また悩みの渦に巻き込まれそうになった。
でも、その時に急に自分の経験が頭をよぎった。
この病気になって1番症状が重かった時、、
手足不自由、全身麻痺、排尿障害で、食べることも話すこともできなかった。
この時、お父さんとお母さんの心の中はどんな気持ちだったんだろう?
辛そうにする祖母の顔を見ながら向き合おうとしている自分に、当時の両親の姿が鮮明に浮かんでいた。
母は、流動食を作って2.3時間かけて口に運んでくれたこと、排尿が難しくて何時間もトイレに座っている姿勢を支えてくれていたこと、いつも笑顔でわたしを元気付けてくれたこと、どんな時もそばにいてくれたこと、、、
父は毎日毎日、わたしの前に座って脳の情報をよんで、体調に対応し続けてくれたこと、どんなに体調が悪くなっても、大丈夫ってブレずにいてくれたこと、気落ちしているときは丁寧に話をしてくれたこと、、、
わたしがどんなに体調が悪くなっても、医師に命の危険があるなど、どんなことを言われても、わたしを信じ、わたし自身に向き合い続ける、両親の姿だった。
「あの時のわたしに寄り添うことって、今わたしが祖母に向かい合うよりも何倍も大変だっただろうな」って思った。
祖母がわたしにみせる辛そうな顔が、当時わたしが親に見せていた表情と似ていた。
辛い気持ちをわかってほしい、
この痛み、症状を何とかしてほしいって顔で見てくる。
相手から聞いた症状を、白紙の空間に順番に並べていく。
言葉の奥にある、相手が経験していること、感情を
一つずつ、その感覚を相手自身になるように想像して、想像したものを感じる。
お父さんとお母さんはこんな気持ちだったのかな?
このわたしに向き合い続けてくれている、両親の強さを感じた。
自分の全てを、わたし自身に向けてくれているんだって思った。
自分のどんな都合があっても、どんなに疲れていても、向き合い続ける。
症状っていう原因を持っている本人がそれと向き合うことから逃げようとしても、弱音を吐いても、本人の本当の力、想いを信じて、関わる。
症状と、自分の弱音と、本人の辛そうな想いを超えたところに意識を向けて、その自分を保ちながら、相手に寄り添って行く。
すごく強くて、ブレない心、関係性があるからできることだと思った。
ふわふわした心に、自分の意志、本当の想いで何があっても壊れないジブンって空間を持つ感覚。
自分の病気に対してやるのとまた違った、壁、大変さが身にしみて感じられた。
症状がひどい時は、「親は何もわからない、わたしにしかできないんだ」って強気になっている自分がいたが、
その思いも受け入れて、地球みたいに大きくて丸くて全体を包む力を持って関わってくれたんだって思った。
祖母に向き合うことで、当時のわたしに向きあってくれる親の感覚を少し実感した。
あの時の関わり方と今、祖母に対する関わりは、空間が同じようだった。
意識や向き合い方が同じところを向いているようだった。
耐えられなくなりそうになりながら、
諦めようかなという思いが頭をよぎる中自分の気持ちを確認しなおしてみた。
わたしはどんな現実になっても、それを受け入れて、全てに責任を持ちたい。
諦めることは逃げること。
自分の問題に向き合わないってこと。
祖母と命の交流をしたい。
両親が小6であの状態になったわたしに、向き合い続けてくれた、くれているように、
今度は受ける側ではなく、提供する側として、、
自分が経験したこと、受け取ったものを、わたしなりのカタチで祖母(向き合う相手)に循環させる。
自分を活かせると思った。
先日、父が誕生日だった。
ちょうど、祖母の体調が良くない時期で、わたしはそのことが意識に大きくある中で書いていた。
その時に何日か前から手紙を書いていたのだが、伝えたいことが記し切らなくて、気持ちという立体を、文という線に表しきれなくて、書くのをやめた。
その下書きが残っている。
あの時のわたしの気持ちの一片の記録だ。
ーーーー
お父さんへ。
お父さんいつもありがとう。
今日は誕生日だよね?
お父さん、小嶋敦の命を生きていてくれてありがとう。
お父さんには、いつも私のためにいろんなことをしてもらっているね。
日々実感します。
体調が不安定な私の体に対応してくれてありがとう。
病気を発病して約9年経つね。
わたしは体に対して自分で対応する様になったものの、まだ手に負えないところが多くあります。
お父さんは自分のことみたいに、調整してくれたり、マッサージをしてくれるね。
時には、わたしの自立のために「自分でやりなさい」って厳しくしてくれることもあるよね。
ありがとう。
体だけでなく、精神面にも向き合ってくれてありがとう。
最近私はモヤモヤしているね。(もう抜け出したよ)
自分で処理しきれなくて、ついついお父さんに当たっちゃうことがあります。
本当にごめんね。
そんなわたしにもお父さんは親身に前に進むための言葉をかけて、わたしが本当の自分に戻れるまで待ってくれるよね?
私がここから自分で抜け出せるように、色々と手を差し出してくれて、こんなわたしのことも信じてくれてありがとう。
最近、お父さんのすごいところを実感する日々が続いてるんだよ。
おばあちゃんが入院している時に頑張って向き合った自分がいました。
行くたびにできること探してやって、声をかけて、、、
あの時のわたしなりにできること探して一生懸命やったんだよ。
でも、届いているかもわからないし、良くするための正解を知っている人がいるわけでもないし、ただ自分を信じて向き合い続けることが大変だった。
どれだけ現実に振り回されず、自分を信じられるか問われました。
今回はばあばの調整をしに行く機会が増えているよね?
おばあちゃんの時に比べたら、調整をしているし、自分がしっかりしているから、相手に向き合えていると思います。
でも行って調整しても良くならないこと、辛そうな顔を向けられて終わることがあるの。
幸せのために、他に答えを求めずに起きることに振り回されず、自分を信じて、ただできることをやり続けるって大変だね。
ばあばの辛そうな顔見てると、ブレる自分がいたりします。
でも、そう言う時っていつもお父さんが浮かんで来るんだ。
お父さんは、わたしが何年か前に大変だった時に、どんな体調になっても向き合い続けてくれたよね。
お医者さんに命が危ないって言われても、わたしが一時的に変になっていても、それでも向き合い続けてくれるんだね。
それは今になっても。
調整しても良くならない、自分なりに一生懸命に向き合っても思い通りにならない。
まだ歩ける様にならない。精神面も安定していない。
こんな状況が続いても、ずーと自分やわたしを信じて向き合ってくれているんだよね。
精神力を感じてます。
お父さんは患者さんに対しても、わたしに対しても、家族に対しても、会う人みんなに対してこうやって向き合っているんだね。
少し前からお父さんに、相談を受ける場をもらったけど、相談を受けていても、どうやってその人に対応するか、全部考えるんだね。
向き合い方も、その人の人生、全部を含めて向き合っているんだね。
同じ様な立場に立ってどれだけ大きいことをやっているのか実感しました。
わたしはまだお父さんほどではないから、これ以上のことをやっているんだね
わたしは、お父さんからの人とか物事、問題に対する向き合い方などいろんなことを学ばせてもらっています。
ありがとう
ーーー
自分がこの病気になって、向き合い方とかから受け取ったものを、いろんな人に与えていきたい。
生き方、向き合い方で表現したいと改めて思った。
でも、その時に急に自分の経験が頭をよぎった。
この病気になって1番症状が重かった時、、
手足不自由、全身麻痺、排尿障害で、食べることも話すこともできなかった。
この時、お父さんとお母さんの心の中はどんな気持ちだったんだろう?
辛そうにする祖母の顔を見ながら向き合おうとしている自分に、当時の両親の姿が鮮明に浮かんでいた。
母は、流動食を作って2.3時間かけて口に運んでくれたこと、排尿が難しくて何時間もトイレに座っている姿勢を支えてくれていたこと、いつも笑顔でわたしを元気付けてくれたこと、どんな時もそばにいてくれたこと、、、
父は毎日毎日、わたしの前に座って脳の情報をよんで、体調に対応し続けてくれたこと、どんなに体調が悪くなっても、大丈夫ってブレずにいてくれたこと、気落ちしているときは丁寧に話をしてくれたこと、、、
わたしがどんなに体調が悪くなっても、医師に命の危険があるなど、どんなことを言われても、わたしを信じ、わたし自身に向き合い続ける、両親の姿だった。
「あの時のわたしに寄り添うことって、今わたしが祖母に向かい合うよりも何倍も大変だっただろうな」って思った。
祖母がわたしにみせる辛そうな顔が、当時わたしが親に見せていた表情と似ていた。
辛い気持ちをわかってほしい、
この痛み、症状を何とかしてほしいって顔で見てくる。
相手から聞いた症状を、白紙の空間に順番に並べていく。
言葉の奥にある、相手が経験していること、感情を
一つずつ、その感覚を相手自身になるように想像して、想像したものを感じる。
お父さんとお母さんはこんな気持ちだったのかな?
このわたしに向き合い続けてくれている、両親の強さを感じた。
自分の全てを、わたし自身に向けてくれているんだって思った。
自分のどんな都合があっても、どんなに疲れていても、向き合い続ける。
症状っていう原因を持っている本人がそれと向き合うことから逃げようとしても、弱音を吐いても、本人の本当の力、想いを信じて、関わる。
症状と、自分の弱音と、本人の辛そうな想いを超えたところに意識を向けて、その自分を保ちながら、相手に寄り添って行く。
すごく強くて、ブレない心、関係性があるからできることだと思った。
ふわふわした心に、自分の意志、本当の想いで何があっても壊れないジブンって空間を持つ感覚。
自分の病気に対してやるのとまた違った、壁、大変さが身にしみて感じられた。
症状がひどい時は、「親は何もわからない、わたしにしかできないんだ」って強気になっている自分がいたが、
その思いも受け入れて、地球みたいに大きくて丸くて全体を包む力を持って関わってくれたんだって思った。
祖母に向き合うことで、当時のわたしに向きあってくれる親の感覚を少し実感した。
あの時の関わり方と今、祖母に対する関わりは、空間が同じようだった。
意識や向き合い方が同じところを向いているようだった。
耐えられなくなりそうになりながら、
諦めようかなという思いが頭をよぎる中自分の気持ちを確認しなおしてみた。
わたしはどんな現実になっても、それを受け入れて、全てに責任を持ちたい。
諦めることは逃げること。
自分の問題に向き合わないってこと。
祖母と命の交流をしたい。
両親が小6であの状態になったわたしに、向き合い続けてくれた、くれているように、
今度は受ける側ではなく、提供する側として、、
自分が経験したこと、受け取ったものを、わたしなりのカタチで祖母(向き合う相手)に循環させる。
自分を活かせると思った。
先日、父が誕生日だった。
ちょうど、祖母の体調が良くない時期で、わたしはそのことが意識に大きくある中で書いていた。
その時に何日か前から手紙を書いていたのだが、伝えたいことが記し切らなくて、気持ちという立体を、文という線に表しきれなくて、書くのをやめた。
その下書きが残っている。
あの時のわたしの気持ちの一片の記録だ。
ーーーー
お父さんへ。
お父さんいつもありがとう。
今日は誕生日だよね?
お父さん、小嶋敦の命を生きていてくれてありがとう。
お父さんには、いつも私のためにいろんなことをしてもらっているね。
日々実感します。
体調が不安定な私の体に対応してくれてありがとう。
病気を発病して約9年経つね。
わたしは体に対して自分で対応する様になったものの、まだ手に負えないところが多くあります。
お父さんは自分のことみたいに、調整してくれたり、マッサージをしてくれるね。
時には、わたしの自立のために「自分でやりなさい」って厳しくしてくれることもあるよね。
ありがとう。
体だけでなく、精神面にも向き合ってくれてありがとう。
最近私はモヤモヤしているね。(もう抜け出したよ)
自分で処理しきれなくて、ついついお父さんに当たっちゃうことがあります。
本当にごめんね。
そんなわたしにもお父さんは親身に前に進むための言葉をかけて、わたしが本当の自分に戻れるまで待ってくれるよね?
私がここから自分で抜け出せるように、色々と手を差し出してくれて、こんなわたしのことも信じてくれてありがとう。
最近、お父さんのすごいところを実感する日々が続いてるんだよ。
おばあちゃんが入院している時に頑張って向き合った自分がいました。
行くたびにできること探してやって、声をかけて、、、
あの時のわたしなりにできること探して一生懸命やったんだよ。
でも、届いているかもわからないし、良くするための正解を知っている人がいるわけでもないし、ただ自分を信じて向き合い続けることが大変だった。
どれだけ現実に振り回されず、自分を信じられるか問われました。
今回はばあばの調整をしに行く機会が増えているよね?
おばあちゃんの時に比べたら、調整をしているし、自分がしっかりしているから、相手に向き合えていると思います。
でも行って調整しても良くならないこと、辛そうな顔を向けられて終わることがあるの。
幸せのために、他に答えを求めずに起きることに振り回されず、自分を信じて、ただできることをやり続けるって大変だね。
ばあばの辛そうな顔見てると、ブレる自分がいたりします。
でも、そう言う時っていつもお父さんが浮かんで来るんだ。
お父さんは、わたしが何年か前に大変だった時に、どんな体調になっても向き合い続けてくれたよね。
お医者さんに命が危ないって言われても、わたしが一時的に変になっていても、それでも向き合い続けてくれるんだね。
それは今になっても。
調整しても良くならない、自分なりに一生懸命に向き合っても思い通りにならない。
まだ歩ける様にならない。精神面も安定していない。
こんな状況が続いても、ずーと自分やわたしを信じて向き合ってくれているんだよね。
精神力を感じてます。
お父さんは患者さんに対しても、わたしに対しても、家族に対しても、会う人みんなに対してこうやって向き合っているんだね。
少し前からお父さんに、相談を受ける場をもらったけど、相談を受けていても、どうやってその人に対応するか、全部考えるんだね。
向き合い方も、その人の人生、全部を含めて向き合っているんだね。
同じ様な立場に立ってどれだけ大きいことをやっているのか実感しました。
わたしはまだお父さんほどではないから、これ以上のことをやっているんだね
わたしは、お父さんからの人とか物事、問題に対する向き合い方などいろんなことを学ばせてもらっています。
ありがとう
ーーー
自分がこの病気になって、向き合い方とかから受け取ったものを、いろんな人に与えていきたい。
生き方、向き合い方で表現したいと改めて思った。