12日 12時14分08秒 | Weblog
日本の社会は、武家社会から近代、そして「経済的高度成長」を経て、1980年代後半から1990年代にかけて、皆が酔いしれた「バブル経済」を謳歌し、その崩壊を経て、「成熟社会」、「少子高齢社会」、そして「人口減少社会」へと推移している。 「高度成長時代」では、「若者」の「田舎」から「都会」へと移り住む、人口の都市集中が進み、田舎や、地方都市の過疎化が進展した。それと同時に「核家族化」が進展し、都市部 . . . 本文を読む

抱きつきスリ

2019年01月07日 15時30分48秒 | Weblog
以前、「海外渡航リスク」というテーマで記事を書いた記憶がある。あの頃はインドネシアの民族歌謡「ダンドゥット」='Dangdut' にはまっていて、そのなかの 1 曲に「サブサブ」='Sabu Sabu' というが題名の歌があった。最初は、現地で人気のある和食の「しゃぶしゃぶ」のことかと思っていたが、歌詞をよく聞いてみると、実は、麻薬の「シャブ」の歌だときづいて、ぞっとして、記事にしたと記憶している . . . 本文を読む

ホーチミンの道端の看板

2018年12月22日 00時59分58秒 | Weblog
海外に旅行するとき、いつも旅行先の国の「挨拶」と「数字」と「まっすぐ行け」という言葉を事前学習するように心がけている、ということを以前の記事に書いたと記憶する。 ただ、ベトナムの場合は、インドネシア在勤中に、1988年当時の同僚が、いったん帰国した後に、ホーチミン駐在員事務所の立ち上げのため、ベトナムに駐在され、少し体調を壊されていて、当時すでにインドネシアで製造販売されていた「大塚製薬」の「ポ . . . 本文を読む

空港で出会ったインドネシア人

2018年12月12日 10時24分38秒 | Weblog
ちょうど1か月ほど前、私は約1か月ほどの日本帰国を経て、再度、ベトナム、ホーチミンへと向けて出発するため、成田空港の出国ロビーの椅子に座っていた。ふと隣の青年を見ると、スマホをいじっていたので、覗いてみると、そこには「マレー語」/「インドネシア語」のページが開かれていた。おそらく「技能実習生か何かだろう」と思って、話しかけてみた。 「君は研修生?」「いや、元研修生。今は大工の仕事をしている。」「 . . . 本文を読む

国旗を掲げ、「ブブゼラ」 鳴らして爆走中

2018年12月03日 15時06分32秒 | Weblog
どうやら、FIFAワールドカップのアジア地区予選が始まったようである。連日、アセアン隣国同士の試合の様子が、テレビ中継され、レストランや喫茶店のテレビに人だかりができ、あちらこちらで歓声が沸き起こっている。 日頃「歩行者天国」となっている「グエン・フエ通りの広場」には、道路の内側の広場に、4~ 5 枚の巨大な「LEDパネル」が設置され、大掛かりな「パブリック・ビューイング」として場所が提供されて . . . 本文を読む