鹿児島で町を散策してるときに感じたのは、ただの通りすがりの私にも、町のあちこちで「おはようございます」「こんにちは」と挨拶を自然にしていられる大人が、普通にいてくれるということでした。
これは以前にも同じことを感じたことがあって、それは会津若松でのことです。あの町では中学生くらいの学生さんも、大人も、普通に通りすがりの人に挨拶していました。
で、いざ帰宅して町を歩いてると、いい大人や老人が目もあわさずに、うつむき加減に「ただ、いる」のでした。ただのひとりとも、挨拶をしない方がデフォルトなんだなって、感じたのです。
人の間の「濃さ」のようなものが、生きて過ごしてるところに備わっていると、やっぱり人の育ちがかわってくるもんですなあ、と思うこのごろです。
これは以前にも同じことを感じたことがあって、それは会津若松でのことです。あの町では中学生くらいの学生さんも、大人も、普通に通りすがりの人に挨拶していました。
で、いざ帰宅して町を歩いてると、いい大人や老人が目もあわさずに、うつむき加減に「ただ、いる」のでした。ただのひとりとも、挨拶をしない方がデフォルトなんだなって、感じたのです。
人の間の「濃さ」のようなものが、生きて過ごしてるところに備わっていると、やっぱり人の育ちがかわってくるもんですなあ、と思うこのごろです。