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かものはし通信

他是不有吾

他人のものを勝手に使う人々

2010-02-08 19:43:24 | 戯言
転勤で地方から東京に出てきて数年経つ。
前職場は当地または周辺地域出身者が大半であったが、今の職場は、東京・大阪の人間など大都市出身者と地方出身者が入り交じっている。

東京・大阪出身者に、ひとつの共通点がある。
一般的にそうなのか、それともうちの会社の東京人・大阪人が偶然そうなのかは分からぬが、彼らは他人のものを、持ち主に断りなく平気で使う。
特に傘。帰宅時に雨が降り出したときなど、傘立てにあるビニール傘を勝手に持ち帰ってししまう。
私は、たとえビニール傘であっても持ち主がちゃんといるわけで(実際その持ち主は、自分の傘だと分かるように印をつけていた)、自分のものではないのに黙って持ち出したりしないのが常識だとずっと思っていた。
ところが、東京に来て接した、東京人・大阪人は違うのだ。
昼食に外出するにしても、たまさか昼前に雨が降り出して自分が傘を持っていないと、傘立てにある他人のビニール傘を、誰にも断りなく使うのだ。しかもその後、ぬれた傘をきちんと乾かすこともなく、そのまま傘立てに戻してしらんぷりしている。

今日は、お客様からお借りした荷物の段ボール箱を、危うく勝手に使われそうになって、慌てて止めた。その箱でお客さまへ返却するために、ちゃんと保管していたのだが。

こういう例は枚挙にいとまがない。
つまり、使う前にこれを使っても良いかと周囲に声をかけて確認する、という頭が都会の人間には無いのか。それとも、ビニール傘や段ボール箱のようなものは「使い捨て品」であり、使い捨て品は誰がどうしようが勝手で、それに所有権を主張する方がおかしいと思っているのか。
大都市では地方の良識は通用せぬと、肝に銘じるべきなのか。いや、そうではなく、たまたまうちの会社にそんな人間が集まってしまっただけだと信じたい。

ダム経営について

2010-02-04 06:24:09 | 戯言
昨夜のセミナーで、松下幸之助氏が提唱される「ダム経営」が取り上げられた。

ダムに貯水していることで水不足になっても下流に水を供給し続けることができるように、会社の状態が良い間に内部留保をしっかり確保して経営危機に備えておくべし、という有名な経営理念だ。
ちょっと儲かったからと、すぐに投資に回したり、ボーナスでばらまいたり、飲み食いや不要不急品購入で贅沢をしたり、という経営は極めて危ないこと。おおざっぱで見栄っ張りな経営者がこういうことをやりがちで、会社を潰す典型事例であることなどを教わった。

我が社の経営が、まさにこの悪い例である。
景気が良いときに、「収益を税金で持っていかれるのは馬鹿らしいから。」「社員を喜ばせて会社の結束力を高めたい。」などのもっともらしい理由で、自社ビル購入、海外への社員旅行、毎年の旅館泊忘年会ではビンゴゲームで高価な商品をばらまき、社長は会社名義で外車購入。
我々社員も、景気が良い会社とはこういうものだと大きな勘違いをしており、備品や消耗品、嗜好品や雑誌など、何を買うにも経費を節約しようという気持ちがなく、「身の丈に合わせる」ことを忘れていた。いや、「身の丈」を見誤っていたというべきか。

あげく、この一年半で社員数は2/3に減り、4つの事業所は半分閉鎖、各種支払い滞納も発生し、給与遅配まで起きている。
ここから挽回して何とか持ち堪えられるか、それともこのまま消滅するか、分岐点に立つ今こそ、我々の真の心構えが問われている。

残念ながら、セミナーの先生は「あなたの会社の社長さん、その年齢ではまず考え方は変わりません。」とおっしゃった。
それはよくわかっている。今の社長の下では、会社は変わりようがない。
ではどうすべきか。
30人足らずの小さな会社である。主任に毛が生えた程度の立場の自分にでも、きっとできることがあるはずだ。

独りビアパブの難しさ

2010-01-31 11:16:25 | 戯言
昨日、休日出勤の帰りにビアパブへ寄った。
地ビール中心の店でエールビールが豊富なので、昨年末から何度か通っている。独りで入るのは3回目か。
ようやく気づいたのだが、ここはかなり人気がある店のようで、昨日(土曜)など17時半にはすでに満員、英国パブ風に樽をテーブルにして立ち飲みしているアングロサクソン系グループもおり、えらい賑わいであった。

お独りならカウンター席へどうぞ、というのは全く構わないのだが、この店のカウンター席はお独り常連さんが幅を利かせている。つまり、連れ無しで来店するけれど、カウンター席に座るとお互いなんとなく顔見知り(この店限定の)という方々。
この方々は一様に、まず互いに軽く挨拶を交わし、バースタッフと会話し(もちろんバースタッフからは「○○さん」と名前で呼ばれる)、ビールを一口味わっては評し、隣に座っている人間には何はともあれ話しかける、という習性をお持ちだ。
私の場合、ぬるいエールビールをゆっくり味わいながら静かに本を読みたい、という願望があるのだが、それをこのカウンター席でやると完全に浮いてしまう。ここでは会話をせずに黙って飲むのはルール違反なのかも、と思わずにはいられないほどの居心地の悪さである。
1時間ほどで店をあとにした時、かなりのストレスを感じている自分に気づいてしまった。

この店のビールも料理もとても気に入っていたのだが、残念ながら私の休息地にはなりえないようだ。
そもそも土曜に行くべきではなかったか。
いや、そもそも、あの方々こそビアパブでのあるべき姿で、そこで静かに本が読みたいなどと考えるべきではないのかもしれぬ。

リーダーとして必要な土台とは

2010-01-27 22:07:43 | 戯言
とあるコンサルティング会社が主催するセミナーに参加している。「経営基本講座」というセミナーである。
今現在経営者でも会社役員でもないが、経営の基本を学んでおきたいという思いから通い始めた。

本日のテーマはリーダーについて。
リーダーとして必要な人間の土台は、まず「徳」、そして「学び続ける姿勢」であるということだ。
「学び続ける姿勢」はそれなりに自信があるが、「徳」の方は少々辛い。
「徳」とはすなわち、自分以外の人のことを考えられる力である。
人間誰しも自分が一番かわいいものだ。
ともすれば自分本位になってしまう気持ちをコントロールし、利他の精神を培うこと。
道のりは長そうだが、まずは小さなことから始めたいと思う。

新聞について

2010-01-13 18:28:44 | 戯言
昨夜のNHKクローズアップ現代で、新聞の危機的状況が取り上げられていた。
合衆国ではほとんどの新聞社が経営難に直面し、相当数の新聞が廃刊に追い込まれているそうだ。
比較すると日本の新聞社は、広告収入より読者の購読料による収入の割合が高いため、まだ合衆国ほどの深刻な状況ではないが、それでも経営かかなり厳しくなっているらしい。
人々が新聞を読まなくなっているのだ。インターネットに接続できれば、ネットニュースが見られる。それで十分というわけだ。

確かに自分の周りでも、会社の同僚や後輩達で新聞を購読して毎日欠かさず読んでいるという人間が少ないと感じる。まともに新聞を読んでいるのは40代以上。20代、30代はほとんど全滅かもしれない。皆、「ニュースはネットで見るから。」と言う。

自分自身は、新聞のない生活など想像がつかない。
大学に入った最初の1年は間借りだったので、新聞がとれなかった。2年目にアパートに移ると、即座に購読を始めた。仕送りは十分でなく、家庭教師のアルバイトで生活費を補っていたが、新聞を購読しないという選択肢は全く思い浮かばなかった。
20年以上前の話だが、その当時は、一人暮らしであっても新聞を購読していた学生の割合はかなり高かった。もちろんインターネット普及以前の話であるが。
数年前家族と離れ単身赴任生活に入ったときは、さすがに新聞購読はせずにネットニュースで代用しようと考えたが、1ヶ月ももたなかった。気がつけば自宅と同じ全国紙の購読を始めていた。

なぜ、新聞はネットニュースでは代用できないのか。
まず、ネットニュースでは各記事の重みが分からないのである。
見出しはカテゴリ別で時系列に並んでいる。いくつかの記事がトピックとして別枠になっていても、ではその中で重要なニュースはどれなのかが分からない。並んでいる一定文字数に制限された見出しだけ見ても、記事の長さすら分からないのだ。
新聞は、割り付け、見出し文字の大きさ、記事の長さなどから、一目で各記事の重みを判別できる。(あくまで新聞社の価値判断ではあるが。)
また、ネットニュースでは記事を読むためには見出しをクリックする必要があるので、見出しで興味がそそられずにクリックしなければ、その記事は一文字すら目に入らないことになる。もしかしたら見出しの印象とは全く異なる内容かもしれない。しかしそれを知る術はない。
そして最大の違いは、クローズアップ現代でも話題になっていたが、新聞には事件報道以外に調査記事があるが、ネットニュースにはない、即ち社会の監視役を果たせないということだ。
政治の腐敗や企業の不正を時間と費用をかけて調査し、それを記事にして白日の下に晒す。それは購読料を収入源に持つ新聞という媒体だからこそできることであり、ネットニュースには望めないことである。

自分のように、ネットニュースが新聞の代用にはならないと感じている人間は、少なくないだろう。
新聞はこれからどうなっていくのだろうか。
どれほどインターネットが世を席巻しても、新聞だけは生き残ってほしいと切に願う。