彩水のしずくー自分と向き合う

わたしは多発性硬化症です。体の症状などに対する自分の取り組みとその結果、自分と向き合うことで生まれるもの書いて行きます。

手作りブランマンジェのお味は…?

2017-10-31 20:12:48 | 日記
今日は、料理を作った。
料理教室でやった料理を、再度自分で作れるか、試したのだ。(宿題でした📖)

午前中は、散歩に行ったり、お風呂はいったり…
呑気に過ごしていた。

お昼を食べてから、料理作りを始めた。

まず買い物からだ。
母に付き添ってもらい、料理教室の時にもらった、レシピを見ながら、材料を一つずつ買っていった。

わたしは6人家族だ。
人数が多い上、明日の妹たちのお弁当のことも考えなくてはならない。
せっかくだから、お弁当にも使えたらということで。
レシピに書いてある8人分の2倍の分量(16人分)で作った。

メニューは、けんちん汁とひじき、胡麻和え、そして、ブランマンジェだ。

買い物して、家に帰り、作り始めた。
まずは材料を切るところから。
人参、じゃがいも、大根、こんにゃくなど一つずつ切っていく。
料理教室の時も、ほぼ同じものを切ったが、一人(母も付き添い)でやると、また違う感覚だった。
材料を切って、炒めて、和えて、、

一つ一つの動作にわたしを溶かすイメージでやってみた。
丁寧に(慎重に)自分の心を込めて、作った。
自分が作るからできていく、この料理。

美味しくなってほしいなって思いながら、
家族みんなが笑顔になってほしいなって思いながら作った。
最初は自分だけでできるのかなって心配に思いながら作っていたけど、気づいたら、自分の世界に入って、すごく夢中になって作っていた。

途中で、足が疲れた。
料理をしている最中は、立っていることがほとんどだ。
手を止めずにずっと回していなければならなかったりするので、手に頼って立っていることができない時間も多々あった。

でも、その疲れ以上に、すごく楽しかった。
なんていうか、自分で何かを作っていけるのが嬉しかった。
野菜を切る音、炒める音がしたり、
火を使ったからか、その場が温まってきたり、
材料としてのそれぞれの色から、料理が作り終わった時には、その材料一つ一つが生きて、色彩になっていたり、
徐々にいい香りがしてきたり、
時には味見をして、調味料を少しずつ入れていったり。。

こうやって、自分の体の五感を使って料理をしたような気がした。
自分なりに感じることで、出来上がっていくものなんだって思った。

料理一つに、作った人が表現されるような気がした。

戸惑ったり、わたしにできないことは、母に手伝ってもらい、時には妹に聞き、、、

ご飯は完成した。
最後にデザートを作るか、迷ったが、せっかくだから、作ろうと思った。
ここまで、失敗なく順調だったから、わたしには料理作れるもんって気分で得意気にやっていた。

料理教室ではブランマンジェを作らなかったので、始めてやった。
豆乳入れて、きび砂糖入れて、、
レシピ通りに、入れるもの入れてから、火を入れた。
火を入れながら混ぜて、、、
わたしは途中でよそ見をした。
何をしたか覚えてないけど、とりあえず、気を抜いた。

そうしたら、急に、ジュワーって吹き上げる音がした。
びっくりしたー( ; ; )

火を入れすぎたようで、噴き上げてしまったのだ。
パニックになりながらり母に対応してもらった。
あたりに溢れてしまって、汚れちゃったけど…とりあえず、どうにかなった。

よかったーと思って、冷やして固める前のものを味見した。
わたしの中では、ツナグごはんで作ってもらうような美味しいものってイメージで舐めたのだが、
一瞬でガッカリした。
火を入れすぎたせいで、焦げてしまって、苦い。
甘いものなのに、苦味があって、食べる気がしない( ; ; )

今、冷蔵しているが、家族みんなに食べさせられないような味になっちゃった汗

最後の最後に失敗して、ちょっとガッカリしたけど、できたことに目を向けよう。

約3時間かけて作った。
出来てから、妹と母と食べた。

味は、自信がない(・_・;
料理教室で作った時の方が美味しかったかもしれないけど……
でも、わたしの気持ちは十分に入ってると思う。

食べてくれた二人も、美味しいって言ってくれた。

味は初心者料理みたいになっちゃったかもしれないけど、
わたしなりの味が出せたのかな?^_^

次にやるときは、もっと気持ちを入れて、もっと味以上の何かを表現したいと思った。

次回も頑張ります!

生心(せいしん)は、自分の命

2017-10-30 16:29:55 | 日記
今日は、朝からちょっと落ち目だった。
体調も気分もあまり優れていない…

心臓のあたりがモヤモヤして、押さえつけていたい感覚で、呼吸になんか違和感がある。
これは、6月の体調悪化の時にでた症状の一つだ。

どうしよう。
また症状が出てきちゃうのかな
怖いよ

そんな気持ちに襲われている感じになっていた。

体調があまり良くないと、精神的に落ち込む。
どうしようって気持ちはあるけど、その前に、言葉にはならない焦りとか、憂鬱感とかがわたしを囲んでくる。

精神的にもダメになっていたので、
そういう時は…とりあえず寝る!
と思って、寝た。

睡眠をとったら、寝る前よりも心臓のあたりのムズムズ感が少し緩和された。
症状が少しでも軽くなると、精神的にも落ち着く。

さっきはイライラしてたなとか、症状のみに意識が向いてどうしたらいいかわからなくなっちゃうんだなとか

そんなこと思った。

呼吸が苦しくなると、それと比例するように焦り、憂鬱感などがでてくる。
逆に、精神面が落ち着いていると、呼吸をゆっくり穏やかにしているような気がする。

深呼吸もその一つ。
深呼吸すると、気持ちが落ち着いたり、気分のリセットになる。

逆に焦っていると自然と心拍するが高まっている。

息は自分の心。
「息」という漢字は、「自」と「心」でできている。
自らの心が息なのだ。
息をすることは、この世界で人として生きていく上で、必要なこと。

肉体を持っている人間にとって、息は命ということだ。

「息は自らの心。
そして、息は人間の命を維持しているもの。」

そう思った。ということは、

「自らの心は、人間としての命」
を決めているのかな?

自分の精神面が、人間としての自分の命のあり方を決めているような気がした。

自分の心が生きることで、自分の命も生きる。

精神=生心(心を生かすこと)

生心って言葉、勝手に作ったけど、こういうことなのかもしれない。

精神(生心)は、命なんだって思った。
自分の心が命を決めている。
そして、自分の命のあり方を決めているものだ。


自分の心、命を活かして生きたら、今出てるこのようなサインも出ないはず。

心を生かして、自分の命を生きて生きたいと思った。

自分をみるために

2017-10-29 17:44:43 | 日記


なんで、歯医者に行くのって怖がるのかな
わたしは父が歯科医師だから、歯医者に自分から行くという感覚がわからない。
でも、「歯医者に行くのは嫌い、怖い」こんな声を聞く事が多い。
こう思っている人が多いのかな?
たぶん、ほとんどの人が一般の歯医者に行くのは嫌いなのだと思う。

でも、なんで、歯医者さんに行くのが嫌なんだろう?
ふと、こう思った。
ほとんどが嫌だっていうのなら、
痛いからとかそういう理由よりも、もっと深い意味があるような気がした。

わたしの父の医院は治療法が様々なので、また別のものとして^^;


歯の治療といえば口?
口の中を綺麗にしてもらったりする。
でも、自分の口って何だろう。

あっ、口は、体の中で唯一、自分の思考で動かせるものだ。
そして、口の中が、視覚で見れる場所だって思った。

手の中とか、お腹の中は、みようとしても見れないもの。
そして、思考でそこの体内を動かす事が、不可能と思えるところだ。


口の中だけ、目で見れて思考で動かせるところなんだって思った。
口ってすごいところなんだなって感じた。

なんだか、自分の口が変な感じがした。
思いっきり開けて中を見てみた(^O^)

自分で開けて、自分で見る
あれ?って思った。

自分で見れると思っていたけど、自分の口の中って実は自分には見れないって思った。
わたしが見てるのは、鏡に映っている自分の口。

だから、歯のこととか口の中の症状は、放置せずに、歯医者さんっていう人に任せたくなるのかなって思った。


口は自分で見れない。
でも、それって口だけでなく、自分の顔も姿も同じだと思った。

自分の顔、姿っていう本物を、直接見た事がある人はいないと思う。
鏡に映る自分は本当の自分とは違う。

人間は自分の外見を、鏡など物を通して、または人の評価など、人を通してしか見れないんだって感じた。

なんで、自分のことなのに、自分が見れないんだろう?
変な感がした。
わたしっていう存在を、自分で見た事がないのだ。
自分は外見だけではないから、見れないのかな?
でも、外見も今の自分の一つの姿だし……


自分で見れないことは、
外見だけではないような気がした。
心で感じている自分自身も、自分だけではわからないものだと思った。
色んな人、もの、時、物事を通して、自分で感じて、自分を観ていくんだって思った。
人や物の中に、自分を見る。

そう考えると、その辺にある色んな事が自分を投影しているということになる。

自分の周りに訪れる、色んな物事、人と本気で向き合ったら、それは自分を見ていることになるのだろう。

自分という存在は、自分だけで知れるものではない。
人生の中で色んな経験、出会いを得て、向き合い続けることで観えてくるものだと思った。
人間同士の関わり、色んな経験を大切にしたいと思った。

自分が広がっていくように感じた。

否定し続けて見えたもの

2017-10-28 17:46:29 | 日記
先日の自分からのミーティングの流れがうまくいかなかったことがあり、
わたしは、落ち込んで考え続けてしまっていた。

昨日のブログに書いた通り、前を向いた時間も少しはあったのだが、
やはり、できないことが多いなって落ち込んでしまっていた。

あの日、帰宅後に、父の前で悔しくて泣いてしまったり、昨日も午前中に自分に対して、否定的な感情に縛られて、一人で泣いたりして、否定的な感情に浸かってた。

ただ、初めてやったミーティングができなかっただけなのに、
あれができない、これができないって、できないことを頭で並べて、否定的な感情に潰されていた。

なんで、何もできないんだろう?

自分を否定して否定して否定して、、

あの日(おととい)から否定し続けて、
気づいたら、昨日の夕方になっていた。

昨日の夕方、たまたま用事があって、外出しなければいけない状況だった。
気持ちが、すごく沈んでいて、何事も億劫に
なっていた。
そんな中で行かなくてはいけない。

「なんで今日行かなきゃいけないの?
行きたくないよー」
って何もやりたくない病になっていた。

でもキャンセルはできないし、行かなきゃって

ずっと、腰掛けて、PCのwordの画面と向き合っていた自分の体を動かした。

すごい体が重かったけど、どうにか車に乗った。
車の中でも、自分をあーだこーだって責め続けて……

でも、しばらくして、ふと、それまでとは違う別の自分が出てきた。
何考えているんだって自分が自分の中に言い始めた。

なんで、自分はできなかったことをこんなに考え続けてるのかな
意味ないのに、なんで自分を自分で否定してるのかなって

そうしたら、なんだかおかしくなった。
できないことを並べて、悔しがって、否定している自分が変に思えてきた。
今の自分が悲劇の主人公みたいな感じになっているような気がしてきた。

家という一箇所にい続けていた自分を、一歩外に出てみたら、
それと同じように、自分を否定する自分から、そのことを観察する自分に、なったように感じた。

おかしくなって、その気分を手放した。
グルグル同じようなところを回って切りがない心情から、抜け出した。
そうしたら、自分でミーティングができなかったっていう事実がすごく小さいことに見えた。

何やってたんだろうって、いつの間にか、自分を否定する自分から、それを受け入れる自分になっていた。

さっきまでの自分は、外にある「できなかった」という事実だけに目を向けてたような気がした。
でも、それをやり続けていたら、だんだん飽きてきた。
「もういいや」って投げ捨てるのではなく、「こんなことを自分は人生で体験してるんだな」って思った。
だんだん、そう感じている自分を見つめ始めるんだって思った。


外の結果をどうにかしようとするだけではなく、その前に、自分の中に意識を働きかけてみる。
そうすると、自分だけでなく外も変わっていくと思った。

準備をするけど、しないこと

2017-10-27 20:42:57 | 日記
昨日は、父のお話し会だった。

わたしは、その場を見ていたのだが、話が新鮮だなーって感じた。

父の話す内容は、どれも聞いたことがあるものばかりなのだが、全部、初めて聞くように新鮮な感じが毎回する。

なんでかなーって思った。
話す内容は同じ、でもなんか違う…
あっ、相手を主体として観ているなって思った。

話す参加者の相手によって、話し方も、話すことも変わってくる。
話の芯が通っていながら、話す相手、その場、その時にしかでない話をするんだって思った。

わたしも自分を持って、それをブラさずに、どんな相手も受け入れ、適応できる自分になりたいなって思った。

お話し会が終わった頃には、自分の中が広がってるような気がした。
終わってからみんなでツナグごはんの食事を食べて、お話しして…

終わる頃には、みんながつながっている感じがした。
昨日のメンバーならではの、空間ができたんだと思った。

お話し会と食事の後、参加者が帰られた。

その後、ミーティングをやった。
わたしから提案させてもらって開いたミーティングだった。
何か自分から動いて前に進みたいって思ったことあるコミュニティの展開していきたいって思ったことがあって、開催してもらった。
数人の人に時間をとってもらったのだ。

で、早速始めた。
いつも、参加するミーティングみたいに、スムーズにいくと思っていたのだが……
話が全然進まない、そして、展開しないのだ。
みんな前に進めようとして話をチョコチョコしてくれているのだが…
何も話が進まないし、それ以前に、同じことを話しているだけ

何分か時間が経ったんだけど、結局……何もできませんでした(;ω;)
ただ時間が過ぎていくだけだった。

父のお話し会を受けた後の、自分から提案したミーティング?だったので、
何もできなかったことがちょっとショック…

資料作りして、話したいことあげて、、準備は完璧にしたつもりだったのに、なんでうまくいかないんだろうって考え込んじゃった(・・;)


原因の一つとしてあげられたのは、目的をきちんと具体的に持たなかったこと。
資料作ったし、なんとなく流れでできるかなーって思って少し気を抜いた部分があったのかもしれない。
ミーティングというものを甘くみてました(^^;;

今回のことがあって、「シュミレーションをしておくこと、一つ一つの行為に目的を持つこと」など身にしみてわかった。
言葉だけ理解するのと、体験から、勉強するのは、やはり全然違う感じ。

最初は失敗するかもしれないけど、とりあえず精一杯やってみること。
その上でのできなかったことは、そこでできないことと決めつけるのではなく、次に活かしてみること。

父がよくお話し会とか、イベント、ミーティングをやっている。
他人事として、やっている姿だけ見ていると、いろんなことができる人とか思うことがある。
でも、本当は見えないところで、その流れを決めるシュミレーションとか、目的を持つとか、大切なことをやっているって知った。
その上で、その場の状況にその時、合わせているんだって思った。
その場が成り立って前に進んでいっているんだって、学んだ。
どんな物事、出来事も、いろんな準備とか、意識が前提にあるって知った。

準備をした上で、相手によってとか、その場によってとか、その場のライブをする。
その時にならないとわからないこともある。

準備をして、その通りにやらなくてはいけないのではなく、その時の状況によって、色々と変えていく。
「準備をするけど、しないこと」
これが大切って学んだ。

学んだことを情報で終わらせるのではなく、自分のものとして落とし込んでみようと思う。
資料をもっと見やすく作り直して、目的もっと固めて、、、
その時にきちっと自分でその場の指揮ができるようになりたい。
次は前に進められるミーティングを開いきたい。

それで、将来は参加者みんなが納得するようなイベントとかを開けるような自分になりたい。