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『 私の人生 』と題して、私自身の事、両親や身近な偉人の事や、オススメの曲の紹介など書いたりしています。

私の人生 84

2020年04月09日 01時30分00秒 | 日記
2020年4月9日(木)

今日のブログは母に少し手伝ってもらいますm(._.)m

今週は受難週、今日は受難日です。
クリスチャンでない方は、お分かりになられないかと思いますが、イエス・キリストが 私たちの罪の為に十字架にかかられ、私たちの罪の身代わりとなられたのです。
そして、イースターは 十字架にかかられたイエス様が よみがえられた日の事です。
下記の説教は、北陸学院のチャペルで話された説教を ネットからコピーさせていただきました。
北陸学院は 松城幼稚園と深いつながりがありました。
優秀な卒業生を松城幼稚園に招きいれ、かなりハイレベルの幼稚園教育をしました。
私の姉の時代です。 先生方は、本当に皆、心優しく美しく優秀でした。

下記は ↓ コピーさせていただいた説教です。(長いので急いでる方はコピーの後から続きを読んでいただけると嬉しいです。)


イースターというのは、主イエス・キリストが十字架に掛かられて三日目によみがえられた日のことです。主イエス・キリストの復活日のことをプロテスタントの教会では、イースターといいます。

今朝はイースターの礼拝を、北陸学院の生徒の皆さんとご一緒に、北陸学院のチャペルで守ることができ、心から感謝致します。イースターという日は、喜びの日です。それは、イースターが、復活の希望という喜びによって、神様から与えられている愛の証しの日であるからです。
イースターは毎年違う日に祝われます。教会の暦では、イースターが毎年、違う日曜日になっているのです。それは、イースターが、春分の日を迎えてから最初の満月の日の次の日曜日、と定められているからです。ですから、春の芽生えや花のさく輝かしい季節がいつでもイースター、となるのです。命の息吹を感じるころに、復活日のイースターが毎年やってくるということになります。

私たちは、イエス様がなぜ死んで、よみがえられたのか、ということを考えさせられることと思います。よみがえられるのならば、はじめから死ななければいいのに、とか、死んでよみがえるのならば、十字架での無惨な死の意味がなくなるのではないか、などと考える人もいるでしょう。しかし復活にはちゃんとした意味があるのです。

十字架で無惨にも苦しまれたイエス様は、私たちの罪をすべて引き受けて、人間の汚れた罪をすべて背負って死んで下さったのです。しかし苦しみのなかにあってもそのあとには、復活の喜びが待っていました。復活の喜びをこの世にお与え下さったのです。

私たちが、死のような悲しみや苦しみにあっても、耐えられないような試練のときにあっても、必ずイエス様が復活される、イースターの復活の希望と喜びに生きることができるためです。

イースターのこの日、信仰者は、生まれ変わって新しいいのちに生きる恵みを与えられます。クリスチャンでないものも、世界中が喜びにあふれて新たな希望に生きることができるのがイースターです。だから、イースターは春にあるのです。

                                               

イースターのこと お分かりいただけましたでしょうか?

新約聖書 ルカによる福音書 23章34節に、
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」


このみ言葉は、私たちが罪を犯しても その罪の恐ろしさを理解せず、何をしてしまったかということすら分からず、平然と生きていく姿です。

今回の私への暴力も、100%否定してしまい、冷たい氷で固めてしまって 何事もなかったかのように平然と2年半以上も保育を続けています。
ご自分たちの犯した罪を決して認めていないのですから 謝罪される訳がありません。
「心から 申し訳ありませんでした」と謝罪され、責任を取って辞められたという報告を待っていた私が愚かでした。
暴力を振るっていないという嘘からスタートしているのですから、当然 教育委員会からの問い合わせにも嘘をつかれ、責任という言葉も関係ないということで、ほんのちょっとの良心が芽生え辞任したら 嘘がバレてしまいますよね。

一度嘘をつくと、次から次へと嘘を重ねなければなりません。
嘘をつきながら 純粋な子供たちに どのように キリスト教精神を教えておられるのでしょうか?
十字架上で おしゃったイエス様のお言葉を思うと 今の現実に 心が痛みます。



多くの方々が 私のブログを読んでくださっています。嬉しく 励まされます。
皆さんの温かいお心で 2年半以上もの長い間 嘘で固められた氷を溶かして、真実を分かって頂けることを願っています。

真実を見抜かれておられる方々の声で、いつの日か ご自分たちのしてきた罪を心から詫びる日が来ることを夢見ています。
神さまは すべてをご存知です。 必ず 裁かれることでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 23章25節に、
あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法とでいっぱいである。

と記されています。 受難週に教会で語れる説教に用いられる聖書箇所です。

今も昔も 偽善者はいるのですね。
偽善者は ほんの一握り、「少しでも人の役にたちたい、助けてあげたい、皆に笑顔を届けたい」そういう多くの方々が 日本を育てていると思います。 
私たちも そんな人になりたいと思います。