
私たち三姉妹が幼い頃から、お正月には、父の会社の人たちが集まる新年会が
実家で開かれていたので、年末の比較的早い時期から母は大量のおせち作りをしていました。
材料の購入から始まり、下準備、最後の仕上げが大晦日の夜になることも当たり前のような
状況でした。
栗きんとんのころも作りの茹でたさつま芋の裏ごしや、松前漬けのするめや昆布の細切りを
三姉妹で手伝った記憶も残っています。
大量の数の子の薄皮をきれいに取り除くのは、なかなか大変な作業でしたっけ。
少しでも薄皮が残ると生臭いから...と、母に教わりました。
冷たく冷えた黒豆のお味見が楽しみだった記憶もあります。
お料理上手で仕事が丹念だった母の味には及びませんが、毎年、母の手仕事を思い出しては
おせち作りをしています。
昔の冷え切った台所での水仕事を思うと、私は楽をしているな...と思う暮れの数日です。
おせちは自分では作らない、暮れに忙しい思いをする割には、味が単調で家族が喜ばないし...
そんなお話を耳にすると、ごもっとも、とも思います。
「ごもっとも」とも思いつつ...やはり母の味を娘に伝えたくて、台所仕事ができる間は
作り続けたいなと思う私です。
娘は祖母(私の母ですね)の味が大好きなのです。
三姉妹それぞれに一人ずつ授かった子どもたち、三人のうち初孫である私の娘だけに
お料理上手だった祖母の記憶がしっかりと残っているのです。
このことも、私が無意識のうちに守ろうとしていることなのかもしれません。
「家族が喜んでくれる」これが大きなポイントですよね。
やはり、励みになりますから。
当たり前のことですが、おせちは、1年に1度しか作りません。
でも、長年の間に上書きを繰り返しているレシピはあるし、作り方を忘れるということは、
今のところはありませんが...
さぁ、どうだったかしらねぇ...と、毎年のように思うのは、お重にどんな風に詰めたのか、
お重に詰めないものは、どんな風に盛り付けたのか...???...なのです。
忘却の彼方に消えてしまわないようにするには、撮影をしておくのが1番簡単で確実ですね。
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今年、孫が大喜びをしたのは黒豆にあしらった「ちょろぎ」でした。
ころんとした愛嬌のある形と梅酢の色と味とシャキシャキとした食感が気に入ったようで、
「もっと食べてもいい?」と、5つくらい続けて食べていました。
思いもよらないものが、好きになったりするのですね。
義理の息子は、数の子をたっぷり入れた松前漬け、娘は栗きんとん...
それぞれの好物と合わせて、お煮しめも一緒に、持ち帰ってくれて、私は嬉しい気持ちになりました。
今日は、夕方にかけて、お重やお雑煮椀をしまう準備をしました。
また来年、お世話になる大切なお道具ですからね。





どれも美味しそうな、本格的なおせち料理ですね。
どこのお料理屋さんのですか?と聞きたくなってしまう…。
お重箱も素晴らしいですね。
我が家(実家ですが)でも、父が現役の頃は会社の方たちが
御挨拶にいらして、朝から晩まで来客が絶えず、
母はおせちづくりに翻弄されていました。
当然小さい時から私も手伝わされ、お正月は大嫌いでした。
父がリタイヤ―してからは、母が大変だったからと、
お正月は京都で迎えるのが慣わしになりました。
それでも、12月の料理教室では必ずおせち料理を
定番にしていましたので、それで済ませてしまっています。
Passyさんは、ホントにきちんと、美しく暮らしていらっしゃるので
感心させられます。ちょっぴり反省もしております。
Passyさんの丁寧な暮らしぶりを
今年も楽しみに拝見させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。
今年も よろしくお願いいたします。
京さんのご実家でも同じようなお正月を過ごしていたのですね。
時代でしょうか...
京さんのお母様はお料理の専門家ですから、頼りにされてしまいますね。
でも、お父様、お優しいこと。
リタイア後は、お母様をきちんと労るお気持ちがおありで...
私たちの父は、母が病床につくまで何も変わりませんでしたよ。
でも父のことをとやかく言う前に、娘として母にもっともっと優しく接すればよかった...
今はもう、後悔ばかりです。
京さんには、いつも過分なお褒めのお言葉を頂戴して...
密かに赤面していますよ。
京さんの旅ブログ、今年も期待してお待ちしています。