ちょっと前まで自室の押し入れ奥に「故障」してたMacintoshのノートブックを、ネット上で「修理してくれる」業者がみつかったからと、「ゆうパック」で郵送したら、到着後2時間しない間に修理箇所が判明して、早ければ明日にでも郵送しますよ、と東京のお店から、関西弁の店長さんのお電話があった。
おとつい送った郵便物の件を、届いてすぐに電話くれて、会った事もない人が直す段取りをしてくれる・・・これらすべては社会のインフラのおかげでできてることばかりだ。
そもそもこのMacintoshノートブックは、アップルに修理依頼をして「交換部品がないから」と断られた機種でもある。それがインターネットがあって、そこにHPがあって、私が検索できて、メールで見積もり依頼ができたからこそ、送る気にもなれたし、「ゆうパック」という仕組みが「コンビニ」で扱えて、「真夜中」でも送れるからこそ、2日と経たずに「修理できますよ」とケータイに直に連絡が来て,「じゃあ,お願いします」と即答できる。
これってすごいことじゃない?魔法みたいなものの積み重ねだと思わない?
私の町では修理できないものが、東京のお店の関西弁の店長さんが修理してくれようとしてる。まるで偶然みたいに「ちょうど同型機が3~4台入ったんで(これが本当かどうかは別にして)」と話してて、同型機本体に私のMacintoshのHDを載せ換えることをお互いに即決できる。そもそもメーカーが修理を断念させた商品を直してくれる会社がそこにあってくれたのも嬉しいし、そこを見つけていられるのもありがたい。
この一連の「ちょっとそこまで」お菓子でも買いに行くかのような自然さで、直せなかったMacintoshノートブックが直る。世界はかくも便利なのだ。その便利さが「頑張って」「粘りに粘って」「人脈総動員して」「ありったけの有り金はたいて」、ではなく、フツーに「お願い」「はーい」ってスタンスでできる世の中は、やっぱり素敵なんだよなあ。