頭のいい人たち、が「選べる」ものを「選ばない」にするのだから、理由が伴うのでしょう。
他の人らが希求したって、叶わない条件を無碍にできるのは、「そこでは間に合わない」「釣り合わない」と見透かせることがあるのです。
短期的に、従来の発想でなら、「安泰」と「つぶれなさ」もあり、もったいなくもみえるのに、「そこにいたら、どうも具合が良くない」先例に、自身を「重ねたくない」から忌諱するわけです。いやです、と。
このファーストインプレッションは理屈抜きのなにかとも言えますし、それなりに背景のある話ともなれます。ですが選択時には確定していない話であって、予見したもので将来を染めるのですから、それなりにリスキーです。
そうした「心の方のささやき」は概ね外れることの方が稀なのです。
仮にしくじった、見損ねた、と思ってきたにしても、再度同じ機会があっても、同じ選択をするでしょう。
つまるところ、それが「気が済む」なのです。
ここに尽きますね。生き方の話なんで。それは正否より、上層の判断が活きています。
「この展望では、生きていけない」なるもの。