明日は地元の友達の結婚式。
inお台場!!久しぶりの室内での宴会!楽しみ~。
寒さも埃もすきま風も気にせずに、心おきなく堪能させて頂きます!
日曜は、オフビかモトビか八瀬か、布団の中with頭痛&吐き気。
お台場(13号地)は、若い頃に通った場所のひとつ。
13号地が夜のドライブのゴール地点。
あの頃の13号地は、一面の原っぱにぽつぽつと資材置き場と倉庫。
どこでも、駐車オッケー!歩道が駐車場みたいな。
そして、高速道路と海底トンネル。
猛スピードで高速道路を走る車が海底トンネルに呑み込まれるのを
見るのが好きだった。行けば飽きずにずーっと眺めていた。
それが見たくて行っていた。
今でも見に行く事があるけれど、周りが賑やかになればなるほどに
海底トンネルは象徴的というか、さらに際立っていく様でいて
あの半径5~10mだけは大切な思い出の場所のひとつ。
これを読んだあなたも機会があったら、眺めてみてはいかがでしょうか。
きっと時間が経つのも忘れて、見惚れる事と思いますよ。
そして、かなりきます!
ちなみに、あれって走っている時はわかりずらいけど、けっこうな角度で
下っている。初めて見た時は、ちょっとビックリ!した記憶がある。
船の科学館から高速を挟んで反対側の公園(遊歩道?)では
覗き込んだ海で、波飛沫が岸壁に当たり怪しく光るのを見て
初めて海ホタルなる生物の存在を知った。
船の科学館の手前を左(海側)に曲がった大きな橋の上は
俺の中では東京の夜景の絶景ポイント。
なぜかいつも街灯が3つ切れていて、そこだけ余計な灯りが目に入らない。
東京タワーを始めとして素敵な夜景が大パノラマで見れた。
ここで、はじめて○○、ピッー、○○、ピィー、ピィー、を知った。
・・・。
当時は地元の田んぼ道を走っているかの様なガラガラぶりで、
あっという間に、一番奥の船の科学館まで行けたけど
今では車いっぱ~いで船の科学館に行くのも一苦労。
うるさいし。
あと、同じ埋立地では若洲。
バイクでクルクルをしに、けっこう通った。
ある時、クルクル中に転倒してカウルがプラプラに。
足の甲で上に持ち上げつつ、膝で車体に押さえつけるという繊細な技術を
駆使して、(途中、足をすり抜けてカウルが地面に接触する度にザッザーッと
無粋な音を立てるのが恥ずかしかったが)無事に家まで帰ったのを思い出す。
当時はただの原っぱの中の道で、ガードレールもなかった。
歩道と原っぱとの境界は、木の杭と針金とで仕切られているのみ。
それが良い感じで衝撃を緩和してくれて・・・。
あれでガードレールがあり、コンクリートの塀もあったら、今頃は・・・。
今では、その道は海浜公園へのメイン道路の一部になっている。
もちろん「おかげさまで・・・」の、木の杭も針金も今は無い。
inお台場!!久しぶりの室内での宴会!楽しみ~。
寒さも埃もすきま風も気にせずに、心おきなく堪能させて頂きます!
日曜は、オフビかモトビか八瀬か、布団の中with頭痛&吐き気。
お台場(13号地)は、若い頃に通った場所のひとつ。
13号地が夜のドライブのゴール地点。
あの頃の13号地は、一面の原っぱにぽつぽつと資材置き場と倉庫。
どこでも、駐車オッケー!歩道が駐車場みたいな。
そして、高速道路と海底トンネル。
猛スピードで高速道路を走る車が海底トンネルに呑み込まれるのを
見るのが好きだった。行けば飽きずにずーっと眺めていた。
それが見たくて行っていた。
今でも見に行く事があるけれど、周りが賑やかになればなるほどに
海底トンネルは象徴的というか、さらに際立っていく様でいて
あの半径5~10mだけは大切な思い出の場所のひとつ。
これを読んだあなたも機会があったら、眺めてみてはいかがでしょうか。
きっと時間が経つのも忘れて、見惚れる事と思いますよ。
そして、かなりきます!
ちなみに、あれって走っている時はわかりずらいけど、けっこうな角度で
下っている。初めて見た時は、ちょっとビックリ!した記憶がある。
船の科学館から高速を挟んで反対側の公園(遊歩道?)では
覗き込んだ海で、波飛沫が岸壁に当たり怪しく光るのを見て
初めて海ホタルなる生物の存在を知った。
船の科学館の手前を左(海側)に曲がった大きな橋の上は
俺の中では東京の夜景の絶景ポイント。
なぜかいつも街灯が3つ切れていて、そこだけ余計な灯りが目に入らない。
東京タワーを始めとして素敵な夜景が大パノラマで見れた。
ここで、はじめて○○、ピッー、○○、ピィー、ピィー、を知った。
・・・。
当時は地元の田んぼ道を走っているかの様なガラガラぶりで、
あっという間に、一番奥の船の科学館まで行けたけど
今では車いっぱ~いで船の科学館に行くのも一苦労。
うるさいし。
あと、同じ埋立地では若洲。
バイクでクルクルをしに、けっこう通った。
ある時、クルクル中に転倒してカウルがプラプラに。
足の甲で上に持ち上げつつ、膝で車体に押さえつけるという繊細な技術を
駆使して、(途中、足をすり抜けてカウルが地面に接触する度にザッザーッと
無粋な音を立てるのが恥ずかしかったが)無事に家まで帰ったのを思い出す。
当時はただの原っぱの中の道で、ガードレールもなかった。
歩道と原っぱとの境界は、木の杭と針金とで仕切られているのみ。
それが良い感じで衝撃を緩和してくれて・・・。
あれでガードレールがあり、コンクリートの塀もあったら、今頃は・・・。
今では、その道は海浜公園へのメイン道路の一部になっている。
もちろん「おかげさまで・・・」の、木の杭も針金も今は無い。