EBM(Evidence-based Medecine)という言葉が盛んになったのは僕が学生の頃。
最近話題のJBM(Judgement Based Medecine)。
授業で扱ったりしているのかな?
~wikiJBMのページより以下抜粋~
医療の基本的な考え方にEBM(Evidence-based Medecine)つまり「根拠のある治療」があります。これは医療を行なう時に経験やカンに頼らず、できるだけ医学的に証明された事実に基づいて治療をしようという考え方です。
一方でJBM(Judgement Based Medecine)とは、Judgementすなわち司法による判例を根拠とする治療になります。司法による判例とは医療訴訟の医療側敗訴例を根拠とするものであり、JBMはその中でも医学常識に反するもの、守ろうとすれば患者に不利益をもたらすもの、現実の医療ではとても行なえないものを主に指し示します。
医療の常識に反するとは言え国権の最高機関によるものであり、これの影響力はEBMを遥かに超えます。EBMを守らない医師は医療界で軽蔑されますが、JBMを守らなければ司法による断罪が待っています。
~抜粋以上~
一歩医療に足を踏み入れると、そこは未熟な医者がいつ事故をおこさないかと、
ビジネスチャンスを舌なめずりして待っているいる弁護士から攻撃を受ける世界。
よ~く勉強しましょう。萎縮医療なんて言ってられません。
救急システム体制のできていない自治体に行ったら自分が悪くなくても、
いつ訴えられるかわかりません。
それがマスコミをはじめとする世論のmajorityになりつつありますから。
自分の身を守れるのは自分だけ。
政府は総合医なんかをぶち上げていますが、
walkingで来る怪しい疾患を抱えている患者を診なくてはいけないので相当high riskですな。
僻地にいたら総合科なのに心筋梗塞を最後まで診れなかったと訴えられるかもしれません。
僻地の総合科は帝王切開、クリッピング、PTCA、CABGぐらいはできないと駄目であろう。
何しろ専門家のところまでの搬送は1時間以上かかり
搬送すれば確実に亡くなってしまうケースもあるだろう。
人が病院で亡くなった場合、訴訟を起こされれば判断するのは裁判官です。
医療に関しての素人である裁判官の判断は市民の思いを代弁しているだろうと、
下のメディカ出版の本を出している稲葉一人氏もおっしゃっています。
極論ですが総合科と標榜しているくせに手術もできないという
期待権の侵害で訴えられるケースも出てきたりして。
総合科の細かい定義を決めることなんてできないから穴なんていくらでもある。
結果巨大総合病院でしか総合科は置けないであろう。
でも巨大総合病院にかかる患者さんは専門家施行が強かったり、紹介患者さんだったり、
そもそも総合病院から外来をなくそうという動きの中で矛盾した存在になってしまうであろう。
なお自分は総合科を否定しているわけではなく、総合科の周囲の環境を否定しているつもりです。
また、流石にこのような裁判が起こらないと今のところ母国民を信じております。
話はそれましたが、下記2冊、読みました。少しは勉強になったでしょう。
日経メディカルの方に関しては値段高いよとだけ言いたい。
自分の専門分野のことに関しては参考にはなったかもしれないけど、
古い事件で今の脳外科医は絶対やんねーという症例もちらほら・・・。
他の科の事例に関してはわかりません。
結局はある程度の基礎的情報を勉強したら、
自分の信念とその場の機転で訴訟を回避せよということを
どの本も説いています。
医学に関してはどこからどこまでが黒で白かと明確に定義できない、
日進月歩であり、どこまでが標準的な医療か誰も正確に答えられない、
ゆえに裁判で負けることを絶対に回避するのは不可能だと思われます。
最近話題のJBM(Judgement Based Medecine)。
授業で扱ったりしているのかな?
~wikiJBMのページより以下抜粋~
医療の基本的な考え方にEBM(Evidence-based Medecine)つまり「根拠のある治療」があります。これは医療を行なう時に経験やカンに頼らず、できるだけ医学的に証明された事実に基づいて治療をしようという考え方です。
一方でJBM(Judgement Based Medecine)とは、Judgementすなわち司法による判例を根拠とする治療になります。司法による判例とは医療訴訟の医療側敗訴例を根拠とするものであり、JBMはその中でも医学常識に反するもの、守ろうとすれば患者に不利益をもたらすもの、現実の医療ではとても行なえないものを主に指し示します。
医療の常識に反するとは言え国権の最高機関によるものであり、これの影響力はEBMを遥かに超えます。EBMを守らない医師は医療界で軽蔑されますが、JBMを守らなければ司法による断罪が待っています。
~抜粋以上~
一歩医療に足を踏み入れると、そこは未熟な医者がいつ事故をおこさないかと、
ビジネスチャンスを舌なめずりして待っているいる弁護士から攻撃を受ける世界。
よ~く勉強しましょう。萎縮医療なんて言ってられません。
救急システム体制のできていない自治体に行ったら自分が悪くなくても、
いつ訴えられるかわかりません。
それがマスコミをはじめとする世論のmajorityになりつつありますから。
自分の身を守れるのは自分だけ。
政府は総合医なんかをぶち上げていますが、
walkingで来る怪しい疾患を抱えている患者を診なくてはいけないので相当high riskですな。
僻地にいたら総合科なのに心筋梗塞を最後まで診れなかったと訴えられるかもしれません。
僻地の総合科は帝王切開、クリッピング、PTCA、CABGぐらいはできないと駄目であろう。
何しろ専門家のところまでの搬送は1時間以上かかり
搬送すれば確実に亡くなってしまうケースもあるだろう。
人が病院で亡くなった場合、訴訟を起こされれば判断するのは裁判官です。
医療に関しての素人である裁判官の判断は市民の思いを代弁しているだろうと、
下のメディカ出版の本を出している稲葉一人氏もおっしゃっています。
極論ですが総合科と標榜しているくせに手術もできないという
期待権の侵害で訴えられるケースも出てきたりして。
総合科の細かい定義を決めることなんてできないから穴なんていくらでもある。
結果巨大総合病院でしか総合科は置けないであろう。
でも巨大総合病院にかかる患者さんは専門家施行が強かったり、紹介患者さんだったり、
そもそも総合病院から外来をなくそうという動きの中で矛盾した存在になってしまうであろう。
なお自分は総合科を否定しているわけではなく、総合科の周囲の環境を否定しているつもりです。
また、流石にこのような裁判が起こらないと今のところ母国民を信じております。
話はそれましたが、下記2冊、読みました。少しは勉強になったでしょう。
日経メディカルの方に関しては値段高いよとだけ言いたい。
自分の専門分野のことに関しては参考にはなったかもしれないけど、
古い事件で今の脳外科医は絶対やんねーという症例もちらほら・・・。
他の科の事例に関してはわかりません。
結局はある程度の基礎的情報を勉強したら、
自分の信念とその場の機転で訴訟を回避せよということを
どの本も説いています。
医学に関してはどこからどこまでが黒で白かと明確に定義できない、
日進月歩であり、どこまでが標準的な医療か誰も正確に答えられない、
ゆえに裁判で負けることを絶対に回避するのは不可能だと思われます。
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