「言ってたこと」「標榜してること」が、どうせ中途のどこかで覆るばかりの人生でいる人らは、期待そのものを遠慮し出すし、見越して「信じようがない」を生きる上の常態に据えます。
障害給与も年金も、「どうせ」「ちょうど間に合わない」改変をねじ込んで来るんだ、としか思わない。
仕事も正規だろうと「どうせ」切り捨てが幾度も起き出す。いちゃもんのように。
そういう「一斉」に仕立ててきた弊害は、かなり重くて回復を難しくする。
「しらけ世代」より深刻なのは、幾度ももう起きているので、以後も頻発を確実視してること。