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いずみたく先生の講演会

2011-02-20 14:19:00 | 日記
NHKラジオ深夜便、夜中1時からの特集は拝聴に値します。いやいやいや、生前のいずみたく先生の放送があんまり面白くって引き込まれました。前々から惹かれていた理由が少し分かりました。
「大勢で歌える歌」をめざしていらっしゃった事。、作曲作詞家の名前は忘れ去られても、100年後にも「歌い継がれてる歌」、それは「民謡」のようなものになっている、という考え方。コンサートホールで、プロの歌手と呼ばれる人は、一晩観客を魅了し続けられる事、という基準線。簡明です。平易です。実に飲み込みやすい言葉を次々におっしゃられていて、私は乗ってる車から、部屋に移動するまでの時間が惜しくなり、車から話が終わるまで出られませんでした。
若い歌手(これを『かわいこちゃん』と称してるあたりがすでに粋!)の曲は30回くらい録り直したテイクから、秀逸な部分だけをテープで繋いで,レコードにしてたから、コンサートなんかじゃ歌えない、とバッサリ話していたり、ドリフターズの曲と思っていた「いい湯だな」が、実は先にデュークエイセスが歌ってたとか、それより先に、実は温泉どころの「群馬県の歌」だったことなど、聞いててうれしいやらどきどきするやら、たまらん内容でした。
「ピンキーとキラーズ」デビュー秘話もそうなのかあ、と驚いちゃったり、スイスイと次の話題に入っていかれるのが印象的でした。
西ドイツが戦後の復旧時に、廃墟の町の中で、真っ先に作り直したのが「コンサートホール」だったんだって。その公演当時に国が芸術にかけてる国家予算が11億円って時に,西ドイツじゃひとつの州が芸術に60億出資してるとか、比較されていて、恥ずかしいって先生がおっしゃると、そうですね、実に恥ずかしいですねと、聞いてるこっちも賛同しちゃうのでした。

なにより「手のひらを太陽に」の話が刺さりました。やなせたかし先生が自殺まで考えたときに,自分の手を太陽にかざして「生き続ける」ことに転向したときに生まれた曲だったなんて。それを丁寧に語られるいずみ先生の言葉の扱われ方の綺麗さにも惹かれました。
あああ、再放送してくれないかなあ。アーカイブスにのっけてくれないかなあ。ああああ、先生が死を前にして病床で作った「すすめ!アンパンマン号」がいっそう美しく思えてきます。
含蓄のある人間は、もったいぶらないものなんですね。つくづくそう思いました。
大丈夫、先生の歌は、今だって大勢で歌える歌たちでいっぱいですよ。素敵ですよ。


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