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2025年 平和憲法を守る県南のつどい 2025年5月25日(日)

2025-05-25 19:24:57 | 地域の話題

2025年 平和憲法を守る県南のつどい ~被爆80年 伝えよう被爆者の思い

2025年5月25日(日)、一関市文化センター・中ホールで、表記のつどいが開催されました。今年は被爆80年ということもあり、充実した内容のものでした。

オープニングは、一関うたごえセンターめろでぃ & コールなのはな による合唱(2曲)

2番目は、一関第一高等学校3年生の畠山史子さんによる「2024年高校生平和大使の活動に参加して」と題する報告

第27代高校生平和大使が決まりました!

第27代高校生平和大使広島結団式 | 北海道高校生平和大使

第27代高校生平和大使国連欧州本部訪問

第27代高校生平和大使国連欧州本部訪問

 今年も無事に高校生平和大使は欧州訪問を終え帰国いたしました。大きな成果を上げることができました。多くの皆さんのご支援に感謝します。第27代高校生平和大使は、8...

高校生平和大使・高校生一万人署名活動

 

市川大使と高校生平和大使一行との意見交換 | 軍縮会議日本政府代表部

実情を痛感 それでも対話続け「核なき世界」目指す 高校生平和大使が帰国報告 - 長崎新聞 2024/08/25 [12:34] 公開

実情を痛感 それでも対話続け「核なき世界」目指す 高校生平和大使が帰国報告 - 長崎新聞 2024/08/25 [12:34] 公開

スイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪ね、9万6千筆余りの核兵器廃絶署名を提出した第27代高校生平和大使が24日、長崎市内で帰国報告会を開いた。軍縮会議の傍聴や各...

長崎新聞社

 
第27代 高校生平和大使|学校法人 福山暁の星学院(公式ホームページ)

第27代 高校生平和大使|学校法人 福山暁の星学院(公式ホームページ)

学校法人 福山暁の星学院の第27代 高校生平和大使です

学校法人 福山暁の星学院

 

3番目は遠野市の伊藤亘夫さんの「被爆体験と命の大切さ」と題する紙芝居とお話し

2025年平和憲法を守る県南のつどい

2025年平和憲法を守る県南のつどい

 「被爆80年 伝えよう被爆者の思い 2025年平和憲法を守る県南のつどい」は、2025年5月25日14時から一関文化センター中ホールで開催されました。

750ボルトの男

 

祝ノーベル平和賞受賞 被爆80周年「岩手県原爆死没者慰霊事業」開催を成功させよう!!岩手県被団協の活動を存続させて下さい

祝ノーベル平和賞受賞 被爆80周年「岩手県原爆死没者慰霊事業」開催を成功させよう!!岩手県被団協の活動を存続させて下さい

 

 
「死体から青白いリンの火が。地獄でした」原爆体験者、紙芝居で語る:朝日新聞

「死体から青白いリンの火が。地獄でした」原爆体験者、紙芝居で語る:朝日新聞

 79年前の8月、広島・長崎に投下された原子爆弾と同年7月と8月に釜石市が受けた艦砲射撃の犠牲者を追悼し、語り継ぐ集いが2日、岩手県の釜石市民ホールであった。 岩手県...

朝日新聞

 

遠野テレビ|ケーブルテレビ|11chとおのタイム

ノーベル平和賞 県被団協“核兵器廃絶をこの目で見届けたい”|NHK 岩手県のニュース

ノーベル平和賞 県被団協“核兵器廃絶をこの目で見届けたい”|NHK 岩手県のニュース

【NHK】ことしのノーベル平和賞に日本被団協の受賞が決まったことを受け、岩手県被団協が今月12日に記者会見し、「私たちの運動が認められ感慨ひとしおだ…

NHK NEWS WEB

 

 

 

 

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一関市博物館の企画展「暮らしのなかの道具」を観る 2025年4月29日(火)

2025-05-01 16:24:58 | 地域の話題

2025年4月29日(火)、一関市博物館(一関市厳美町字沖野々215-1)で、2025年1月25日(土)から開催されている企画展「暮らしのなかの道具」【5月18日(日)まで】を妻と一緒に観に行ってきました。今年は、[戦後80年 昭和100年]というので、全国各地で昭和を回顧する催事が開催されていますが、これもその一環かもしれません。

 今年満86歳になる私は、この昭和100年の中で暮らしてきましたので、展示品のどれもこれも懐かしさを感じるものばかりでした。

特にも、大きなラッパのついた蓄音機は思い出の多いものでした。未だ5~6歳頃ですから昭和20年頃だったと思いますが、祖父(父の父)の家でその蓄音機を観たのです。祖父がそんなものを持っていて、浪曲などを聞いているというので関心したのです。三春藩の武士の娘を嫁にした(因みに「降嫁」と呼ばれたそうです。)ので、見栄を張ったのかもしれません。

 その外にも、はじめて電気炊飯器を買ったとき(昭和30年代)のことを懐かしく思い出しました。我が家で使っていた東芝製のものがありました。火をつかう竈炊きと違いスイッチを押すだけでご飯が炊けるとても便利な家電でした。

 空襲が激しくなった昭和20年7月に、福島県安積郡富久山町久保田から田村郡岩井村にある母の生家に疎開したころ、未だ電気が来てなくて石油ランプの生活でした。一晩燃やすとガラス製のホヤが曇ってしまうので、それを布切れで掃除するのは子どもの仕事でした。私も、「手が小さいから丁度良い」とおだてられて毎日掃除させられました。ほんとうに懐かしい思い出です。

 夏場の悩みは、虫さされ。窓を開けて寝ると、「蚊」が部屋に入ってきます。そこで、目の細かい網で作った蚊帳(かや)を部屋に吊るして、その中で寝ました。これで寝苦しい夏も窓を開けて眠れました。今では、殺虫剤が普及し、蚊そのものが見られなくなりましたし、蚊帳を見かけることもなくなってしまいました。

その頃の田舎は、鼠(ネズミ)の天国で、農家の母の生家も藁ぶき屋根の母屋に住んでいたので、夜中はネズミが走りまわっていました。そのために、三毛猫を飼っていたのですが、ネズミ産式に増える鼠は(人間の大切な食糧を食べたり、ウイルスを持ち込んだりする)の厄介な動物でした。そこで考え出されたのが「ネズミ捕り器」。中に食べ物を吊るしておき、ネズミがそれに触れると、扉が閉まる仕掛けです。そのネズミを始末するのも私の仕事でした。一晩に2匹も3匹も捕れたこともあり、金網製の「ネズミ捕り器」を田圃の溝に入れて溺死させたりしました。今は、ネズミそのものを見ることがなくなりました。

洗濯板と盥(たらい):電気洗濯機を使えるようになるまで、洗濯は時間のかかる家事でした。特に、水の冷たい冬には、つらい仕事でした。タライ(盥)に水を貯め、何本もの溝を彫った板に洗濯物を擦りつけて汚れを落としました。

 バリカン:バリカンは、男の子の髪の毛を短く切るのに使う道具で、その頃は、男の子は皆、短く切り揃える「丸刈り」でした。我が家では、父が切ってくれたのですが、バリカンが良く切れなくて、髪の毛が挟まり痛い思いをさせられました。

白黒テレビ・カラーテレビ:日本で最初に作られた白黒テレビが発売されたのは、昭和8年(1953)。プロレスが大人気でした。また、家庭にカラーテレビが普及したのは、昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックがきっかけだったそうです。

足踏み式ミシン:踏み板を足で前後に踏むと、右側に付いている「ふり輪」が回ってベルトで上の本体に動力を伝え、左はじのはりが上下します。手縫いよりずっと早く縫えました。昭和30年ごろ、我が家は郡山市から福島市に転居しました。私は福島市にある普通高校に通っていました。母は家計の助けのためにこの足踏み式ミシンを買って、ナシ(梨)の果実[「ナシ」は「無し」に通じるからと、地元では「アリノミ(有の実)」と呼んでいました]に被せる袋縫いの内職をしていました。購入したミシン代が稼げたかどうか?、洋裁の仕事もないので、その後、使われないままになりました。

フィルム式カメラ:この頃、カメラが普及して、写真館に行かなくても、家庭で写真を撮れるようになりました。今のように「デジタル式」のカメラではなくて、フィルムを使ったものでした。だから、写真店デフィルムを現像・焼き付けして貰わないと写真を見ることができません。私が、自分専用のフィルム式カメラを購入したのは、昭和35年ごろで、高級機の普及機で「キャノン・ポピュレール」というものです。当時の給料1カ月分ほどしたと思います。良く決心したと思います。そのカメラで撮った写真は何故かほちんど残っていません。

 

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ほっと一息コンサート~五感で味わう癒しの時間~2025年2月15日(土)

2025-02-16 13:05:44 | 地域の話題

2025年2月15日(土)、一関文化センター小ホールで、「ほっと一息コンサート~五感で味わう癒しの時間~」という催事がありました。タラシには、”音楽とアートでいつもの日常にちょっと贅沢な安らぎを”とありましたが、第1部 11:00~12:00、第2部 14:00~15:00、各回40席限定の本当に”ちょっと贅沢な安らぎ”のひと時ではありました。

(左)ピアノ 實川飛鳥さん

テノール歌手:曽部遼平さん

 

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今年はJR大船渡線開業100周年記念!

2025-02-02 02:23:24 | 地域の話題
 

JR大船渡線が1925(大正14)年7月26日に開業してから今年で100周年になるという。初めは一ノ関駅と摺沢駅間の開通だったが、その後、千厩駅や気仙沼駅、大船渡駅、盛駅などまで延びたのだそうです。

 一ノ関駅から真滝駅、陸中門崎駅、陸中松川駅、摺沢駅を通り、千厩駅に続いている曲がりくねった線路の線形から「ドラゴンレール」の愛称で親しまれています。大船渡線の開通に尽力した摺沢の人が、強力に摺沢を通らせたそうです。摺沢駅にはこの2人の顕彰碑が建てられています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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