以前描いた梅雨の季節の一枚。
葉脈と水滴、頑張っています。
蓮は泥より出でて泥に染まらず
という、私の好きな言葉がありますが、仏像の台座にもなっている蓮は、仏教において特別で神聖な花です。
泥水から生まれながらも、すくっと真っ直ぐに伸び、高貴な花を咲かせる蓮。
咲いた花は泥には染まらず、清浄に満ちています。
きれいな水ではなく、むしろ泥水の養分を吸ってこそ、大輪の花が咲く。
その姿から釈迦は、“泥(困難や悲しみ)があればこそ、そこから立ち上がったあとには清らかな大輪の花(人生)があるのだ”と説きました。
植物的に言えば、植物の葉は、気孔と呼ばれる空気や水分の出入り口を持っていますが、
ハスの生息地は沼地で、水に含まれた泥が、葉の気孔をふさいでしまう恐れがあります。
泥水のなかでも生息できるのは、ハスの葉が高い撥水性を備えているからで、これをロータス効果というそうです。
葉の表面に超微細な突起物があって、この突起物がクッションとなって水滴を支え、
さらにこの突起物の先には水に溶けにくいワックスがついていて、突起物の凹凸とワックス、この2つの相乗効果で、泥水が気孔に侵入するのを防ぎ、高い撥水性を実現しているそうです。
なんちゃって、さかなくんではなく、にわか葉っぱちゃんになったつる姫でぎょざいます。
絵を描くには、沢山の資料も必要で、何年も前には、南方の植物を描きたくて、わざわざ夢の島植物園に行ったことがありました。
心臓が悪いのがわかる少し前の事で、一眼レフを持って、いつでもどこにでも自由に動ける頃でした。
まあそんな時代もあったねえ、というところで、今は今できる範囲でやっています。
こころの旅はいつでもどこにでも、できますもの。
気持ち気力やる気元気の問題です。
先週は蓮ではなく睡蓮を描きましたが、
知らず知らず、二枚には水の妖精が描きこまれました。
蓮との違いは葉っぱでわかりますが、蓮は水面から高く伸びて咲き、睡蓮はほとんどが、水面に浮かぶように咲きます。
品種にもよるようですが、このように出ても水面からせいぜい10数センチだそう。
葉の上でコロコロ転がる水滴のように、いろんなことが、まあるく収まりがつくとよいですね。
雨脚が強くなってきました。
草花たちは、水をはじきながら咲いている事でしょう。
水滴を纏った草花の美しさ、そんな悠長な雨ではないかもしれませんが、どうしても出かけなければならない皆様、どうぞ足元にお気をつけて。
今日の言葉
Never to walk in anyone's shadows.
泥中の蓮とはちょっとニュアンスが違いますが。
内容に合う良い言葉が見つからなくって~~。
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫