彩水のしずくー自分と向き合う

わたしは多発性硬化症です。体の症状などに対する自分の取り組みとその結果、自分と向き合うことで生まれるもの書いて行きます。

心に届いたまっすぐな想い6

2018-08-31 19:28:21 | 日記
また悩みの渦に巻き込まれそうになった。
でも、その時に急に自分の経験が頭をよぎった。

この病気になって1番症状が重かった時、、

手足不自由、全身麻痺、排尿障害で、食べることも話すこともできなかった。

この時、お父さんとお母さんの心の中はどんな気持ちだったんだろう?

辛そうにする祖母の顔を見ながら向き合おうとしている自分に、当時の両親の姿が鮮明に浮かんでいた。

母は、流動食を作って2.3時間かけて口に運んでくれたこと、排尿が難しくて何時間もトイレに座っている姿勢を支えてくれていたこと、いつも笑顔でわたしを元気付けてくれたこと、どんな時もそばにいてくれたこと、、、

父は毎日毎日、わたしの前に座って脳の情報をよんで、体調に対応し続けてくれたこと、どんなに体調が悪くなっても、大丈夫ってブレずにいてくれたこと、気落ちしているときは丁寧に話をしてくれたこと、、、

わたしがどんなに体調が悪くなっても、医師に命の危険があるなど、どんなことを言われても、わたしを信じ、わたし自身に向き合い続ける、両親の姿だった。

「あの時のわたしに寄り添うことって、今わたしが祖母に向かい合うよりも何倍も大変だっただろうな」って思った。

祖母がわたしにみせる辛そうな顔が、当時わたしが親に見せていた表情と似ていた。

辛い気持ちをわかってほしい、
この痛み、症状を何とかしてほしいって顔で見てくる。
相手から聞いた症状を、白紙の空間に順番に並べていく。
言葉の奥にある、相手が経験していること、感情を
一つずつ、その感覚を相手自身になるように想像して、想像したものを感じる。


お父さんとお母さんはこんな気持ちだったのかな?

このわたしに向き合い続けてくれている、両親の強さを感じた。
自分の全てを、わたし自身に向けてくれているんだって思った。

自分のどんな都合があっても、どんなに疲れていても、向き合い続ける。

症状っていう原因を持っている本人がそれと向き合うことから逃げようとしても、弱音を吐いても、本人の本当の力、想いを信じて、関わる。

症状と、自分の弱音と、本人の辛そうな想いを超えたところに意識を向けて、その自分を保ちながら、相手に寄り添って行く。

すごく強くて、ブレない心、関係性があるからできることだと思った。
ふわふわした心に、自分の意志、本当の想いで何があっても壊れないジブンって空間を持つ感覚。

自分の病気に対してやるのとまた違った、壁、大変さが身にしみて感じられた。

症状がひどい時は、「親は何もわからない、わたしにしかできないんだ」って強気になっている自分がいたが、
その思いも受け入れて、地球みたいに大きくて丸くて全体を包む力を持って関わってくれたんだって思った。



祖母に向き合うことで、当時のわたしに向きあってくれる親の感覚を少し実感した。

あの時の関わり方と今、祖母に対する関わりは、空間が同じようだった。
意識や向き合い方が同じところを向いているようだった。

耐えられなくなりそうになりながら、
諦めようかなという思いが頭をよぎる中自分の気持ちを確認しなおしてみた。
わたしはどんな現実になっても、それを受け入れて、全てに責任を持ちたい。
諦めることは逃げること。
自分の問題に向き合わないってこと。

祖母と命の交流をしたい。
両親が小6であの状態になったわたしに、向き合い続けてくれた、くれているように、
今度は受ける側ではなく、提供する側として、、
自分が経験したこと、受け取ったものを、わたしなりのカタチで祖母(向き合う相手)に循環させる。
自分を活かせると思った。


先日、父が誕生日だった。
ちょうど、祖母の体調が良くない時期で、わたしはそのことが意識に大きくある中で書いていた。

その時に何日か前から手紙を書いていたのだが、伝えたいことが記し切らなくて、気持ちという立体を、文という線に表しきれなくて、書くのをやめた。

その下書きが残っている。
あの時のわたしの気持ちの一片の記録だ。

ーーーー
お父さんへ。

お父さんいつもありがとう。
今日は誕生日だよね?

お父さん、小嶋敦の命を生きていてくれてありがとう。

お父さんには、いつも私のためにいろんなことをしてもらっているね。
日々実感します。

体調が不安定な私の体に対応してくれてありがとう。
病気を発病して約9年経つね。

わたしは体に対して自分で対応する様になったものの、まだ手に負えないところが多くあります。
お父さんは自分のことみたいに、調整してくれたり、マッサージをしてくれるね。

時には、わたしの自立のために「自分でやりなさい」って厳しくしてくれることもあるよね。

ありがとう。

体だけでなく、精神面にも向き合ってくれてありがとう。
最近私はモヤモヤしているね。(もう抜け出したよ)
自分で処理しきれなくて、ついついお父さんに当たっちゃうことがあります。

本当にごめんね。

そんなわたしにもお父さんは親身に前に進むための言葉をかけて、わたしが本当の自分に戻れるまで待ってくれるよね?

私がここから自分で抜け出せるように、色々と手を差し出してくれて、こんなわたしのことも信じてくれてありがとう。

最近、お父さんのすごいところを実感する日々が続いてるんだよ。
おばあちゃんが入院している時に頑張って向き合った自分がいました。
行くたびにできること探してやって、声をかけて、、、
あの時のわたしなりにできること探して一生懸命やったんだよ。
でも、届いているかもわからないし、良くするための正解を知っている人がいるわけでもないし、ただ自分を信じて向き合い続けることが大変だった。
どれだけ現実に振り回されず、自分を信じられるか問われました。

今回はばあばの調整をしに行く機会が増えているよね?
おばあちゃんの時に比べたら、調整をしているし、自分がしっかりしているから、相手に向き合えていると思います。

でも行って調整しても良くならないこと、辛そうな顔を向けられて終わることがあるの。

幸せのために、他に答えを求めずに起きることに振り回されず、自分を信じて、ただできることをやり続けるって大変だね。

ばあばの辛そうな顔見てると、ブレる自分がいたりします。
でも、そう言う時っていつもお父さんが浮かんで来るんだ。

お父さんは、わたしが何年か前に大変だった時に、どんな体調になっても向き合い続けてくれたよね。
お医者さんに命が危ないって言われても、わたしが一時的に変になっていても、それでも向き合い続けてくれるんだね。

それは今になっても。
調整しても良くならない、自分なりに一生懸命に向き合っても思い通りにならない。
まだ歩ける様にならない。精神面も安定していない。

こんな状況が続いても、ずーと自分やわたしを信じて向き合ってくれているんだよね。
精神力を感じてます。

お父さんは患者さんに対しても、わたしに対しても、家族に対しても、会う人みんなに対してこうやって向き合っているんだね。

少し前からお父さんに、相談を受ける場をもらったけど、相談を受けていても、どうやってその人に対応するか、全部考えるんだね。

向き合い方も、その人の人生、全部を含めて向き合っているんだね。

同じ様な立場に立ってどれだけ大きいことをやっているのか実感しました。
わたしはまだお父さんほどではないから、これ以上のことをやっているんだね

わたしは、お父さんからの人とか物事、問題に対する向き合い方などいろんなことを学ばせてもらっています。

ありがとう
ーーー

自分がこの病気になって、向き合い方とかから受け取ったものを、いろんな人に与えていきたい。

生き方、向き合い方で表現したいと改めて思った。

心に届いたまっすぐな想い5

2018-08-25 14:19:33 | 日記
どうしたらいいか、考えて考えて考えて、、
この時のわたしなりに一生懸命だった。

わたしが向き合うと祖母の体調が悪くなるのなら、そうだ!
行かないほうがいい。

祖母に向き合うのはを諦めよう。
お父さんが向き合ってくれるよね?
わたしが関わると、ろくなことは起きない。
って思った。。。

わたしは、数日、このことで頭がいっぱいで、動けなくなっていた。
精神的にうつ状態で、毎日泣いてばかり(T ^ T)

いやだ〜〜
いやだ〜〜

って自分で自分に言い続けた。
自分の中に気持ちがこもっていた。

暗闇の中に自分でこもっている感覚だった。
真っ暗な中、変化を生み出せずにひとりでいた。

暗闇にいるんだけど、祖母のことが頭から離れなかった。
会っていないから、余計心配になっていた。

朝起きると、「今日は大丈夫かな?」
様子を確認していないからこそ出てくるものだった。
父が仕事に行っている時間は、父が祖母に向き合えない時間。
わたしが行かなければ、その時間、祖母を放っておくことになっちゃう。

身内の人だから、こんなに心配が治らないのかな〜


わたしは変化を生み出したかった。

祖母に会いにいくと、祖母の体調が悪くなるかもしれない。これは怖い。

でも、行かないのは、わたしがみる現実で起こる問題を無視して逃げていることになる。心配で感情に押さえつけられることになる。

もう!どっちを選べばいいか分からないよー(T ^ T)

行く選択と、行かない選択がお互いに大きくなったり小さくなったり……

その感情の戦いを、眺めるのではなく、一緒になって振り回されていた。

どうしよう…
悩みに悩んだ時、頭に浮かんできたことがあった。

それは、祖母の気持ち。
相手の立場に立つことをすっかり忘れている自分がいた。

祖母ジシンの問題なのに、わたし個人の悩みに変わってしまっていたのだ。

あ!って思い出した時、光が見えたようだった。
悩みの渦から抜け出したように感じた。


行くことは信じられないくらい緊張した。
でも祖母の家まで歩く歩行速度が、いつも以上に早かった。

歩けない体なのに、杖を使って走っているようだった。

祖母の家に着いた。
メンタルを落ち着つかせて、祖母と会った。
急に話すのも気が引けたので、まずはいつもと同じように様子を聞いた。

まだ痛いのは取れないけど、よくなっているよー

この一言を聞いて、それまでのわたしの心配で固くなっていた心が、和らいだ。
力が抜けた。

祖母と時間を過ごした。
時間が経つにつれ、祖母の気持ちをいつ聞こうって思いが強くなっていた。
でも、恥ずかしいし、タイミングがわからず、時間は私の心を無視するように過ぎていく…

その時に、何気ない祖母からの一言があった。

「彩水ちゃんに来てもらって、こうやって話ができるの、すごく楽しいよ
会えるだけで嬉しいよ」

なぜ祖母がこの言葉を急に発したのかはわからないが、私が求めている答えだった。

祖母は私に会いたいんだ、嬉しかった。

でも、嬉しさとともに、次のお題が…

心の中に「でも…」って声が聞こえた。

私が向き合うと、症状が悪化する可能性があるんだよ。無力なことを実感したのに、また向き合うことで祖母を悪くしないかな?
心配になっていた。

自分が無力なことと、さっき聞いた祖母が求めていることが並んでいた。
できることなら、求めていることに応えたいけど、そこまでできる自分ではない…

どうしよう……
また悩みの渦に巻き込まれそうになった。
でも、その時に急に自分の経験が頭をよぎった。

心に届いたまっすぐな想い4

2018-08-24 15:46:41 | 日記
脳の情報を読み、それに応えていきつづけた。

目の前の相手の症状に対応しているだけでなく、
相手の人生、生活、交友関係など全て含めたその人ジシンを自分の前においた。
本来からのズレを教えるサインである症状を入り口とし、
本当に求めていることに応えている感覚だった。


1日目、2日目、、、5日目、、

日に日につながりが深くなっていった。

今日はこんなこと話してくれた!
今日はマッサージしたら、すごく気持ち良さそうだった。
すごい笑っていた^ ^

こうやって、わたしの中に祖母との関わりの輪が積み重なっていくようだった。

自分から向き合う覚悟を持つと決めたことで、より深く濃密な空間になっていくようで嬉しかった。
自分が起こしたひとつの行動が、空間を創り上げていくようだった。

覚悟を決めてから2.3日して、、、
わたしはある異変に気付いていた。

あれ?って思った。

今日の様子は?って聞くと
「なんか昨日よりも痛みがひどくなってるの。昨日は痛みが軽かったのに今日は痛くてダメ。」

体調不良を訴えるようになっていた。
???
どういうこと?

少し混乱した。
悪くなってるの?

混乱している自分の思考から少し引いて、今起きていることを感じてみた。

自分の体調変化に置き換えてみよう!と思った。
わたしの体調も日によってコロコロ変わる。
よくなったり悪くなったりの繰り返しをしている。
それをしながら、長い目で見ると、徐々に良くなっていっていく傾向にある。

「そっか、日によって悪くなることはあるんだよね。
多分一時的なものだよね?」

少し不安になりながらも、それを覆うように自分に言い聞かせた。
きっと大丈夫と思いながら。

人の体調だから、自分のことよりも不安や心配が大きかった。

次の日になって、また行ってみた。
様子を聞くと…

もっと悪くなってる…。?

その次の日も、その次の日も、、、
だんだんと体調が悪くなっているみたいだった。
少し心配になりながらも、わたしは祖母ジシンと向き合い続けた。

向き合いながら、祖母の体調が悪くなっていく。

向き合い方が深くなればそのぶん深いところにアプローチするのだから、よくなるはずなのに、なんで悪くなってるよ?

自分の行いと、それによって起こることのつじつまが合わなくて、訳分からなくなっていた。

でも、やるだけやろう
わたしは5日ほどやり続けた。
噛み合わない現実の流れを変え、また展開していけるように。

1日1日向き合うと悪くなる、向き合うと悪くなる……

正直、祖母に会うのが辛くなっていた。
自分が意識していることと逆のことが無意識によって起こっているようで、自分で作り出してしまっているようで嫌だった。
祖母が苦しそうな姿を見るのが耐えられなくなっていた。

5日ほどして、わたしの気持ちはどん底にいた。

わたしのせいで苦しんでいるんだよ?
わたしが向き合ったから、体調が悪くなっちゃったんだよ?

何度も何度も自分に言った。

自分にはできないんだって思った。
変化を出せないならまだしも、悪い結果を生み出す。
それも自分だけに起こる辛さではなく、祖母に辛い現象を起こしている。

わたしが行動したらみんな辛くなっちゃうのかな?

自分の思考がどんどんマイナスな方向に展開していった。

心に届いたまっすぐな思い3

2018-08-23 12:39:10 | 日記
それからわたしは毎日、祖母の家に行き続けた。

先日の話でわたしの意識が伝わったからなのか、なんだか祖母との「ヒトとしての距離感」が、縮まっているように感じていた。

朝、昼、晩に様子をみにいく。
父が仕事中で留守にしている昼と夜は、わたしが祖母と向き合う時間。

話をして距離感が縮まったからか、父の指示を行う姿勢も変わってきたように感じる。

言われたことをただ機械的にやるのではなく、
わたしの存在と祖母とつながり合う入り口にしている感じだった。

指示をやりにいく時間ではなく、祖母とつながりにいく時間。

日に日に、つながりが深まって行っているような気がしていた。
距離感が縮まっているのを感じていた。

感じながら、あることがわたしの心に浮かんでいた。

それは、祖母の脳の情報を読むこと。
脳の情報を読むことは、病気になってから身につけたことだ。
自分の体調が悪い時は脳の情報を読んで、ジブンの求めていることに応えていく。
それにより、体調が改善することがある。

脳の情報は、相手とのつながりが深くなることで、より鮮明に読みやすくなる。
つながりが浅いと深い情報が読めなくなる。

今のわたしと祖母の関係でならできるかも?

思い立ったことはやってみよぅ^ ^

祖母が求めていることを聴いていった。
寄り添うように相手の立場に立ちながら…

そして、読んだ情報に応えてみた。
一個ずつ丁寧に、想いながら…

わたしジシンとして相手に向き合うことで、祖母の本当の姿の鏡になり、彼女ジシン思い出してもらえる。

1時間、いや2時間以上、祖母の存在というところに寄り添っていた。
祖母も、やっているこちらも、なんだか気持ちが良かった。

つながりの深さが濃密になっていっているようだった。
真剣にかつ、やんわりと向き合う時間だった。

時間の流れがゆっくりに感じた。
1秒1秒、わたしと祖母の時間が刻まれているようだった。
本気で向き合っているから、時間がゆっくりに感じられるような気がした。
1秒にかける想いが、その分ふかく大きかった。