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日本のいまを考える#14 いま、憲法について考えてみる その3 明治憲法の成り立ちと皇室典範



祝日は玄関に国旗を掲揚しましょう


★精神学協会「日本のいまを考える」から転載

『精神学協会』
http://www.godbrain.com/gb/letter/



■日本のいまを考える#14

いま、憲法について考えてみる その3
~ 明治憲法の成り立ちと皇室典範 ~


「憲法を考える」ということは、国のあり方について考え、未来に向かってどのような日本であったらよいかを考えることでもあります。

日本がこれまで、どのような国であったのか、皇紀にすれば二六七七年にもなる歴史ある国ですから日本史も膨大ですが、その間護(まも)られてきた骨格のような部分は知っておく必要があると思います。

平成三十年をもって天皇陛下がご譲位されることになり、憲法に規定のない天皇退位(譲位)を、特例法により一代限りの対処とするのか、「皇室典範」そのものを恒久的に改正するのかどうかという話題がありました。

戦前、皇室典範は大日本帝国憲法と同等のものでしたが、現在は国会で変えられる普通の法律となっています。

現行憲法では、第一章「天皇」第二条で皇位の継承に関して、「国会の議決した皇室典範」の定めによるとされており、今般、今上陛下のご譲位に関しては、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」という特例法が今月中に国会に提出される見込みです。
Wikipedia を見たところ、皇室典範改正議論の内容として、
  
・ 皇位継承者の不足
  ・ 女性天皇
  ・ 女系天皇
  ・ 女性宮家創設
  ・ 旧皇族 の復帰
  ・ 生前退位 (譲位)
  ・ 側室制度

これだけの課題が出されているのか、と、あらためて知りました。
皆さんは、いかがお考えでしょうか。 

女系天皇と女性天皇の違いについては、あちらこちらで最近、用語の意味を解説してくれていると思いますが、宮家の話を含めておさらいしておきたいところです。
日本が万世一系の長い歴史を持つ、というときの、「万世一系」は、男系天皇という意味においての歴史です。

日本を弱体化したい方々にとっては、天皇陛下のご存在がねたましく、気に入らないことや、日本の歴史を違うものにしたいと画策していることは、誰でも容易に想像がつくと思います。

女性天皇は数々いらっしゃるけれど、日本はこれまで女系天皇になったことはありません。

このあたりのことは、国民一人ひとりが十分に考え、子々孫々を思い、この国をどのような形で継承したいのかという希望をもとに、判断していくことが大事だと思います。
私はそれぞれについて、思うところがあり、明確な意見はありますが、今は心のうちにしまっておくことにいたします。



明治憲法(大日本帝国憲法)の作られた過程や、何を重要視してきたのか、などの流れがよくわかる本があります。

明治憲法の成り立ちと現行憲法との成り立ちの違いを知るには、とてもわかりやすい本だと思います。
  
●『明治憲法の真実』 伊藤哲夫著  到知出版社  千四百円+税

明治憲法の真実
クリエーター情報なし
致知出版社



『教育勅語の真実』を著した方の本ですが、前作同様、「しらす」「うしはく」の話題も出てきます。

明治憲法は、五箇条のご誓文をもととしている、という昭和天皇のお言葉も掲載されていました。
憲法十七条の流れを汲んだ、五箇条のご誓文です。

先にご紹介した西村幸祐さんのご著書『日本人に「憲法」は要らない』でも、草案を作成した井上毅(いのうえ こわし)が「しらす」という文言を大切にしていたことは書かれていましたが、この本にも書かれています。

井上毅が国典を研究しているときに「治める」という意味が、古事記では「しらす」と「うしはく」とに使い分けられていることに疑問を抱き、調べたことが出てきます。

部分掲載いたします。(『明治憲法の真実』一二二頁)
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井上は「言霊」と題した文章の中で、こう説明しています。(以下は要旨)
「うしはく」というのは、西洋で「支配する」という意味で使われている言葉と同じである。

つまり、日本では、豪族が占領し私物化した土地を、権力を持って支配するようなとき、「うしはく」が使われている。それに対し、「しらす」は同じ国を「治める」という場合の意味で用いる場合でもまったく違う。

「しらす」は「知る」を語源としている言葉で、天皇はまず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみ、願い、あるいは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すようにわが心に写し取って、それと自己を同一化させ、自らを無にして治めようとされるという意味である。

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そして、古事記では、国譲りがおこなわれ、それ以来、「しらす」というかたちの統治形態をとってきました。

現行憲法は、きわめて短期間に占領軍の支配下で作られ、施行されてきた憲法ですが、日本が今後、日本人による独自憲法として改正していくときには、日本の「しらす」統治の伝統をもとに、国民がゆたかに安心して暮らしていける国を護れるものとなるようにしたいものです。

天皇陛下の「おおみこころ」があって、国民は天皇陛下の「おおみたから」であるから、いかなる権力者たちも、権威ある天皇陛下の「おおみたから」を奴隷のように支配したりはできないのだ、という万全な護られかたです。

天皇陛下を「人間だから人権を・・・」というカタチで一見まっとうにも見えるような発言を受け入れていくと、その先にあるのは、天皇陛下の権威をないがしろにしていく社会であり、ご存在への権威の失墜にも通じ、「おおみたから」はもはや護られようのないものとなり、権力者が支配する世界標準と同じ土俵に立つ、という事態に陥ります。

権威と権力を、これほどまでにきっちり分けて、「しらす」国を護ってきた日本のあり方は、資本主義に行き詰った世界に、新たなあり方を示すことができる唯一の可能性であり、希望であるといえるのではないでしょうか。

世界が日本のあり方をまねて、それぞれの国が自立し、互いに支えあうことのできる世界であったらいいな、と思っています。

平成二十九年五月五日
柴田サチ子
協力 ツチダクミコ

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